「まぁいずれにせよ頑張って欲しいですわ」
「出て打たれるもののないように」
「くいののこらないようにな」
「お、わかってるね」
某友人とのやり取りです。彼とは言葉の趣味が合うようで…。

演劇は、言葉と真摯に向き合う芸術です。遠い過去から現在に至るまで、劇作家達は言葉との非常に難しい関係について思考と試行を重ねてきました。井上ひさし先生なんかは日本語について考え続けた人の好例として挙げられます。

しかし最近の学生演劇はどうなんでしょうか。と、たまに思ってしまいます。ただ日常、あるいはイメージの一部分をスケッチするだけで日本語との付き合い方が雑なんじゃないか…僕もまだまだですが、それ以上に、日本語で演劇をしていながら日本語を雑に扱っている劇が多いと思います。

岸田國士の言うように、同じ話の流れ、同じ動きであっても台詞の言い回しを少し変えるだけでそのシーンは「劇的」になります。それをわかって欲しいなと思いつつ。

「劇的」という言葉が出たのでついでにもう1つ。入試の結果が(前期は)出揃ったようですが、英語なんかで”dramatically”という言葉を覚えたはずです。でもこの言葉を覚えた大半の大学生は、劇を観たことがないんじゃないだろうか…観たことのないものを指している事に違和感がないことの怖さを当人達は感じることなく大人になってしまうんだと考えると少し不安になります。

自分の使う言葉の土台を確認すると共に、どうせ大人になって観ることがなさそうなら学生のうちに同じ学生がやっている芝居を観てみるといいんじゃないでしょうか。

劇団綺畸2015年度新人公演『水星劇場』
作・演出 岩崎雅高
3/19(土) 19:00
3/20(日) 14:00/19:00
於 駒場小空間
入場無料カンパ制