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右山喜丸が紡ぐアドリブトーク



九月二十五日(木)曇り時々雨

命のままに生きる「機能性」が、

なんか知らんけど「道徳」にすり替わってしまってる。

「自分由来ではない価値観」で生きてしまってるコトの多いコトよ。


「道徳」って言うと、義務教育の教科書みたいなイメージがあるけどソレだけじゃない。


親、先生、先輩、好きなアーティスト、ナントカ教授の本。

大切だと思う過去のコトバ達を大切に手元に置いておくのはいーけど、
それらのコトバって、

本当に自分の幸せの為に「機能」してるのか?

他人を査定して自分が優越感を得る為だけのモノに利用しとりゃせんやろか?

自分の創造的な目的に叶っとりゃいーけど。


「善か?」「悪か?」
「人として正しいか?」「間違ってるか?」

コレはそもそもの善悪とかのステージ自体がふわぁ~としとるモンやけん、
変な話、逆に「善悪をたてわける」為には機能しませんよ。


「自分が創造したい世界を表現する為に機能してるか?してないか?」

簡単に言えば、役に立つか、立たんか、やね。


コレはね、人それぞれ検証するといいと思うなぁ。自分でね。

まー「機能」の話はとりあえず一旦こんぐらいにしときましょ。僕のコトだからまたすぐ出てくるんやろーけど。


さぁさ、また大自然に目線を戻しましょうか。

命のままに生きる。機能性を持って全ての存在は生きてる。

命のままに生きてる同士、関わり合いますわなぁ。
僕の命とあなたの命がゴッツンコする時もありましょうさ。



個人サイズの機能性だけだと、
大切な隣人とじゃ上手く機能しないコトも出てくる。



大自然てのはホンにうまいコトやりよるでしょ?

「順応」してくよね。

トータルで一つの命のように、
巨大な立体万華鏡のように、
干渉しあい影響しあいながら、
グルーブしている。

さぁいきなり来たコレ。

「トータルで一つの命のように」

がキーワードやね。


命のまま、機能性のままに生きてる動物達。
コレ、兄弟やら仲間とのコト、どーゆー風に感じとるんやろねぇ。

よくこのブログで書いてるけど、
僕ぁ動物のそーゆーコトを考えると怖くなる。

なんとなれば「コトバ」よ。

コトバがあれば、自己欺瞞が出来るやん。自分にウソつけるでしょ?

震災とかでさ、家族と別れちゃったペットとかさ、おるやんか。

アレがコトバ使える生き物やったならね?
「どっか安全なトコロに避難して、そのウチ迎えに来てくれるんやろか?」とかさ、
「オレ捨てられたのかな?イヤそんなコトないよな?」とか、

自分の想いをコトバに転化して、ソコに意識を持ってくだけで、
何と無くやりすごせるやん、心細くてもさ。

でもあいつらコトバ無いやん。
「あの想い」。
あえて名付けるなら「不安」とか「寂しさ」とか「心細さ」とか、
そんな風に名前を付けられるような

「あの想い」

全身全霊で「あの想い」の生き物になるワケやんか。

「イヤ待てよ」とか一切無しで、やで?

……キッツいなぁ…。

ほんでもさ、
動物番組とか観てると、生まれたばっかの兄弟ワンコとかさ、
チビ達がワァー出て来て遊びよるやろ?

もうアレもあの楽しげな「想い」そのものになって遊んどるんの、観てわかるやんか。

それこそ「機能性」を発揮しながら、命のままにはしゃいどるよ。

そーして親に見守られながら、命のままに生きる術を受け継ぎながら、
奴らも「大人」になってくやろ?

うん。

今わざわざ大人ってコトバに「」つけたけど、

僕んとこ、ミルキーって猫がいたのよ。もう死んだけど。
18歳だったのね。

まぁミルキーだけやないけど、

大人の動物がまとっとる、あのインテリジェンスてなんやろねぇ?

あの目線?目ヂカラ?

なんつーの?エスプリ…みたいなコトバが似合いそうな、さ。

「命のままに」生きて来て、
コトバで誤魔化さない、自分の内側と向き合って来て、
子供や仲間と独特のコミュニケーションを経て、

なぁ。

僕ホントのトコロ、
人間でまだ「大人」に出会ったコトないよ。

自然物としての人間の大人。

それが僕が思う「大人」なんよ。

そーなりたいわぁ。



生まれたままの機能性が関係しあいながら、
それぞれがトータルで一つの命のように調整しあって、

命を全うしあう世界にする。

これが僕が思う「順応」なんよ。


生まれ持った命、機能、
それをなんの条件もなく愛する。

……まーこーなると「愛する」て何?みたいな話にもなりますが、それもボチボチ行きましょう。

なんの条件も無しに愛し合う機能。

コレが「命」やんか。

誰だってわかってるのよ。
大切な誰かとぶつかり合った時、
「ホントの愛はこんなモノじゃない」って思う。

でも「無条件の愛」の経験が極端に少ないよな人間社会。

それでも人間は「社会的動物」なんてくくられるぐらい、

いわゆる「他人」達と生きていく生き物やん。

もちろんソコに喜びもあるけど、
歴史的に「無条件の愛」の経験が少ない人間社会が

「順応」と思いながら、ちょっとづつハズレてる価値。



「正義」


ですな。

「道徳」が個人に向けられた「曲がった機能」なら

「正義」は集団に向けられた「曲がった順応」やね。


コレマタ「正義」が甘美な色メガネですわ。







今日はこんなトコロかな。
明日も仕事大変なんすわ。








皆さん御役目ごくろーさま















九月二十四日(水)曇り時々雨

「今まで覚えた全部/でたらめだったら面白い/そんな気持ちわかるでしょう」

ブルーハーツですよ。

僕最初コレ聞いた時嬉しかったなぁ。

「わかっとるヤツおるなぁ」

と思ったよ。



もう道徳の話はどこへでも行ける。
話が散らかってしゃーなくなるわ。

でも「神様しばり」やからね一応。
…てか神様しばりって…それも全てやんかね。

全てしばり、で行きますか。


あんね。

もおコレ、神様に対する誤解から来とるとしか思えんのよ。

大体がやね、
…もーぉー、なんつったらいーの?

んとー、

地獄とかないからね?バカバカしい話。

なんで神様が地獄作らなイカンの?

それこそ「悪い」奴らの「罰則」の為?

いや神様て万能やんか。
神様が万能じゃなかったら誰が万能やねん言うくらい万能やんか。

なんでそんな…なんての?
神様が自分で「こういう風に生きる生き物作ろう」として、
「あれー?上手くイカンかったぞぉ?」言うて、
「んもぉ全然こいつら言うコト聞かんわぁ!」言うてムカついて
「んもぉ!よっしゃ!いっちょ地獄作って、こいつら懲らしめたろぉ!」
とかね。

こんな神様、アホやん。
じぇんじぇん万能やないやん。

で、作ってもない悪魔?まで存在してしまって、で、戦ってるーとかさ。

じぇんじぇん「世界」を作れてないやん。

神は「憐れみ深い」とか教えとってさ、同んなじ口で「だが神に従わぬ者は地獄に落とされるであろう」とかさ。

ホント、ちょっと、
教会関係者は漫才の勉強した方がいんじゃん?
「ツッコミ」の人っておらんかったの?

多分、どんな宗教組織でもさ、
牧師とツッコミ、とか
神主とツッコミ、とか
和尚とツッコミ、とか

コレやった方が「機能」すると思うよ僕は。



あ、今僕、「コレやった方がいい」て言ったでしょ?
前回「なんで人は~べきとか言うの?!」とか言うてたのに。

今日はそのあたりも書きまひょ。



コレさ、
確か前にも書いたけどさ、

善とか悪とかね、
正しいとか間違ってるとかね。

なんかこう……道徳風味でしょ?

なんかイメージ的にゴッチャになってしまっとるんですよ。




虫歯を治しに自動車修理工場に行きました。

コレって「悪」か?

鼻毛を切るのに鼻毛カッターを使いました。

コレって「善」か?

こう書いたら可笑しいけど、
ハッキリ言って周りを見渡したら、実際こんなコトばっか言いよるんですよ。

虫歯を治しに自動車修理工場に行くのは「悪」じゃなくて

「間違ってる」

やん単純に。

鼻毛切るのに鼻毛カッターを使うのは「善」じゃなくて、

「正しい」

やんか。


………当たり前、ですよね?

言い換えたら
虫歯を治しに自動車修理工場に行くのは、自分の目的に照らし合わせて「機能してない」やんか。

鼻毛を切るのに鼻毛カッターを使うのは、自分の目的に照らし合わせて「機能してる」やんか。その鼻毛カッターがちゃんと切れればよ?

「正しい」とか「間違ってる」とかは、
目的とか向かう方向が決まっとったら、こんな感じで「機能する」コトバやんか。

でも「人として正しい」とか「人として間違ってる」とか言う言い方、あるよね。

コレが多分「善悪」やん?多分。

いやその言い方してもいいよ?すればいいさ。

でもさ、その言い方をする時さ、その言い方をする人さ、

「人が向かうべき方向性」

をちゃんと言わにゃイカンよね。

「全人類がたどり着くべき最終的な価値観」みたいなモノの、少なくとも青写真ぐらいは持つ気概が無いとさ、

善悪を使ってよ?
人のコトを、
人として間違ってるぅーとか正しいぃーとかさ、

結構キツイぜ?

イヤそりゃ僕が散々やってきたのよ。
散々やってきたのに、なんも良くならんかったんよ。機能してないやり方なんよ。
散々やってんだもん。そりゃ結果も散々よ。



ハッキリ言ってね?


全人類がたどり着く「べき」最終的な価値観

とかさぁ、あるぅ?

「善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わなければならない規範」

て言い方がまたアンタ。

「善悪をわきまえて」ってどこで?
中東で?中国で?アメリカで?ジャマイカで?日本でかいな?大体そのわきまえる為の「善悪」てなんね?

「正しい行為をなすために」て、
誰が?
坊さんが?兵士が?任侠ヤクザが?関所の番人が?

「守り従わなければならない」んか!?

って、お前誰やねん!!

「守り従わなければ」どーなるっちゅーねん!やんか。

コレ、「愛」か?

道徳て、「愛」?

神様て、道徳守れー言うの?
地獄に落とすぞー言うの?コレ。

本当に道徳を守らにゃイカンのやったら、神様よぉ。
最初っから守るよーな生き物として作ってくだしゃんせーやんか。

少なくとも僕ぁ落ち込んだ時、あったよ?

ハグを苦手て思うなんて俺ぁ愛情浅いヤツなんやろかー?とかさ、
手をつなぐのもなぁ、最初の五分でいいと「思ってしまう」なんてーとかよぉ、
フレンドリーに喋るのって疑わしーと思う俺はヤなヤツなんかなーとかさ。

そーよ。

そーして僕ぁ確信したね。

「少なくとも」!

神様と道徳は別問題よ。

神様は「罰」とか与えんもん。
だって神様は「全て」やろ?
言わば善人も悪人も神の現れやんけ。

左手が言うコトきかん言うて、右手で切り落とすの?
鼻が言うコトきかんっつって口が噛み付くんかい。

自分で自分を否定するなんて、生きた自殺やん。
神様、自殺すんの?ギャハハハハハーだ。バッカでぇ。



僕ね、
全人類がたどり着くべき最終的な価値観?

何と無くわかるよ。


「神様」よ。神様。



ソコに標準合わさにゃ、
どんな法律もどんな宗教もどんな芸術も、
「機能せん」ばい。

悪人?悪?
そーね。おるよ。
ムカつくヤツ、おるわぁ。

でもな?


悪を罰してどーすんの?


はしゃいだ子供に「騒ぐなっ!!」て怒鳴って、ソレ本当の本当のトコどーよ?

子供が感じた不思議の疑問に「そんなコト言うんじゃない」て口を押さえるのって、抑圧じゃん?

まぁこの子供の例えは「悪」じゃないかも知らんけど、


「悪」て「癒さにゃならん」のやないの?
だから神様も憐れみ深いんやないの?
よく使う例えやけど、
不良をバンバン退学にしたら、いい学校になるぅ?

「神様」って
「絶対たどり着けない遥かなる目標」じゃないよ。


「人が決して避けるコトが出来ない内側に向かう表現」やんか。



道徳て、「愛」?

僕、道徳て危ないと思うなぁ。

ソレ、僕じゃねーもん。


「答えはきっと奥の方/こころのずっと奥の方」

やんか。






皆さん御役目ごくろーさま



























九月二十三日(火)

{道徳}
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的、物理的矯正を伴う法律とは異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。 ~goo辞書より




…………………………。




気・に・く・わ・ん・わぁ~~~!





前の章で「道徳は危ない」と書きました。

本当にそう思うもの。

でもただ僕が勝手にそう感じとるだけで、
どして?と問われると途方に暮れますなぁ。と思って
「そいえば道徳てどーゆー意味?」
と思ってネットで辞書見たら、

やっぱ気に食わんわぁ。


僕が書きよるブログやから当たり前っちゃー当たり前なんやけど、
ほむとぉーに前からこーゆー文章にムカついたみたいなコトばっか書きよりましたなぁー。

そんで今日も書きますよ。

でもその前に、

本題よね。
「機能」と「道徳」のからみよ。

ほんでやっぱソコには神様問題がドカンと横たわっとる。




オチから最初に言うてしまえばやね。

こないだから書いとるとーり、
命ってのは機能するモンなんですよ。

……もうコレ何言っとるかわからんごたるけど。

機能してるのが命、だからなぁ。

「命」が「命」のまんま「命」として輝いている。

コレを「機能してる」って僕は言ってるつもりやからね。

「転がるのがボールなんですよ。」
言うてるみたいなモンですからね。
ボールて転がるから。
それがボールやし、転がるのてどっか球体…てか丸いからだから。
ソレ分けて話したらおかしいやん?

当たり前、なんですよ。

でもね、
人間はコトバ、持ってるやないですか。

コトバは音となって、文字となって、
発した人から独立して
イメージをまとうじゃない?

例えば冒頭に書いた道徳の意味の文章の中の

「善悪」。

もうね、こんなワケのわからんモノの為にね、
今までどんだけの……もう……いや!今も、よ。

今もどんだけの方々が、友達が、ワケのわからんコトになっとるか。

アホの僕からみたら、
よぉぉぉおおもナントカ毎日回っとるなぁ思いますよ。
命からがら、ですよ。

まさに命からがら。機能からがらですよ。

だいたい「善悪」てなに?

「いいコト」と「悪いコト」?
「すべきコト」と「してはいけないコト」?
「正しいコト」と「間違ってるコト」?

こんなね?

こんなファあ~~~~っとしたモンがさ、人間の価値基準のど真ん中に刺さっとるんですよ。

言い換えたら「神様」と「悪魔」やんか。

…そんなもんアンタ…。



僕ぁね?
いやコレ読んでくれてる僕の友達は知っとるかも知らんけどね?

僕こーゆー話、するのよ。

シラフでも酔っ払ってても。

前回のブログでも「道徳は危険」とか書いたじゃない?
まぁそんな風なコトを僕はよぉ喋りますわ。

したらね?よく、
「でも善悪決めたり、いいコト悪いコトハッキリさせてルールを決めなきゃ、世の中悪いコトするヤツがわぁ~っと増えるよ?」
なんてコトも言われたりします。

そんな言うならさ、




おどかされんと「善いコト」せんの?人って。
罰則規定を設けんと人は「善意」を発動せんの?




そんなのでねじり出された「善意」てなんなん?

そもそも「善意」てなんなん?

答えて?

頼むから答えてくれ!本当にっ!

…と昔は本当に声に出して言ってましたね。

答えられん人がほとんどよ。

価値基準のど真ん中にありながら
「善悪て何?」
の質問に答えられる人は、
まずおらんよ。それこそ神様出さんと。

じゃあ僕が答えましょう。


「善悪ありき」が間違ってんのよ。
間違ってる……っつーか、
もういい加減次のステップに入る時期なんよ。
「飽和」しとるんさ。

そりゃ動物だって子供を教育しますわな?
泳ぎ方、餌の取り方、危険を覚えさせる自己教育、色々ありましょう。

その動物本来の、肉体の個性を活かした生き抜き方。

それこそ命あるがままに、
機能、順応、持続出来るように。

もし本当にこの世界に「善悪」があるとしたら、
動物にとって機能、順応、持続出来ないような生き方?暮らし方?動き方とかが「悪」なんでしょーな。

そりゃよぉわかります。
そりゃそーよ。

そんで人間だって教育しますよ。

命のあるがままに、機能、順応、持続出来るよう……に?

命のあるがままに?
そんな教育、してる?
今の世の中の「常識」て、
命が命のままで輝けるように「機能」してる?



な?

おかしない?



命の基本性能としてさ、
神様の基本設定としてさ、

生き物がこの世に生を受けて
命のあるがままに生きて、
それを代々伝えていくってのはわかるのよ。

動物もそうやし、
人間も本来そーなんよ。

でもさ、この人間社会では、よ?

本当はなん~~~でもない、危険でもなんでもないような事柄にまで道徳は行き届いていて、

生きてる本人が感じる前から………


いいっすか?も一回言わせてもらって。



「生きてる本人が感じる前から」




答えが決まってんのよ。

こうしろ、と。
そう思うのははみ出てる、と。

こんなバカバカしいコトある?
こんなていたらくな命の使い方ありますか?

昔はいんですよ、それで。
識字率も少なかったし、教育も一辺倒でカウンターカルチャーも成熟しとらんかった。

そう教えられて、そう信じた。

生まれてきた子供にとっちゃ、親はこの世の神様やからね。
親だってそのまた親から教わった教育を、良かれと思って、それこそ善意で子供に伝えていった時代がありましたさ。

それで充分とは言わんまでも、
それなりにそれは機能してきたんやろーけど、

文明……いや文明ではないな。なんやろ…。

技術、か。

昔ながらの善意規定が受け継がれながら、少しづつ、
またある瞬間から爆発的に、
人類の技術基準が上がったワケでしょ?

それでもう誤魔化せんごとなっとるんやないすかね?

昔は不十分ながらも機能していた道徳。
家は家で。村は村で。国は国でよ。

カウンターの意見が出にくい、出しにくい環境で、それなりには機能してきた。疑問を持った人も少なくはなかったろーに、
ソレを表に出す環境がなかった。

僕が思うに、
その疑問持った先人達も、
最初は何がわからんかもわからんかったろーよ。

ところがもうネットまで出てきちゃった。





命はそのまま「機能性」を帯びている。
全ての生き物はそれに従い?いや
命のままに生きている。

そうしてあらゆる体験を通して、
「何が命に対して善か?」
「何が命に対して悪か?」

「自らの生の価値観を決めていく」

そーゆーコトをしとるんと思うのよ。


じゃ人間は?

命のままに生きてる?



こんな覚えないすか?

子供の頃、
楽しくて楽しくて思い切りはしゃいでたら、親からたしなめられたコト、ない?

なんの悪意もなく、
単に不思議に思ってその疑問を口に出したら、年輩者から「そんなコトは言うモンじゃない」て止められたコトない?

親はもちろん善意で言いよる場合が多いでしょう。
まーガキが単にうるさかったってのもあるやろーけどもさ、

まぁ善意でしょーよ。

でもその子供の爆発したエネルギーはどーすればよかったのよ。
不思議に感じたその疑問は未解決なまま胸にはさまったままやんか。



端的に定義してみましょう。

僕は思うんです。

命は

「ある」

なんですよ。

僕、「ある」もの!

僕という存在は「ある」よ。

僕の意見「ある」し、
僕の疑問も「ある」
僕のクセも「ある」

結果僕の生き方も「ある」んですよ。

世界も宇宙も「ある」やん。

やっぱ神様「ある」なんですよ。

コレ、当たり前でしょ?


なんで人は、人間は

「あるべき」

て言うの?

「こうあった方がいい」

とか言うの?


そのまんまで愛せんのかぃ!


裏を返せば

「あなたはそのままでは良くない!」

て言いよるのと同じやん。


仮にあなたの部屋に、まだ若々しい植物がいけてあったとするやん?
毎日毎日さ、水をやる時にね?

「惜しいねぇ。ダメだなぁ。このままじゃちょっとイカンねぇ。キミ、もうちょいナントカなった方がいいねぇ。」言うて水あげてご覧なさいよ。

絶対具合悪くなるから。


つまり命の特性でもある「機能性」の
「影」
みたいなモノが道徳なんでしょーよ。

そーしないと「ヤバいコトになる」みたいな強迫観念になってしまっとる。



もう一度冒頭のヤツ書くね。

{道徳}
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的、物理的矯正を伴う法律とは異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。 ~goo辞書より




機能の話、まだ続きます。






皆さん御役目ごくろーさま