ツインソウルによろしく

ツインソウルは愛の鋼の錬金術師

お久しぶりでございます。

 

前回の投稿から気がつけば相当の月日が経ってしまいましたあせる

 

思えば2024年は能登半島地震で幕を開け、荒れる龍の年でもありますし、今後の人生の選択というものもお一人お一人本当に大事な局面に向かっているのかな~と思います。

 

僕の最後の投稿がちょっとした体調不良の報告で終わっていることもありまして、ここで改めて『クンダリーニ症状』についての自分なりの見解を記しておきたいと思います。まぁあくまで個人の見解となりますが。

 

〇意識の大きな変化を必要とする時に現れる心身の諸症状。

 

大雑把に言うと個人的にはそのように理解しております。クンダリーニ上昇=霊的覚醒=超人ビックリマークみたいに理解されている方もおられるかも知れませんが、超人化したところで実質この世で役に立つことは殆どありません。

 

ウクライナとロシアの戦争しかり、イスラエルとパレスチナの酷い戦いしかり、何も抑止出来ません。何故なら彼らは彼らなりの‟自由意志”に基づいて行動しており、(仮にそこに洗脳の部分が含まれていたとしても)、その自由意志というものは本来尊重されるべきものだからです。

 

〇クンダリーニ症状=霊的危機

 

と考えた方が個人的にはしっくりくる気がします。人によって、或いは捉え方によって、それは良いものにも悪いものにもなり得る、ということでしょうか。

 

〇霊的危機は検査に引っかからない。

 

ポイントを挙げるなら、霊的危機における心身の諸症状は、三次元的な医療機器での検査には現れないということです。何か大変な病気にかかったんじゃないかと思って病院に駆け込んでも何ら検査に現れなかった、という方がおられます。

 

まぁだからこそ、眉唾?とあしらわれてしまう可能性も高いのですが、もしもご本人が、原因不明な何か?の問題に直面しているとしたのなら、その可能性も疑えば光明を見出すことが出来るかも知れません。

 

〇霊的な危機によって死に至ることはほぼない。

 

死ぬような思いを何度もされるかも知れませんが、実際に死ぬことはまずないのでご安心を。と言いたいです。余程意識が低下している時は危ないかも知れませんけど、それはクンダリーニ体験というよりはむしろ霊障と呼ぶべきものではないかと思います。

 

〇人生の転機に起きるクンダリーニ症状

 

おそらく大抵の方が、人生の転機を迎えている時、そのような症状が起きるように思います。多くの人が自分の人生を生きているようで実は‟思い込み”の人生を生きています。その思い込みはどこから来るのかというと、幼い頃のトラウマ体験であったり、自分の記憶の中にさえない‟過去世”のトラウマであったり、まぁ実は自由意志で生きていると思っていてもある意味殆どの人が‟洗脳”にかかって生きているのですね。

 

そしてそのまま生涯を閉じる方というのが今でも圧倒的に多いのではないでしょうか。ただしその場合は‟カルマ”を残したままということになるので、再び転生してくるパターンが多いでしょう。クリアするまで何度も同じゲームを繰り返す感覚ですね。

 

〇修行系の魂ほどクンダリーニ症状が起きやすい?

 

これは人生観と言いますか、「自分がこの世に生まれた意味」を問うようなタイプの方に主に起きる現象かな?と思います。ただこの世を楽しむために生きたいだけならそんな大変な思いを自ら引き受けることもないわけで・・・

 

必然と苦労を背負いこむタイプの人だったり、自分のことより人のことを優先してしまうタイプ、つまりこの世で何か体験を積んで自分の魂の学びにしようという、一回切りの人生だと「何と不条理な人生だ汗」と見えるかも知れませんが、そもそもが‟魂のサイクル”を生きていますから、そういう俯瞰の視点で自らを省みる必要があるのではないでしょうか。

 

〇魂の本来の目的は殆どの人が忘れてしまう。

 

それがある意味人生の醍醐味と言っても良いかも知れません。初めから何か悟ったように生きている人なんて面白味も何もないわけで、魂は肉体という鎧を被って生きていますから、その肉体意識に引っ張られて生きるということもありますし、そうしたむしろ一見無意味な体験こそが貴重な魂の学びとなります。

 

でもいつまでも魂本来の目的を忘れたままではいられないわけで、何処かで魂本来の道筋に軌道修正するタイミングが訪れます。ただしそれまで身体意識優先で生きていた人が、魂優先の生き方に変えるというのは相当に困難で、人によってはそれが心身の原因不明な不調となって現れる、つまりどうしてもこれまでの人生の延長戦上を進めないような状況に追い込まれる、

 

よってそれを例えれば‟霊的な危機(スピリチュアル・エマージェンシー)”ということなのではないかと思います。

 

〇クンダリーニの症状は人それぞれ、期間もまちまち

 

かな?と思ったら大抵は他の人の症状がどうとか、気になるものだと思います。ただし断言しても良いと思うのは、人それぞれその様子は異なりますよ、ということと、期間も人によって異なるでしょう。

 

僕と相方でも全く違いました。クンダリーニ上昇というのは、基底のチャクラに滞っていた霊的なエネルギーが脊柱を通って頭頂へ突き抜ける様のことですが、主要な7つのチャクラがきれいに開いていけば確かにそのような体験となるかも知れませんが、殆どの人はそのための訓練など積んできてはいないわけですから、となるとそれまでの自分の来し方によって影響に違いが出ると思います。

 

僕と相方の違いで言えば、相方の方は元々先天的に開いているタイプですから、それほど苦しまずに、ただエネルギーが活性化して霊的な啓示を多く受けるというような感じでしたが、僕の方はかなり無節操な生活をしていましたので、長いことはめていたギプスをとって関節を動かすような、立っているのもしんどいような時もありましたね。

 

諸症状について参考にされたい方はやや古い記事になりますが、こちらもご参照下さいませ。

 

 

僕たちに関して言えば、お互いに電流が走った最初の体験は一瞬のことで、でもその後緩やかに5~6年は優に続いていたように思います。でその後はどうなっていったかというと、段々と普通の人間になっていきます^^;

 

ただし普通の人間と言っても内的な探究を一通り終えて肉体意識に同調していくと、自分自身の中の迷いや、現実と理想とのギャップに苦しむなんていうことはなくなっていきますね。

 

〇結局どうしたらいい?

 

まずは受け止めることでしょう。ただし受け止めるには‟魂の声”を聞き自らを‟俯瞰”で捉える必要があります。人間ですから現生利益的な心配事や悩みがあったりもあると思いますが、クンダリーニの症状が発動している時にはそんなことでジタバタしても解決には結びつきません。かといって人に言われて納得出来るような信者体質ではない方は、

 

自分で自分の内側を、心の眼を使って見る

 

必要があるでしょう。

 

僕の場合はやはり相方の存在がとても大きかったことは言うまでもありません。相方はホメオパシーにも通じていて、色々なレメディを処方してくれたりしたのですが、それが効いたというよりは、僕のことを心配して色々と骨を折ってくれる、その行い自体が一番良かったように思います。

 

まさに、愛こそ最高のエリクシル(秘薬)。

 

ということでしょうね。

 

魂の目的に乗じてクンダリーニ症状が起きるならば、当然それを乗り越えるためのサポートも用意されています。近視眼的な目を閉じて、魂の存在を信じられるほどに寛容になれれば、貴方は目の前にそれが用意されていることに気づくでしょう。

 

滔々と自説を述べてまいりましたが、僕自身は自分の体験を通して、言わば一つの‟サンプル”として情報を提供してきた部分もありますが、結果今どうなっているかと言えば、

 

何の問題もなく、今のこの状況に満足していると言えます。

 

そしてそれは、誰にでも可能なことなのです。

 

過ぎてしまえば、辛かった出来事の方がむしろ良い思い出となっているものです。

 

音声配信の方の更新も滞ってしまい誠に申し訳ないことになっていますが、6月までに後何本か更新出来るかどうかというところでしょうか。7月以降は自分の身辺状況も大きく変化していきますので、その辺りのことはどこまでお話出来るか分かりませんが、

 

そもそも音声配信に致しましても、誰かのために使命でやっているわけではなく、勝手に辿り着いて、勝手に成長して、勝手に巣立っていってくれたらいいな、という趣旨のものでした。

 

それこそが一人一人の‟自由意志”を尊重していると思うから。

 

貴方自身の心の平和が、世界を平和に導くのです。

 

どうか良き魂の航海をビックリマーク

 

コウテツ拝

 

 

 

 

 

 

若者の性退却が叫ばれて久しい。日本性教育協会の調べによると、大学男子の性交経験率は2005年には63%あったものが2017年には47%に減少し、大学女子に至っては2005年62.2%であったものが2017年には36.7%にまで減少している。

 

若者は最早性愛に興味を失ってしまったのであろうか?

 

否、むしろそれは間違いで性愛に対して夢を抱かなくなったor抱けなくなった、のかも知れない。SNSの普及によりコミュニケーション領域は格段に広がったものの、その分密度は希薄になり、友達と呼べる人は100~150人程度いるものの、親友と呼べる人は一人もいないと嘆く若者が多いという。これなども人間関係が希薄になった証と言えよう。

 

だとしたら性愛に対する希求はむしろ高まるはずである。何故ならばそれが唯一現実生活から逃避する逃げ場だから。

 

ネットワークで常時接続された共同体社会では、個人の自由な言動行動は厳しく制限されるようになった。かつては仲間内の軽口で済んだものが、ネットに上がれば全方位から思わぬ袋叩きにあったりする。ライングループの既読、スルーに神経をすり減らし、交際が発覚すればどんな噂が流されるか分からない。

 

だから若者はこっそりマッチングサイトに手を出してみるが、そこで展開されるのは、モテが非モテを駆逐していくという残酷なまでの現実だ。

 

かくて若者は、性愛への関心がないかのように装いつつも、どこかで理想の体現を待ちわびているのではないだろうか?

 

かつては“祭り”があり、そこでは無礼講の性愛が容認された。男も女も訳知り顔で、気になる相手を射止めては、こっそり境内の裏の暗がりに消え入ることが可能だった。

 

だが今やその祭りでさえもシステムの中に取り込まれ、現実逃避出来る場所ではなくなった。

 

人間は常に逃げ場所を必要としている。共同体という社会の維持には、どうしたって規律や規制がつきものだから、どこかで非日常体験のガス抜きが必要となる。だが今やコンプライアンスが重視され、市井の一般人までもがポリコレを求められるに至っては、

 

非日常体験の最たるものとしての、“性愛”以外に残された逃げ場はないようにも思われる。

 

だとしたら、ツインソウル、ツインレイの性愛は、新たなる性愛のロールモデルとなるかも知れない。言葉の定義をこの場で論じるつもりはないので、ここではツインソウル、ツインレイ=唯一無二の魂の伴侶として扱うが、

 

ツインソウル、ツインレイは恋愛に伴うまどろっこしい手続きが必要ない。出逢った瞬間魂と魂が直結するのだ。(ただしその前に人間的な鍛錬が積まれている必要はあろう)ツインソウル、ツインレイの性愛は恋愛でさえない。何故なら“もう一人の自分”と“恋に落ちる”ことなどないからだ。

 

ツインソウル、ツインレイは一たび出逢うと、ネットワークに散らばった無数の“自己”と遭遇する。それは過去世において無残に砕け散った魂の残滓だ。その振動数を聞き届けたら、二人で協力して回収し、今ここに統合する作業に入る。

 

それこそ正に日常を超えた変性意識体験で、最早没入せずにはいられまい。

 

だがしかし一過性の祭りと異なり、ツインの性愛に終わりはないので、日常生活に戻ることは困難を極める。むしろ永遠に続く魂の営みこそ真実であると気づくので、一過性の人生に対する興味を失うことさえあるだろう。

 

またツインソウルの統合の道のりは決して簡単なことではない。ほんとうの自分を知るために、ほんとうの自分になるために、数々の手放しと忍耐を要求されるだろう。この時、早送りで動画の結末を知ることに慣れていた者は後悔するかも知れない。

 

かつての純愛のロールモデル、例えば、ドラマ「赤いシリーズ」などで注目された山口百恵と三浦友和に憧れた者は多かっただろう。だが多くの者が夢破れていったのは、自分でないものに憧れたからであり、お互い別々の夢を見ていたからであろう。だがツインソウルの相手は貴方にとってたった一人の存在なので、夢が破れるというようなリスクはあり得ない。

 

その代わり様々な困難や試練が要求されることになる。

 

自分の意識を総動員して、体験から得た学びを駆使して、真実の愛という絶対神に膝をつけば、かつて得たこともないような気づき、かつて得たこともない性愛に震えるだろう。

 

その上でなお、百恵と友和のように、現実でも二人三脚の人生を歩むことも不可能ではない。

 

だがその、三次元の究極とも思われる生活を味わうためには、アセンション(次元上昇)した上でのディセンション(次元降下)が必要となる。体験から学び、苦手を克服していき、肉体という精緻な器に目覚めた魂を同期させていくのだ。

 

人々の肥大化した性愛の欲求が彷徨う時、マーケットには様々な商品が並ぶだろう。二次元アイドルとの結婚、貴方専用にプログラミングされたチャットボット、偽ツイン詐欺師まで登場するかも知れない。

 

だから貴方は、ツインソウル、ツインレイなるものに夢を見てはならないのだ。だが人類補完計画の最終目標が男性性と女性性の統合ならば、

 

今生なのか未来世なのかは分からないが、いつか必ず出逢うことは明白なので、

 

知識は無意識領域に放り込み、日々試行錯誤を重ねながら、後悔のない道を歩み続けるだけで良いのかも知れない。