喜・怒・哀・楽


『怒』が
わからない

そんなところがある
わたしでした。


感情は

『怒』を飛び越えて
『哀』のほうにいっていたのだろう

それは『慣れ』から来るものなのだろう


そんなこと

随分後になってから

腑に落ちていきました。







けれど


わたしの代わりに怒る人は居ました。



最たる人が夫。



だからこそ

思いを夫には
話せない

そんな昔もありました。


今は
喜びや楽しみはもちろん

哀しみも
たぶん
怒りも

どんな感情でもいちばん

聴いて欲しい人
話したい人
話せる人に

なりました。




今日お目にかかったかたも

わたしの唄いかたのことで

何方かが言われた言葉を
わたしに伝えながら
感情をあらわにしておられました。




いいのいいの
相方たちが
わたしがそんな風に唄うこと
それでいいって
そう言ってくれてるから
それでいいの

唄ってと
お声かけくださるかたがたも
こんな質のわたしをよぉくご存知で

だから
そんなカタチしかしてないし
そんなカタチしかできないし

いいのいいの

その上で
聴いてくださったかたがたが
また
聴きにきてくださるなら

それでいいの

ううん
それがいいの



そんな話しを午前中

おしごと先でしてきました。




午後から

月末の演奏会のための練習をします。



わかってて欲しい人が

わかっててくれてたら


それでいい。


そのためなら

やりとりも

うるさいくらいにするのだから。

めんどうくさい女やよ。



自分の道を進もう。




via ピュア銀木犀Kei
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