昨夜、19歳の青春真っ盛りの娘と恋バナをしていて、娘の恋愛感を聞いて会話を繰り広げる中で、「人として」という言葉を私が発すると、娘が、『「人として」ってどういうことをいうの?』と質問された。
内心今頃?とも思ったが、きちんと説明(笑)

あくまでも以下の内容は、私が考える「人として」とは?の返答

保育園、幼稚園レベルで習う事。

以下は、1部例として。

明るく元気に挨拶。
人の嫌がることはしない、言わない。
嘘をつかない。
騙さない。
叩かない。
自分がされて嫌なことは、相手にもしない。
自分勝手な行動は謹む。
みんな仲良くする。(思いやりを持つ、相手も自分尊重する。)
困ってる人がいたら助ける。
命を大切にする。
人のものは、盗らない。
時間、順番を守る。
ゴミは、ゴミ箱へ。
使ったら元に戻す。(みんなが使いやすくする。)
自分の気持ちをきちんと伝える。
相手の話をきちんと聞く。
悪いことをしたら素直に謝る。
喧嘩したら仲直りする。(許す。)
なにかしてもらったら、ありがとうと感謝の気持ちを伝える。
などなど…

子育てした時、または、自分が小さかった時、親から子へ、大人から子供へ教育や躾の第1次期に教わる事、教える事。が、「人として」ということでは、なかろうかと私は思う。

以外と社会を見渡したり、身近な人を、または、自分を振り返った時、大人でも出来てないというか、大人の方が出来てないこともたくさんあると思います。

幼少期、教わったことに素直に「はい!」と返事をしてやっていたことが、いつの間にか、大人になるにつれ、やってもらって当たり前、恥ずかしさや見栄(プライド)や欲望、マウンティング(優劣)という大人社会で身に付けた鎧によって「人として」根本的なことを忘れてしまって生きていませんか?

この根本的なこと、過剰に「~し過ぎる」必要は、ありませんが、みんなが「人として」をやっていたら、もっと世界は、平和になるのでは、ないでしょうか?

誰の為、何のためにそれをやるのか、今一度立ち返ってみると自分という人が見えてくるかもしれません。


「そこに愛は、あるのかい?」byあんちゃん


人間時々は、間違ったことをするかもしれません。
でも、気づいたならそれを正していくのもまた、人間なのだと思います。
本能のままに生きることは、時にパワーになりますが、パワーの使い方を間違わないようにしたいものです。

幼稚園児、保育園児、動物以下にならないようにご注意を!