中国語の意訳のおかげで頭ぐるぐる | 如月隼人のブログ

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何度も書いているように
欧米なんかで新たな用語が登場すると
中国ではたいていの場合
中国語に意訳されるのですよ

音訳語が登場することもありますけど
たいていの場合には意訳語も考案されて
たいていの場合には
意訳語の方が多く使われるようになります

この点
今の日本語は貧弱なのですねえ
カタカナ音訳語にして
「ハイ、おしまい」

なぜ貧弱かというと
意訳語を作る場合には
原語の意味や使われ方をよく考えねばならない
今の日本人はその作業をサボりにサボっている

江戸時代から明治時代にかけては
日本人もオランダ語とか英語の訳語をせっせと作って
その日本語訳語の多くが中国語に入った
現代中国語では日本で作られた語や
日本で西洋伝来の新たな意味を追加された単語が
大量に使われています

中国では
そのことを明記する記事が発表されて
「古代には中国が日本に文化の恩恵を与えたが
近代になると日本が中国の文化に恩恵を与えた」
てな主張が展開されることがありますから
少し教養がある中国人ならば知っている事実です

ただなあ
意訳というのは難しいものでしてねえ

例えば
最近になりよく使われるようになった
「賽道(サイダオ)」と言う語
「賽」は「競い合い」なので
「賽道」は「競い合いの道」


この「賽道」は
“ circuit (サーキット)”の意訳語です

語源はラテン語の“ circuitus (サーキトゥス)”で
circum (丸く) + īre (行く) + -tus過去分詞語尾
の構造だそうです

要するに競技場で競走をする場合に
距離を長くするために閉じた道をぐるぐる回ることから
できた語なのですね

でもって中国語の「賽道」では
「ぐるぐる回る」の意味が無視されて
「競走する道」ということになった

それでもって
中国語では最近になり「賽道」が
「新賽道」てな具合でよく使われるようになったわけです
一種の流行現象みたいなもんですかね

これは
企業とか経済が進んでいく新たな方向を意味します
「これが新しい方向の道であって、競争も発生するのだから早く歩み始めねばならない」
てなニュアンスです


ただなあ
元の語に戻して
“ サーキット ”てな訳語は使えないよなあ
日本語として使う“ サーキット ”という語にも
「ぐるぐる回る」という語感がありますからね
「企業の新たなサーキット」なんて訳出したら
ワケがわからなくなる
まあ「新たな道筋」とか
「新たな競争の道」てな具合に訳すしかないなあ

そうそう
“ circuit ”という語には
別の使い方もあるのでした
“ electrical circuit ”です
こちらは日本語でも
「電気回路」と訳されている
恐らくは明治あたりに作られた語でしょう
見事な意訳です
電流というのはかならず
定められた閉じた路線をぐるぐる回っているのだから
その路線は「回路」
お見事です

でもって
“ electrical circuit ”は短く“ circuit ”の形で使われることもあり
「電気回路」は短く「回路」の形で使われる場合もあります

さてさて
中国語で「電気回路」は何というのか
「電路」と言うのでした
日本語でも「電気回路」のことを「電路」ということがありますけどね

さてさて
欧米語では新たな事物とか概念を表すために
古い言葉を借用することがよくあります
そのような言葉を漢字語に訳す場合には
漢字というものはやたら多くて
意味が細分するので
「該当する漢字がない」ということはまずありません
漢字の組み合わせて訳語はほぼ間違いなく作れます

ただなあ
“ circuit ”と言う言葉を漢字語に訳するならば
“ circuit ”と言う言葉は競技場のサーキットと
電気回路の両方に使われるのだけど
一つの訳語になるように工夫した方がよかったよなあ
それから「賽道」の場合には「ぐるぐる回る」の意味を捨てたので
「新賽道」てな具合に「競争する」の部分の意味だけが独り歩きして
ややこしいことになった

「新賽道」の場合には自動翻訳が
新たな使い方であることを理解せずに
「新たなサーキット」と訳出するようですね

先ほどから仕事のために
中国語を自動翻訳にかけて
「デジタル経済という新たなサーキット」てな表現がどっと出てきて
私は頭の中が「ぐるぐる」回り出したので
悔し紛れに
この投稿文を書いたのですけどね