例によって妙なことを思い出した | 如月隼人のブログ

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中国語では銃のことを<枪(チァン)>と言います
これは中国で使っている漢字の略字体である簡体字で
中国語を学び始めてしばらくして
本来の字体は「槍」と知りました

やり?
どういうこと?

まあ考えれば
分からぬでもありません

新兵器だったのだから
もともとあった武器名を使いまわしたのでしょうな


中国語では「槍」と言う言葉で銃を指す

ここまでは知ったのだけど
そこから先は調べなかった

これは私だけだとは思いませんけどどね
なにか「知識の入口」にたどり着いた時に
「後で調べよう」
とか
「そのうち調べよう」
と思っていたのでは
絶~対に忘れてしまいます

調べようとしたことを忘れ
何を調べようと思ったかを忘れ
調べたことまで忘れてしまう
(この3行は綾小路きみまろ風にお読みいただきたい)

ということで本日はたまたま
<枪>という文字を見て
調べようと思って忘れていたことを
思い出したわけです

まず疑問なのは
日本語の「銃」
日本にだってそれまで銃はなかったのだから
恐らくは別の意味を持っていた漢字を借用した
でなければ新しく文字を作ったい違いない

でもって
まずはいつも使っている「藤堂明保編 学研漢和大字典」を調べてみたわけです

するとこんなことが書かれていました
-------
【銃】
斧にある柄を差し込むための穴
もとは金属に穴を開けて物を通す事
「充(つめこむ)」との連想から鉄砲の意味に使うようになった
-------

なるほど
所期の銃は弾を先込め式に銃身に入れたので
「金へん」に「充」でしっくり来たのかな

それから
中国語のページでは別の説明もありました

中国には長い柄の先に金属製の刃をつけた武器がいろいろありまして
「槍」はその一つでした
五代十国の時代(907年 - 960年)には
「槍」の先に火薬を取り付けて炎を噴射する武器が使われていたらしい
とのことでした

さらに下って南宋の時代(1127-1279年)には
南宋がこの武器を使って金はモンゴルの騎兵に対抗していたそうです
武器の名称は「火槍」または「梨花槍」

日本人が初めて火薬を使った武器を見たのは
1274年の文永の役だったようで
「蒙古襲来絵詞」の記録に残っていますよね
このときの火器は「てつはう」と呼ばれたのでしけど
弾丸を発射するのではなくて
大きな音を出して爆発して
主に相手を威嚇するための武器だったとされています

文永の役の1274年には南宋がかろうじて存続していたのですけど
支配地域はずいぶん小さくなっていたから
投降した南宋の将兵が火薬を使う武器をモンゴル軍に伝授したのかもしれません

その後
筒状にした鉄の中に弾丸を込めて
火薬の力で発射する武器が登場しました

明代(1368-1644年)には火薬を使う武器
つまり火器は主に「銃」と呼ばれ
「槍」は主に
従来型の長い柄と金属製の刃を使った武器はを指したらしいのですが
清代(1644-1911年)には
「槍」と言えば今でいう銃を指すようになったそうです

そうそう
火器を表すもう一つ言葉の「砲」ですけど
こちらはばね仕掛けで石を発射する武器だったそうです

「蒙古襲来絵詞」を見ると
空中を飛びながら破裂している大きな弾丸のようなものが
描かれています

この元寇の激戦地になった鷹島の沖合からは
「てつはう」の弾丸だったと見られるものが引き上げられており
重さが2キロちょいの陶製の弾丸だったそうです

陶製だったら今の大砲のように金属の筒からは発射できないでしょうし
重さが2キロもあるなら
人の手では投擲できません
ですから昔ながらのばね仕掛けの機械で飛ばした
だから名称に「砲」の字を用いた

私はそう考えるわけです

ううむ
長年にわたって疑問だったことを
とりあえずは解明できた

よかったよかった