夏への慕情 | 御舂屋(おつきや)のブログ

御舂屋(おつきや)のブログ

2014年からブログを書いていますが、最近半分以上ブログを消しました。

我が家から遥か以北。今度は戌亥(いぬい 北西)へと向かって走る。
夏を満喫しにいくため。

仕事があったとしても、この日だけは遊びに出かけただろう。夏は短い。それとも長いのか。遊ぶための時間と考えれば、何もしなければ、あっという間に過ぎ去る。
そのことを予見している。
やおら、支度して旅が始まっていた。流れる風致を楽しむよう、運転しながら吟ずる。
思い返すと、愛しくなる。ある日の邂逅と出来事。僥倖を与えてくれた諸人と天地神明に感謝したいと思えたひと夏だった。

水蜜桃の暮色が水平線の上の蒼茫をいつしか染めていた。
透き通った汐が岩場に打ち寄せる。果然、一人帰路に戯れ、佇み儚むのは何故か。俺は見つめる。
悠然とした態度。沐浴するような風の中で、燦爛とした想いを受け取る。
みずみずしくて爽やかな面映ゆい笑顔。表面を曲面に磨いた黒い宝石が見つめ返す。それら全てが美しい海の鴻恩となっていた。



城趾のような場所で機会があり、何か楽しそうな古い写真を多数、拝見したのだが、私個人のその日の往時もそれほどに価値ある鉱石のような存在として、心の杏仁にて淡く癒し続けるのだと思う。
昨日今日のことなのに、もう懐かしい気持ちになっている。そういうように感応するということは、とてもたいせつなことのことを示しているのかも知れない。
寂寞としている田舎をそぞろ旅していると、昭和の時代から外観そのままのデザインで続いている店なんかも営業している。俺の感性では昭和
のイメージとは、色鮮やかなネオン、サーカス、シックな洋館、ストライプ柄のテント、夏、グラスにレモンを挟んだジュース、軍色、銀座
ルノアール、テーブル筐体からキュートな効果音の鳴り響くゲーセン、1980年代のイギリスのハイエナジー ダンスミュージックシーンの美容ファッション、劇画タッチ、木琴
のBGM、ピアノブーム、レストラン、ウェイター、ウェイトレス、スーパーカー、厚化粧、
角ゴシック体の日本語、筆記体の英語、本物指向、生々しい、大人社会、無規制、人口少ない、車少ない、リアル、夕やけ、童謡、演歌、石焼き芋屋台、温情ある教師、などだが、何が昭和で、どれが違うのかは昭和を過ごした人でなければわか
らないだろう。客観的に1970年代後半以降に生まれた人間は昭和の人ではないと思っている。



だから、昭和を知る楽しみが私たちにはある。もしそうでなくても、古い建築物や物にたいする興味は得られることだろう。
どうみても30年前ほどから変わらず営業している店を見て感動して、少しだけお金を使ってしまったのだ
が、それはその店にたいして私の恭しい気持ちを表すためである。
価値において対価を支払ったということだ。旧時代の感覚に浸らせてくれたのだから安いものだ。私個人としては、これら昭和の生きた化石や建築物を国の重要文化財に指定してほしいぐらいだ。


フルーツパラダイス

フィーバーパワフル

たぬ吉くん

何もかもが昔の物で選択されている。俺はある意味過去を生きている。かといって支障になるものはなにもない。ならば、その生き方は自由と言っていい。
恋人の女性やテクノロジーは現在の恩寵を受けるのだけれども、それ以外は可能な限り、時の澪の我が道を行くのだ。
芸術はすでに出尽くした。今は遺産として残るだけであろう。時代は甘井先竭だったのだと思う。










■漢字読み方

やおら………ゆっくり落ち着いて、とりかかること。

風致………ふうち。景色。

邂逅………かいこう。思いがけない出会い。

僥倖………ぎょうこう。思いがけない幸せ。

諸人………もろびと。人々。

天地神明………天地の多くの神々。

水蜜桃………すいみつもも。桃の一品種。果実は大きくて甘くて水分が多い。

蒼茫………そうぼう。空。

果然………かぜん。はたして。

沐浴………もくよく。お湯につかること。

燦爛………さんらん。きらびやかな。

面映ゆい………おもはゆい。照れ笑い。

鴻恩………こうおん。恵み。

城址………じょうし。城の跡地。

そぞろ………何となく。

杏仁………きょうにん。あんずの種子の核の中にある肉。

寂寞………せきばく。しんとして、寂しいこと。

澪………みお。川や海の深いところ。

甘井先竭………かんいせんけつ。
甘井は良い水の出る井戸のこと。
才能のある人は、早々とその才能をきらしてしまいがち、だという例え。













Android携帯からの投稿