↑の続き


記憶が曖昧にならないように、当時作った「ガレキ時系列」から


私がひなん者お話会を追い出された後の記録


7.10  公開スカイプで2人の主宰者、トエとマリバロンが「震災避難者お話会」の今後について話し合った。


 このスカイプでの話し合いで会を分ける事になった。「ひなん者お話会」の名称は完全になくなった。


*たぶん「ひなん者お話会」の名称がなくなったのが「反対運動の乗っ取り成功」の合図だったはず。


 トエはひなん者お話会のブログと100人在籍していたメーリングリストをマリバロンに渡した。


*メーリングリストはマリバロンの選挙活動に必要だったんだよね。

*合意の上であったとはいえ、お話会のアイディアを最初に出したトエはなぜメーリングリストを簡単にマリバロン渡してしまったのか、、、瓦礫受け入れを止めるために人手が必要なのに。今も腑に落ちない。


もうひとつ今でもわからないことは、


トエとマリバロンのスカイプ会議が行われたわけだが、トエは公開されていた事をなせ私に言わなかったのだろうか。トエからは会議の内容と上記の決まったことしか教えてもらえなかった。


私はだいぶ後になって、スカイプ会議が公開だったことを知ったのだが、トエは公開スカイプであることを知っていたはずだと取材を受けた地元の新聞記者に教えてもらった。


私を追い出したメーリングリスト上で、マリバロンからマリバロンとトエのスカイプ会議の日時とURLが回って来て、それにトエが返信していたこと、トエはメーリングリストから外されていなかったこと、トエとマリバロンのスカイプ会議が公開だったことを教えてもらった。


記者はこの公開スカイプ会議で「トエとマリバロンはヒステリーに喧嘩してた。まともな人はみんなあのスカイプ会議を見て運動から離れたんだよ」と当時の感想も言っていた。


*私も、なぜ二人は公開スカイプと知っててわざわざ喧嘩したのか、瓦礫受け入れを止めたいのであれば、この公開の喧嘩は流石におかしいと思う。


このスカイプ会議の後、しばらくトエと会えなかったのだが、運動を止めるわけにはいかないので、私はこういう活動の初心者だが、①~③思い付くまま動いてました。


①シャーク大佐(自称市民運動家)を北九州に呼ぶことは、私がトエにメールで相談し許可をもらった上でミッチーと私とで依頼した。北九州での勉強会の日程は8/26、行政交渉は翌日に決まった。


②はミッチー(自称市民運動家と既に繋がっていた人物)が山口県に住む市民運動家に紹介してもらい、面会日7/26を決めた。


③については、私とミッチーが連絡の取れるところ全てあたって、会いに行った。


 シャーク大佐(自称市民運動家)の勉強会の一ヶ月前の7.26 に私とミッチーは久留米の弁護士と面会した。


以下は弁護士から言われたこと


弁護士は差し止めの仮処分申請で勝つのは相当難しいが、それでもやるなら、一人2万円で1000人集められれば、市民運動として引き受ける。


ということだった。


依頼するだけで2000万必要なのか、、、


かなりハードルが高い。


ミッチーは直ぐに私の名前で会をつくり、動きましょうと言っていたが、私は、シャーク大佐(自称市民運動家)の勉強会を聞いてから決めたい、弁護士に返事は少し時間が欲しいと伝えた。


(数人で2000万集めるのが現実的ではないと思ったから)


とはいえシャーク大佐の勉強会まで一ヶ月あるので、私とミッチーは2万円で差止めの仮処分申請をやりたい方を募集し、何とか100人以上を集めた。


7.27 震災ガレキ受け入れについて、北九州市と宮城県をマリバロンを先頭に142人の原告団、代理人エスベン弁護士が提訴した。


*正直マリバロンとエスベンの訴訟にはもっと集まると思ったが、現実的ではないと思った人が殆どだったのか、意外と少なかった。北九州市役所に集まったあの人達はいったいどこへ行ったのだろう。


7.29  山口県知事選挙(山口在住の市民運動家ハム門の呼びかけにより、飯田哲也候補の応援にたくさんの瓦礫反対運動員が選挙運動に駆り出されていった)


*首長の決定に他県の知事が反対したところで瓦礫受け入れは止まるわけないのに?みんな阿呆なのか?と思いつつ、みんなの目が覚めるのを待つしかない。私は一人で手作りチラシを一件一件渡していた。


7.30 私法事で帰省中、複数の団体が、北九州市内の小中学校に「放射能安全チラシ」を配布した件について、教育委員会へ質問状提出。


*なぜか、瓦礫受け入れに反対と言っていた人達は、瓦礫受け入れと関係ないことに労力を使っている。


そして、迷走する反対運動を嘲笑うかのように


7.31  北九州市と宮城県が震災ガレキ受け入れの基本協定を締結。


8.1 北九州市が宮城県と震災瓦礫受け入れ事業を正式に締結した。