~ある吃音者の手記~

~ある吃音者の手記~

ある吃音者の手記

これまでメールマガジンで配信しておりましたが、メールマガジン配信サイトがサービスを終了した為、そこで過去に配信していた文章と全く同じものをデータ保存の目的で此処のブログに転記しています。
新たに書くものに関してはこのブログで更新していきます。



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車の中で朝から夕方まで阿呆のように時間を潰す日々は本当に苦痛だし惨めになる。

何かの苦行のようにも思えるが、当然習得するものは何も無い…。

何ヵ月も車の中で座り続けているだけだと驚くほど足腰が弱る…
今は60代並みの体力ではないだろうか…。

多少車から出て歩いたりもするが…さほど意味は無いように思える…。

もう若くは無い年齢で、それでいてこんな生活なのだから、もうキツイ肉体労働なんかは出来そうにない…


以前のような日雇い労働で一日中荷物運び等というのは、今の自分ではとても勤まらないだろう…

「お前みたいに肉体労働しか出来ねぇ奴がいつか歳取って肉体労働も出来なくなったらどうすんのよ?
死ぬしかねぇだろ、何でお前みたいな奴がホームレスにもならねぇでよ、いつまでも親の金あてにして余裕こいて生きてんのよ?
ほんとクズだなお前、なんとも思わねぇのか?」
と昔、身内から罵られた事が頭をよぎる…。


こちらも決して好きで生きている訳では無いのだが…

確かに親はいつまでも居る訳では無い。
いずれは自分一人で、自分の収入だけで生きていかねばならない。


吃音だし、どうしても耐えられず辞めました、数ヵ月無職です、では間違いなくホームレスになる。

そもそも39歳の男が未だに実家暮らしで親に寄生する形で生きているとは…なんと情けない事か…


そんな事は自分が一番分かっている…。


いずれは死に際も自分で決断しなければならない時が来る事も、分かっている……。



さて、どうしたものか…



今日も相変わらず朝からコンビニの駐車場に車を停めて、ボーッと携帯を見ていたが、隣に車を停めて降りて来た人がずっとこちらを見ているような気配を感じた。

そちらの方を見てみると、「あら、久し振り~」と声を掛けられた。

数年前に働いていた職場の女性パートさんだった。

以前、某工場で2年間も充実したバイト生活をおくり、悲しい別れで去った職場の。(第111回から第115回参照)


自分の社会生活の中で一番特別な想いのある、あの職場の従業員の女性だった。

このパートさんは僕が入社した当初から親切にしてくれた人だった…。


僕は内心慌てて顔を伏せるように下を見た…。

「元気だった?」と続けて声を掛けられたが…

僕は下を向いた状態で只、「あぁ、はい…」とだけ答えた…。

そして、僕からの返答がそれだけだったので…少し間を置いて「頑張ってね」と言ってその女性は去ったが、その時も僕は、一切顔を上げる事も無く、うつむいた状態で、ペコッと何度か頭を下げるだけだった…。


本当は普通に挨拶がしたかった。

思い出深い職場の、親切にしてくれていたパートさんとの、数年振りの再会なのだから、少し会話なんかもしたかった…



乙女心という訳ではないのだが、見られたくなかった…。

今のこんな自分を、この人に見られたくなかった…。

数年前あの職場で働いていた時より今の自分は10キロ以上太った……まぁ車の中で一日中座っているだけという日々も長いので当然なのだが…。

それに加え、こんな生活をしていると身だしなみもどうでも良くなるので、この日は寝癖の頭に無精髭も酷かった…


要は恥ずかしくて今の自分を見られたくなかったのだ…。


今のこんなみっともない自分の姿を、あの時の職場の人にだけは見られたくなかった…。


最悪の再会だった…。



あの女性からしてみれば、せっかく数年ぶりに会ったのに、ずっとこっちも見ないで下を向いたままだし、随分無愛想だったな、数年会わなくなると随分冷たい態度だな、とがっかりしたに違いない…。

そう思われて当然の態度をとってしまった……。

色々とお世話になった人で感謝もしているのに…


本当に心苦しい…



申し訳ない…



この日の再会を何度も思い返し、そして悔いた…



こんな惨めな人生を送り続けて行くという事は、過去の大切な思い出までも汚して行く事になるんだなと実感した。


こんな不甲斐ない「今」を生き続けるという事は、過去の思い出や自分と関わった大切な人達をも踏みにじりながら生きるという事になるのか……




いずれは汚点だらけの悲しく薄汚れた人生、のみになってしまうのかも知れない…





自分はこの重苦しく暗い、陰鬱な螺旋の中を、一体いつまで生き続けるのだろうか…。