こころのエゴと向き合いはじめたとき



自分の本音が
とても 聞こえてくるようになります
今まで 相当に 押さえつけてきた場合、
ダムの決壊のように 溢れ出てきます
また
自己愛に 真に目覚めはじめるので
最初は今までの分を取り返そうとして
とても 「敏感」になることが あります
ちょっとでも 傷つくのが いや。
ちょっとでも 心地わるいのは いや。
ちょっとでも 不快なのは いや。
という反動が 言動に 溢れ出てきます。
そこから 少しずつ バランスされてきます
調和されてゆきます
もっと 高い視点で
とりまく世界を 観るようになります
自分自身に…   
^ ^
そうすると
自分のバロメーターは知りつつも
世界や ひととの調和が
自分なりに みえてきて
「敏感」から 「繊細」へと
変わります
「敏感」と「繊細」は 似て非なるものです
「敏感」には
恐れの意識から 分離を描き出します
批判や 白黒、 
どちらが いい 悪いなど
エゴが 執拗に 最後のあがきのように
「分離」を作り出そうとします
「どちらが 心地いいかな」
というのが 
最初の問いかけであったのに
時に
「どちらが 正解かな」
という テストの解答用紙のような
頭の思考が 止まらなくなったりします
いっぽう、
「繊細」には
柔らかな 共感と思いやりが 
自然発生します
「分離」として捉えるというよりも
「繊細」なタッチで「ワンネス」を感じる…
という表現になるでしょうか
「繊細」であるワンネス感覚とともに
自己愛も 同時にたってくるので
自己犠牲を払わずに
真摯に想いを 伝えることができます
ワンネスとしての 愛の感覚の発生と
自己愛としての 尊厳と
両方が バランスされていきます
これは 正直 
わたし自身が 通ってきた 道を
お伝えしました
ですから これが 正解と不正解とかという
お話しではなく
ひとつのエッセンスとしてのお話しです
実際に 体験した ひとつの事例です
エゴに 気づき始めると
こうして 何度も 
荒ぶり 揺れ戻しが 起こることは
たぶん 確かなようです
揺れ戻りで 
また 振り戻しになることもあれば
エゴのあがきで
大好きなひとが 大嫌いになってみたり
すぐにまた ひっくり返ってみたり。
このように コロコロ 
気分があちこち 変わるときは
「本当の想い」では ありません
あっちにぶつかってみたり
こっちにぶつかってみたりする 
赤ちゃんのように
バランスするための「育み期間」と
捉えてよいでしょう
お天気のように まだ 
揺れているとき なのです
そういう時ほどこそ
見られているんですよ
「宇宙」に
「師匠」に
「世界」に
この子は それでも 
這い上がってくるのかな? って
ぶれないところに入ってゆく 
扉のきっかけを
ひとつでも
作っておくことが 大切かな と。
それが 「夢」
と呼ばれるものです
寝ているときの 夢では ないですよ。
やはり その先のビジョンというものは
エネルギーラインに乗り続けてゆくための
美しい 光の灯台となり
未来からの風に 包まれ
穏やかな 愛を 感じれたなら
それは まさに その先から吹いている
優しい南風なのです
やはり 夢というのは
光りであり 希望であり 
見続けたさきに 
なにかしら 智慧を授かるものです
丹原尚美







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