■“国家間の葛藤解いたすばらしい事例”朝鮮通信使ユネスコ登録! | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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『朝鮮日報』が記事で紹介していた「正徳度朝鮮通信使行列絵巻」。
7月の大阪ツアーで私も立ち寄った大阪歴史博物館に所蔵されているんですね。



●「平和と善隣外交の象徴」


昨日はとても嬉しいニュースがありましたよね。ご存知のように、日本と韓国の民間団体が共同で申請した、「朝鮮通信使」に関する歴史資料がユネスコの「世界の記憶(世界記録遺産)」として登録された、という知らせです。日本では、朝鮮通信使の痕跡としての文書や絵巻などが残っている全部で12の都道府県が集まって「朝鮮通信使縁地連絡協議会」をつくり、韓国の釜山文化財団と共に申請したということですね。


まさに、平和と友好の象徴としての日韓文化交流の美しい歴史が再発見されていく契機となることを願うばかりです。韓国でも大きく報道されており、たとえば、今朝の主要日刊紙『朝鮮日報』には、「朝鮮通信使」が「平和と善隣外交の象徴」であり、「韓日間の略奪と戦争の時代を、共存と平和の時代に変える役割を果たした」、「国家間の葛藤を解くことができるすばらしい歴史的事例という点をユネスコが認定した」として以下のように報じられていました。



■韓日が手を取り合って…「朝鮮通信使記録物」を世界遺産にした(朝鮮日報)


「2階建の家と翼を広げたような楼台が雲の中に輝いており、あまたの人家の垣根と壁も皆きれいだ。小さな地面でもただ放ったらかしにしておく所がない」――1719年、朝鮮通信使一行の製述官として日本へ行った文人・申維翰は、紀行文である『海游録』の中で、大阪の賑やかで清潔な市街の姿を綴った。いっぽうでは、彼に漢文を求めて集まってくる日本人たちが、「文章の体裁がよくなく拙い」と評しては自負心を表しもした。申維翰は、朝鮮と日本の両国の外交関係だけでなく、近世日本の発展の姿と制度をつまびらかに記録した。


『海游録』を含む111件333点の「朝鮮通信使記録物」が、「朝鮮王室御宝と御冊」、「国債報償運動記録物」と共に10月31日(韓国時間)、ユネスコ(国連教育科学文化機構・UNESCO)の世界記録遺産に登録された。朝鮮通信使の記録は、韓日両国が世界記録遺産登録を共同推進して成功させた初めての事例だ。韓国の釜山文化財団と日本の「朝鮮通信使縁地連絡協議会」が先頭に立った。両国は登録の過程で、この記録物が「平和と善隣外交の象徴」であることを強調した。朝鮮通信使の記録は、韓国の国立中央図書館、国立中央博物館、国史編纂委員会、釜山博物館などに所蔵された63件124点と、日本の大阪歴史博物館などに所蔵された48件209点であり、外交記録、旅程、文化交流の記録などを包括する。


朝鮮通信使は、壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)が終わって、9年後の1607年から1811年まで、朝鮮が日本の幕府の要請によって日本に12回派遣した外交使節だ。戦争によって断絶された両国の関係を乗り越えて友好を再確立するために始まったこの外交使節団は、朝鮮時代後期の両国の文化交流の中心的役割も遂行した。300~500人に達する通信使が日本に行って来るのに、6ヵ月から1年がかかり、訪問地ごとに書画と詩文を残した。孫承喆・江原大学名誉教授は、「朝鮮通信使は、韓日間の略奪と戦争の時代を、共存と平和の時代に変える役割を果たした」とし、「国家間の葛藤を解くことができるすばらしい歴史的事例という点をユネスコが認定したといえる」と語った。


出処 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/11/01/2017110100217.html



実は、かくいうこの私も今年の春に、登録推進に向けて盛り上がる日本現地の記念事業の一環として、静岡で講演を頼まれていたのですが、別の日程と重なってどうしても行けなくなってしまったんですよね。とても残念だったのですが、その団体の方が昨夜、この朗報が大きく載った『静岡新聞』夕刊の1面、2面をスキャンして送ってくださって、とても喜んでいらっしゃる姿に私も胸が熱くなりました。よかった、よかった!ヾ(≧∇≦)〃♪



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