イエスの「麦と毒麦のたとえ話」、その2 毒麦は無視すべし。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日に引用した「イエスの麦と毒麦のたとえ話」は、
「毒麦(敵対者)が何を言おうと、何をしようと無視して放置しておきなさい」
という忠告だが、この言葉が思い浮かんだのは、あることがあったからだ。

私も一般的には全然有名ではないし、今まで本を何冊か出版してもあまり売れなかったし、このブログにしても200人ちょっとくらいしか見ていないのだが、
1985年にこの説を思いつき、1985年から今までに本を6回(7冊)出版してきた。
1999年にノストラダムスが話題になった時には何回かテレビにも出演した。
オカルト、預言、宇宙人関係という非常にマイナーな世界ではあるが、その中では一応名は知られている。
勿論、そのマイナーな世界の中でも私の存在を知っている、憶えている、というのはごく一部だろうが。


しかし、この予言、預言関係の人の中にも、無理解どころか、あからさまな敵意を持っている人がいる。
その人は「いえ、私は公平公正で冷静、客観的ですよ」
というふりをしているが、もともと私の説に嫌悪感を持っているからアラを探して書き立てるのである。

その人はノストラダムス関係のサイトを運営しているのだが、

私が預言と考えている作品を「これは予言だ」と考えているので、根本から見解が相違している。
だから、私が「ノストラダムスを預言として解釈していく見解」をどうしても受け入れられないで反発してくるのである。

従来のノストラダムス研究家はノストラダムスの作品を予言として研究して解釈を発表している。
だから、その人は「予言として研究している研究家」は全部受け入れられるが、預言と解釈している研究家(私)はどうしても受け入れられなかったのだろう。


まあ、私も「ああ、この人は私の説に嫌悪感を持っているな」と感じても、放置しておけばよかったのだが、ちょっと関わると牙をむいて噛み付いてくるのである。
私としても、後になってから「ああ、関わらなかった方が良かったのに、つい大人気無い対応をしてしまったな」
と反省はする点は大いにあるのだが、もう、済んでしまったことは仕方ない。

イエスも「収穫の時が来るまでは毒麦を放置しておきなさい」
とアドバイスしているのだから、敵対者が何かをしてもスルー、無視すれば良かったのだが。

敵対者は何か餌をくれるのを待っているのだ。
それに、その人は、「予言関係のサイトを運営している」とはいっても、今までの国内外の研究者が出した説、解釈、出版物などをまとめて羅列しているだけであって、自分独自の解釈というものは出していない(出せない?)のである。
いわば、パラサイトしているのである。

勿論、そういう「まとめ、総括、資料を提供してくれている」、という仕事は大いに認めるし、そういう人は必要であり、活用できるものは活用させていただいている。

ただ、その人が「私を、沢山いる研究者の中の一人」として公平に紹介してくれていた分には全く問題は無かったのだが、
先に書いたように、私の説には完全に否定的で敵意を持っている、ということがありありと感じられるのである。
その点で私には「公平公正、冷静、客観的ではない」と感じたのだ。
勿論、人間だから、いろいろある説、研究者の中に「好き嫌い」はあるだろうから、どうしても主観が入ってしまうのは仕方ないのだが、
「公平公正、平等、冷静、客観的なふりをして嫌味を書く、という態度」に寒気を感じたのだ。


今や個人のブログでも皆さん好き勝手なことを書いている。
ブログのコメント欄や掲示板にも、批判、揶揄、誹謗中傷的なことや、あるいは全く無関係なことを書いてくる人(荒らし)がいる。
だが、不要なコメントをカットする機能もついているのだから、不適切なものはカットすればいい。

あるいは、「いや、これはあいつの証拠として取っておいてやる」
というのならばそれも結構、

「あなたのブログと掲示板なんだからお好きにどうぞ」

としか言いようが無い。


敵意を露わにした人はこの説を信じていないのだろうから、掲挙の予定期間に入っても、よもや天使のUFOを呼ぶようなことはしまい。
まあ、もし、呼んだとしても、そんな底意地の悪い奴を天使が受け入れる訳がない。
そうはいっても、どんな人でも「悔い改めるかもしれない」ので、それはその時に天使が判断することだが。

また、その人がブログや掲示板に私の名を残しておいて、新しくこれを見た人がいた場合、それを読んで、
「ああ、そう通りだ、あなたに賛同する」
と言うのならば、それは、その人はそれまでの人で私には縁が無かった、というだけだ。

だが、これをきっかけに、このブログを知って、このブログを読んで、私の説に共感してくれる人もいるかもしれない。それは私の方の収穫になる。
とはいっても、一日に数人しか来訪者がいない超超マイナーなブログなので、その効果は期待できないが。


今は、特にネットでは様々な情報が溢れている。
相反する説、見解も沢山出ているのだから「全部を鵜呑みに信じてしまう」という人もいないだろう。
どの情報を選択するか?、どの情報を取り入れて信じるのか?
は各自の判断に任せられているのであり、自己責任である。


ただ、私としては、
「何も知らないでタイムリミットを迎えてしまうよりは、この説を知った上で判断して欲しい」
と願うだけだ。

そういう意味では、今回もジャパニーズ・オンリーで終わってしまうのかな?
と思うが、それはそれで仕方ない。


否定的、批判的なものも沢山出ているが、これも試験、試練、篩い落としなのだから、イエスが言ったように「放置しておきなさい」、というのが正しいのだろう。


まあ、サタン側、毒麦にも「愚者を引きずり落とす」という役割がある。


言論、ネットが規制されてしまうことの方がよほど恐ろしい。


その人も「また餌を貰った」と喜んでコメントするだろうが、お互いに自分のブログに書いている分にはいいんでないの。