https://youtu.be/RavIJNGRCZI


20:00くらいからのおまけ②のお話が特に興味深かったのでシェア。



何年か遡ると私もお肉をなるべく食べない時期(食べたいともあまり思わずナチュラルに)があったり、添加物色々気にしだしたり、なんやかんやあっちこっち偏り模索しながら自分なりの納得や

自分が心地好い、テンションあがるモノやコト、

そんなあれこれを見つけて“自分を知る”をやってきたワケだけど、

結局ジャッジして決めつけて

こうでなくてはならないを握りしめていると

内容がなんであれ、あまりしあわせな心地はしないなという結論に至り


今は例えば急に夜にジャンキーなものが食べたくなって、世の中では毒だと言う人もいるような食べ物を家族で買いに走って美味しい美味しいしあわせと寝る前にお腹いっぱいになってたりする日もあるわけです(今日夕飯少なめで早かったもんでみんなで某流行りのバーガーを買って食べたw🍔)

昨日までは全然食べる気もなくて、もうずっと遠のいてるし、このシーズン中もスルーするだろうなと思っていたのにw


かと思いきや、塩や砂糖などは適当じゃイヤだったり、卵を選ぶときにゲージフリーの環境で育てられる鶏さんの環境に一票入れたいなと買う日もあれば、今余裕無いからなと隣の安い卵を選ぶ日もある…


徹底して添加物やなんやって気にしたり、

命と向き合いすぎると私は気が狂うしストレスで病気になるタイプだなと思ったから、

その時によって気分や状況で都合のいい判断や選択をするし、ほんと自分でもブレまくりだなと思う。笑


でもそれにもう罪悪感は、あまり無い。

(その都度色々考えないわけでもない…知ってしまった以上は…ね。色々思うことはあるよね)


そもそもひとりひとりの感覚に従って

心地好いものやこれがいいと信じられるものを

ただそれぞれ選んでいるだけだ。


着る服、お世話になる病院

応援したいお店とか、

部屋に置いてあるインテリアから日用品まで


すごくいいなぁと思っておすすめしても

おすすめしたみんながハマるわけでもないし

先生、医者、美容師、お店の空気…

合う合わないは本当に人それぞれ。




マスクもそう、ワクチンもそう

食べ物、添加物、薬、占い…


人によっては救われたと思えることも

また別の人にとっては害悪にしかならなかったり

タイミングもあるとおもう。

無意識に出してる波長、信号を

きっと思うよりキャッチし合って生きている。

だから答えは白黒どちらかなんて

きっとありえないんだとおもう。

それぞれにはそれぐらいハッキリと

YES NOはあっても。


色んなことが、この世界の実験場にされてる日本じゃ

避けようにも心や懐に余裕がなくてはできないし

(できないってまだ私が思っちゃってるからってのもあるかな)

最近なんかは表示もどんどんまやかされて

なにを信じたらいいのかもよくわからない。



自分が正解だと思うことや

いいと思うこと、信じていること

それらは自分にとっての正解であるかもしれないが、だからといって万人の正解なわけではない。



Twitterなんかみてると、

ワクチンやマスクなんか特に両サイドから攻撃的な煽りみたいなエネルギーの言葉が飛び交っているが、言うたらどっちもどっちなわけである。

(もちろんわたしには私なりの考えもあるし、様々な方の考えに触れて考えさせられたりもするけど、お互いもう自分の中では結論出てる同士だから、どんなに言い合ったところでもう聞く耳なかったりするんよね。それもお互い様なのに相手が間違っててあいつらは根拠もなく決めつけて現実を見てないだとか、救いようがない、聞く耳すら持たないとかなんとか。滑稽だなと思いながら、私もどこかに偏ってる自覚は忘れてはならないと改めて自戒も。)



内容は正直関係なくて

決めつけてしまえばそこで世界が有限のものになってしまったりもして


とにかく頭を常に柔らかく、

決めつけやジャッジを

なるべくしない、してもいいけど、自覚はしてたい、ジャッジは自分の正解を模索する為のもので

誰かに向けるものではないこと

答えは自分の中ですら固定されておらず

絶えず流れていること、一生かけて更新し続けていくもの


そういう感覚で、ニュートラルで在りたい。

結局あれほどあちらこちらと振り子みたいに

体感して経験してきたけれども

こんなに生きてきても人生初めてのことは

探せばいくらでも自分から見つけられるし

体験も出来るし、その都度固定観念や常識なぞぶち壊して新鮮に驚いていたい。感動していたい。



そうなってくると最終的に内容は無いようみたいなタイトルのダジャレめいた世界にもなりw

急に今まで深刻に悩んできたあれこれも

なんでもよくなってくるな、

今日も無事で,笑ってられてるな

ありがたいな、しあわせだな



楽しいな、大好きだな

シンプルにテンションあがる心地好さ

自分にとってのそれを

大切に大切に見つめてあげる作業

自分のやりたいこと好きなことへ

集中していく


それを慈しんで楽しんでいさえすれば

結局のところ、オールOKてな感じかな

(まぁこれがまた無駄に頭使い過ぎて気づけば外の世界に囚われて身動き取れなくなるなんてしょっちゅうなんですけど真顔笑)



おまけ②の中の話

“信じてないひとには効かない”

これは真実だと自分は確信してる。

逆にいえば“信じて疑わない”ことは

現実になってる。自分のフィルターの世界の話


まだ恐れや猜疑心を手放しきれてなくて

愛されるわたしを信じきることがむずかしくて

(いまの段階ではね。でもまもなく手放せると信じてる。もっともっとわたしだって世界に愛されていいし、ミラクルもどんどんやってくる、と

“お守りのように言霊置いておく笑”)


でもほんと、最近は

小さなことはすぐ叶う自分になってる

だからこそいまの心の在りようが大切

特にこれまでうまくいかなかった分野やパターンにおいて、呪われた思い込みをどれだけ外して

ニュートラルで居られるか、素直に喜んで

望む未来を受け取ることができるか


上機嫌でいること

自分の機嫌を自分でとれること

=自分にとってひとつめの自立

(この歳でぜんぜん自分で立ててない気がするし凹んだり荒んだりもするし歩みは休み休み亀の歩みだけど、ぜったい向き合うことはやめないという自分の在り方には誇りを持ちたい)


前も言った気がするけど、きっと何度でも言っちゃうけど、自主自立自律って母校の中学校のスローガン

いまになってほんと沁みてるの、あとその当時やった“自由の国(名前うろ覚え)”の演劇の中の自由の在り方について。この歳で伏線回収にいそしむ日々‼️爆笑



手術で物理的に取るもの取り去って

身軽になって、うんともすんとも動かなかったなにかが動き出した感がある。

入院約一週間がきっかけになって、ほんとに

様々な身体や心へ向き合う感覚や

ルーティンが変わりつつある。

…まぁたまには踏み外して回り道も込みでねグラサン


いい兆しいい兆し。

よいわるいの判断ではなくて

わたしは私が心より心地の好いほうへ

自分を連れて行ってあげたい

いつでも内に棲む少女が

笑顔でキラキラしているのがいい。



否定されて恥ずかしくて隠してきた自分

我慢してきたこと、抑えてきた感情

ずっと解放されたがってる

もうそのままデロデロデロ〜って

全部出しちゃえばいいオエーオエーオエーオエーオエー

背伸びすることもなく縮こまることもなく

ただそこにあるだけのわたしで。


リラックスしきってからなんだよなぁ

自分の人生の本番ってきっと

(って言いながらまた何年もかかってる…)



そういや最近ブルーレイの調子わるくて

(台風や地震の影響もあるのかな)

急に壊れそうだし急いで観てるフルバfinal

急にオタク話で失礼笑

フルーツバスケットという作品の話ですが


実はなんか途中からくるしくて止まってしまってたんだよね、れんさん(母)とあきら(子)の絡みあたりしんどくてwもうずっと前に最終回終えてたのに。いつかいつかってのが今だっ❗️てなったので観始めました。


フルバ大好きだけど、自分が親になると

作品全体から大人への嫌悪感みたいなものすごく感じて、愛が無い酷い親の描写が多く、なんならその親の顔すら描かれて居ない。(今思うと、あの描かれ方って、親の顔が見えてない=子も親と同じで本当には向き合おうとしてない、から、見えないのかもな、とか)そこまで世間体ばかりな親ばっかじゃないやろとか、子供のこと親なりに考えてる側面もあるやろとか思うと、親の描かれ方がなんかしんどいしかないし(それぐらい自分も血まみれでのたうち回って子供と向き合ってきたつもりやから。愛してるから。だからこそ今になってあんまり好きではない親から向けられたものへの誤解も見えてきたりもして、自分と同じように不器用未熟なりに愛してくれてたのも理解出来たりもして。でも距離無いとやっぱりしんどいと思うし。でもいつまでも元気でいて欲しいし)



それとはまた別に、あきらの母親のれんさんは流石に幼稚すぎるというかネチネチ過ぎて病んでて女として共感が出来ないので普通に引くし、なんていうのか、

作品内、総じて振り切ったキャラばっかやなぁと改めて少し引いて感じてたりする。笑

もちろん大好き前提なんだけど。


あきらみてるとほんとくるしくなる。

毒親に呪いをかけられた子ども

片方からは愛をちゃんと貰ったけども

それも別角度からみたら“呪い”でもあって。

信じることが出来ないが故に周りを振り回し傷つけ、自滅してゆく…


あんなに振りきった凶暴さや自己中はしてないつもりだけど、あの重い波動には覚えがある

(余談だけど、坂本真綾さんすごい。いつも他の役では爽やかなのにあきらの声は本当にねちねちしている。好きな声なのに心地が好くなくてざわざわするくらいすごい。笑)


自分のなかにも、アキラは居て

寂しさ拗らせて歪ませたり捻じ曲げたりする

しんどい自分もまだ普通に在る。きっとなくなりはしないというか、共に生きるのだろうなと感じてるし、そっと覚悟はしてるし

でも自分の中に透くんもいて、夾くんもいて

由希もいる。なんならあの作品で愛の無い描かれ方してる大人達もぜんぜん内在してるし

他のキャラ達の拗らせもひとつひとつ

覚えがあっていとおしい。























透やもみじが好きすぎる

彼らに触れると自分の穢さはとりあえず置いといて笑

心が洗いたてみたいにいい香りになれる気がして

瑞々しい自分を思い出せるうちは…

なんて、自分のことも好きになれたりする

癒される。




皆自分の中にしあわせになる力をちゃんと持っているんだね〜。タイミングは違えど、標準装備である筈真顔合格


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