1980年1月25日日劇のステージで岸部シローは言った

 

 「芸能界というところはよく奇跡が起こるところである・・・」








 たとえばどこにもいつでもいるでしょ。自分が高校生だとして、同じクラスにバンドやってる奴がいて、ロックを友人に熱く語っている。「ギターはジミヘンだ!」とか「70年代はツェッペリンだ」「バンドはドラムできまる」とか。



 その会話を微笑ましく聞いている定年退職を間近に控えた初老の教師がいる。受け持ちは漢文である。


 バンド小僧はその漢文の先生に半笑いで、ややバカにした口調でこう質問する。



 「人見(ひとみ)先生、あんたRockわかんのか?」






  もし、その漢文教師がかつて日本中を巻き込んで社会現象にまでなったロックバンドのメンバーだとしたら・・・・



  日本人バンドとして初めてロックの聖地、日本武道館でライブを行ったバンドのドラマーだったら・・・














  僕の義兄は中日新聞社の社会事業部時代、中国に研修旅行によく行っていました。一行は大学教授や作家、新聞記者様々。その中に慶応義塾高校の漢文の教師がいて、よく旅行には参加するのだが、記念撮影になるといつもどこかへ行ってしまう。絶対に写真には写らなかったそうで、義兄が不思議に思いツアー参加者に尋ねると「なんか昔芸能人だったらしい」とのこと。



 そう、この慶応高校の漢文教師、駿台予備校の漢文講師、中国語講座テキストの編集者こそ




 沢田研二、岸部一徳らとともに日本最初にナンバーワンロックバンドになったグループサウンズ「ザ・タイガーズ」のドラマー 瞳みのる その人である。





 1971年1月24日ザ・タイガース解散以降、ボーカル沢田研二はソロアーティストへ80年代までトップを走り続け、今尚、必ず一年に一枚のアルバムを発表し全国ツアーを行っている。90年代こそ観客は減少したが、ここ10年は毎年ライブはどこも満員になっている。一昨年、東京ドームコンサート慣行(もちろん行きました)



 (強く言っておくが最近の軽薄なテレビバラエティで、ヒデキ、郷、と並ぶアイドルとして取り上げられるが、これは全くの認識違い。沢田は今を生きるロックミュージシャンである、だから郷ひろみや西条秀樹のように昔のヒット曲は絶対歌わない)



 ベース岸部修三は岸部一徳と改め、最近ではFujitsuFMVのCMで木村拓哉と数年にわたって共演、ドラマ・映画で知らない人はいない。(個人的には唐沢寿明の「不毛地帯」里見副社長役が好きでした)


 

 ギター森本太郎は、音楽プロモーターとなり、西條秀樹や河合奈保子をプロデュース



 ギター加橋かつみ(名曲「花の首飾り」のリードボーカル※140万枚セールス)はミュージカルとソロミュージシャンに



 途中参加のギター岸部シローは話術を生かし、ワイドショー司会者・ドラマ「西遊記」沙悟浄役など役者として成功を収めるが、後自己破産




 そして、ドラムの瞳みのるだけは「こんな汚い世界に僕は二度と戻らない!」と吐き捨て、1月24日の夜、内田裕也の開いた打ち上げの後、その日のうちに京都に帰ってしまう。







 それから





 すぐに23歳で高校へ復学



 タイガース時代に貯めた一千万円で大学院まで行くと決め、一日14時間勉強(タイガース時代もそれくらいドラムたたいてたから苦にならなかったとのこと)




 見事一発で慶応大学に合格



 修士課程を終え、中国に留学、帰国後、慶応大学教授の夢をあきらめ、慶応高校の先生に。



 (ここで僕の義兄と一緒に中国に度々行きます)



 この間、自分が元タイガースのメンバーだったことは子供にも生徒にも一切語らず、マスコミを一切断絶。1980年の「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」で、タイガース再集結の際、恩人内田裕也が参加を求め慶応高校に乱入、警察沙汰になるも面会拒否。




 定年退職を2年後に控えた63歳、沢田研二が東京ドームコンサートで歌った「ロング・グッバイ」(その後NHK SONGSでもオンエア)が40年離れ離れになった親友、瞳みのるに送った曲であると番組を見た同僚の教師から聞く。




 日本を代表するスーパースター、沢田研二が所在さえ分からない自分のためにNHKで歌ったことに心を動かされた瞳みのるは禁を破り、2009年東京でザ・タイガースのメンバー全員と再会を決心。



 瞳、沢田、岸部、森本、加橋 と当時のマネージャー6人で再開



 森本太郎は会った瞬間泣き崩れた。



 一時間もするには頃、高校時代京都で結成した少年たちのバンドメンバーの顔に戻り40年の空白など感じなかった。



 病気療養中の岸部シローを除き、自然と ザ・タイガース オリジナルメンバーによる復活の話へと。



 2011年5月、練習のためスタジオへ集合した当時高校生だったバンドの40年後。この時の様子を

 沢田研二は先週、岐阜メモリアルホールのライブでこう語った



 「最初の音を出した瞬間何年かぶりに全身が痺れた。これが僕の原点なんだと・・・・・それから右手の痺れが治らない(客席爆笑)」






  そして、瞳みのるはついに、2011年9月からの沢田研二2011全国ツアーにゲストとして参加。



 僕は、ワイルドワンズのチャッピーみたいにヒット曲1~2曲だけ参加するのかと思ったら大間違い




 タイガーズのオリジナルの他、ストーンズやビージーズの曲もすべて演奏。しかも歌うわ、踊るわ。やっぱり日本で一番になった人は凄い!妥協しない。ちなみにジュリーのバックの正ドラマーGRECEはパーカッションだけ参加。



 岸部一徳も60年代当時のベースギターで参加、俳優業とは全く違う、バンドのベーシストとしてド派手にプレイ。



 沢田研二、瞳みのる、岸部一徳



 (瞳と岸部は高校の同級生で同じ水泳部、瞳と森本は小中同じ、加橋かつみは高校の2コ下。沢田は空手部、岸部シローは一徳の弟)



 3者全く違う人生を歩んできて還暦を過ぎ、再びステージに並んでいる姿はもう言葉でませんでした。これは日本ロック史上歴史に残すべき奇跡です。




 ジュリーのコンサートでも近年はタイガースの曲やるんですが、客の反応が全く違いました。



 という僕も全く違う音だなと。それがバンドのオーラでしょうか?くコーラスなのでしょうか?




  瞳みのるが今年2月にベストセラーとなった回想録(※1)で書いています


 「こんな完璧なコーラスができるバンドは世界中探してもいない、日本で一番ではものたりない、本気で世界一を目指していた」と



 

 



 

 でも僕には疑問でした。なぜ、この沢田研二の曲を一曲もやらないライブが「沢田研二コンサート」なのだと。




 それはね。





 全員がそろわないと「ザ・タイガース」ではない




 という沢田研二のこだわりだそうで。新聞やワイドショーが謳った「ザ・タイガース復活」は違うと。




 だから、1981年の復活のときも瞳みのるがいないから来たい奴だけ参加する「同窓会コンサート」だと。



 ギターの加橋かつみが参加して、初めて1971年以来のザ・タイガースが復活するのだと。



 (「一人ハウンドドッグ」の大友康平とは器が違いすぎます)





 はて、さて、来年2012年1月24日



 日本のロックバンドが初めて武道館ライブを慣行してちょうど41年のその日



 日本武道館コンサートは沢田研二ライブなのか



 ザ・タイガースライブになるのか



 岸部シローは病院を抜け出すのか、借金は返したのか?



 加橋かつみ参加署名運動はどうなる?




 これを見ずに死ねるか!
















                             つづく




 



なかむらぺでぃあ


※1 :回想録


瞳みのる著「ロング・グッバイのあとで」集英社2011年3月1日第1刷 3月15日第2刷発行