みなさんは「女の敵」と呼ばれたことはありますか?
僕は何度かあります・・・・・・
約1年前の晴れた土曜日のことです。
OS☆Uを始めてから、8か月ぶりにようやく初めてお休が取れました。
お昼に西区名古屋城近くのマクロビのお昼ご飯食べて帰ろうとすると車の前に全く動かない婆さんが
「おい婆さん、そこどいてくれんと俺の車でれーせんがね」
と言うと
「うちがわからんようなってまった」
近づくと齢90歳くらいの女子でした
「しょーがないな、ほんなら交番つれてったるわ、こやあ」
「警察はやめてちょう、息子も孫も仕事しとるもんで迷惑かけたにゃあで」
「ううんほんならどうしよう・・・・」
「なさけにゃあでかんわ」
ばばあはめそめそ泣き出します。
「わかったわかった、一緒におばあさんの家探したるでそんな悲しい顔しやあすな」
かくして、おばあさんと僕の1時間に及ぶ西区名古屋城周辺の大冒険は始まりました
「ばあさん何歳?」
「85歳」
「お家はなにやっとるの?」
「四代続いた『たまり』と『味噌』の老舗だわ」
「今日どこ行っとったの?」
「朝から菊井町まで買い物行ったけど、帰りにわっか~せんくなってまった」
「いかんがね~、まあ、もうすぐ見つけたるでなきゃあすな」
「おみゃあさんなにやっとるのかね?」
「テレビのコマーシャル作ったり、今は若い娘さん有名にする仕事しとるわ」
「有名かね?」
「今はまだだけど、おばあさん生きとるうちに有名になって、テレビや新聞で見ることになるわ」
「ほーきゃーも」
「ほーだよ、おーえすゆー言って『大須の可愛いようさんの娘たち』って覚えといてちょう、もうすぐ俺が絶対有名にしたるで」
「大須はええなあ、よう仏壇見に行ったわ」
「今は仏壇屋あーせんわ、そのかわしオタクがよーさんおるわ」
話す口調はしっかりして方向感覚もある。腰は曲がっていてすごい年代物の乳母車を引いていた。
乳母車を転回するときは要領よく「よっ」とか言いながら器用に方向を変える。
歩く速度は時速1kmくらいだが、なぜか歩道と車道の上り坂になっているとこだけ、助走で勢いをつけてちょっとだけ走る
「あそこに名古屋城の金のしゃちほこが見えるけど近い?」
「さゃーきん目がみえーせんくなってきて金シャチも名古屋城も見えん、こないだもヘルパーにバカにされてよぉ・・・」
「ヘルパーはバカにしないよ、おばあさんじょーぶいし、しっかりしとるでまあそうネガティブになるなよ、なんか目印とかないんか?」
「加藤っていう自転車屋があるその近くだわ住所は西区城西・・」
「それ、最初に言えよ」
ぼくはgoogleマップとアトラスの地図を駆使し、おばあさんを置いて先回り。
サークルKを東に回り、ついに「加藤サイクル」を発見
100m後方をガラガラ歩いている彼女に叫びます
「おばあさん!あったよ加藤サイクル!おうちの名前は?」
「ハシモトお」
「ようしまっとれよ」
さらにお堀沿いに50m位行くとありました~はしもと家、ナゴヤキャッスルの本当に橋渡ってすぐのおうちでした。
「ごおおおおおおおおおおおおおおる」
おばあさんは加藤サイクルあたりからようやく土地勘が戻ったらしく無事おうちに到着。
曲がった腰で器用にシャッターを開けると乳母車を中に入れ、鍵を開けました。
60分のデートは終了、お別れのときです。
「じゃあなばあさん。長生きしなよもう迷子になるなよ」
「ありがとね」
腰が曲がっているのでお辞儀しているのかどうかわかりません。
とにかく8か月ぶりの休日、85歳女子との妙な珍道中でしたが天気もよかったので、ちょっと楽しい気分転換、お散歩の時間となりました。
戦争を生き抜き、日本を守っていただいた女性には敵ではなく、味方になり大いなる敬意を・・・・・・
おしみゃあだぎゃあ
服装も顔も休日モードにつき(-"-)・・・・・・