その合宿に行くと、まずは教祖がいかに優れた人物であること、世界史上の教義すべてを統一した預言者であること、を延々と聞かされる。
そのあとが地獄の始まりで・・・・
朝は普通に出ていた食事も昼・夜は出されず、有難いお話は休みなく深夜まで延々と続き部屋には鍵がかけられ、そしてトイレに行かせてもらえない。
男性の何人かは最初反抗の態度を示すが力で押さえつけられ身動きはとれなくなる。
数時間立つ頃、阿鼻叫喚の中、失禁する若い女性、屈辱に耐えてきたも力尽きて脱糞する男、狭い部屋で汚物にまみれ羞恥心は奪われ空腹と凄まじい異臭の中、文字通り汚辱の中で絶望感だけが人間を支配していく。
「風呂に入れてくれ!」「着替えさせてくれ!」「水を!」「食べ物を!」「ここから出して!」「家に帰して!」
そんな声もやがて聞こえなくなり全ての思考が奪われ夜が明けるころ
静かにドアが開き全員が広く清潔な風呂に案内され、汚れた衣服の着替えを許される。
身辺の安全を取り戻すと次に人間を襲うのは激しい空腹感です
通された部屋には大きな食卓があり、そこへ豪華絢爛に彩られた溢れんばかりの食事が運ばれてくる
「真のお父様からです」
上級の信者がそう告げると合宿参加者は口々に「お父様のご慈悲だ!」「お父様ありがとうございます!ありがとうございます!」と叫びながら号泣し、最大の感謝の気持ちを持って食事に貪りつく。食器も箸も使わずフルーツにかぶりつき、肉を引きちぎり、泣きながら食べる、飲む。
その後のお話は全員が集中力を持って従順に聞き入り、感涙し、賛同し、洗脳は完了し、参加者全員が完全な信者となる・・・・
以上が、20代のころ(1990年代)聞いた統一教会を脱会したという同世代男性の話ですが、当時は本当かな?と思っていました。ですが、今となってはさすがにこれは犯罪行為だからかなり盛ってるどころか、真実味に乏しいと思います。
僕が狂信的な宗教よりも怖いのはこの国の人々の持つ集団への強い帰属性です。それが地震や津波など災害時には良い方向に出ますが、反面、はみ出し者や一度ミスを犯した人を攻撃する際の負の団結力は恐ろしいものだと考えます。
統一教会の奴らは全員悪い奴だ!何人もいくつもの家族を破滅に追い込んだ悪魔の集団だ!だから少々のウソでも虚言でも奴らを攻撃しても許されるんだ!という考え方です。
擁護するのではありません、日本人はもう少しメディアリテラシーを向上していかないと、一部の週刊誌報道や歪んだネット記事にこの国の人々が支配されてしまいます。僕はそれに恐怖を感じているのです。
以下は僕の実体験のみを書きます、繰り返しますが擁護ではありません、攻撃と捉えられるのも怖いので、実体験のみをただ記しておきます。
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Nさんは同じ中学の同級生で、成績は優秀、名古屋学校群の名門N高校を卒業後、お嬢様大学として有名な女子大のS大学に入学しました。
僕は中学では生徒会長だったり比較的目立っていた存在で、彼女とも同じクラスになったことがありました。
大学2年生のある日、Nさんから電話がありました。
「こういち君、久しぶり、元気?このあいだテレビ見たよ、こういち君ってさ、国際交流が夢だったよね?将来は日韓交流に役立つ仕事もしてみたいとか?」
「おお、よく覚えてるね!台湾や韓国や中国のことはずっと勉強してるしそういう会合にもたまに出てるよ」
「実はね、今度、日本と韓国の交流についての勉強会があって、私参加するの、よかったらどうかな?2時間くらい」
「さすが、名門大学生!いいね、俺なんて最近合コンとディスコと麻雀しかしてないからいくいく!たまには勉強しなかん!」
で、とある日曜日、名古屋駅前の一等地にあるオフィスビルに行きました。
記憶が確かならば、その後出版社時代に担当取引先となる広告会社の「マスコミ企画」が入っていた本当に名古屋駅前の、建物は古いけど一等地のビルの1フロアのかなり面積があったと思います。
彼女は中学時代と変わらぬ笑顔で出迎えてくれて他の大学生らしき男女20人くらいと一緒にビデオと講義を受けました。
日韓トンネルの実現に向けて活動している人たち、日本と韓国はもうすぐ文化交流が始まって、その後政治的にも関係が良くなっていくであろう予測、その時に学生や若者同士が国籍に関係なく自由に交流できるサークルの創設。
ちょうど90分非常に興味深い話が聞けました。
「いやあ、Nさん!面白い活動してるね!とても勉強になったよ!」
「でしょ?良かった!実はねこのあともう少しレベルの高い話ができる人たちがいるんだ、時間あったらそれもどうかな?」
「うん、いいよ、どうせ今日バイトないし、もっと面白い話なら聞きたい!」
で、ビデオルームとは別室へ。
そこは、1対1の対面式の机が20組ほど。Nさんに座るよう指示された椅子の反対には、少し年上の男が座りました。
「君の夢はなんだ?親のカネで大学に行って、ロクに勉強もしないでバイトして女のケツ追いかけて、20歳になろうというのに恥ずかしくないのか?戦時中であれば立派な大人だ、みんな将来のことを真剣に考え自分の夢に向かって努力してなきゃだめだろ」
え? 僕は即座に反論します
「あの、すみません、僕の家決して裕福ではなのいですが親からは『遊べ、もう勉強などするな、ひたすら遊べ、若者らしく合コンへいきなさい、ディスコへ行っていい女をナンパしなさいブスはダメです、さあ、人生でたった4年間の自由な時間、どうぞ思い切り遊びなさい』って言われてるんで、今んとこ夢とかないんです・・・」
「呆れたな・・・そんな親いるのか?中村君は自分では恥ずかしいと思わないのか?」
「まあ、特に、あ、でも『勉強するな』って言われたんで、僕反抗期なんでめっちゃ勉強ばっかしてますが、特に世界史」
「そうですか?それは良かった、いいですか?日本は50年毎に浮き沈みを繰り返しています。明治維新で内戦状態になり、50年後日露戦争に勝利し栄光の国となり、その50年後太平洋戦争に敗れ、今1980年代の日本はこれからの繁栄に向け大きな分岐点と・・・・」
「いや、ちょっと待ってくださいね、今、日露戦争に勝利って言いました?いやいやいやいや!あなたね?世界史に於いて国対国の戦争の勝利の定義って知ってます?首都落として、全土を完全に制圧して武装解除して調印して賠償金ガッポリもらって勝利でしょ?あれはね、東郷平八郎や有能な参謀達の活躍でバルチック艦隊をやっつけたけど、莫大な国家予算の損失と戦力も残ってなくて、結局賠償金1円ももらってないんですよ、つまり局地戦には勝ったけど、命からがら終わらせた戦争でそれを繫栄の象徴みたいに言うのは違いますよ、わかってます?」
「・・・・・・そうなんですか?でも勝利には違いないでしょう?」
「確かにね、局地戦とはいえ世界史上初めて黄色人種のアジア人がヨーロッパに一矢報いたことで、その後のインドやアジアの植民地の人たちに勇気を与えたのは大事件でしょうね、でも50年ごとっていうのも10年くらい違うしね、それいうなら39年と89年の法則知ってます?1789年、1889年、1939年、そして来るべき1989年には必ず世界史を揺るがす大事件が起きるはずです!」
「あなた、詳しいですね・・・」
「そりゃあね、自慢じゃないけど、僕世界史以外の偏差値50くらいですから」
「え?偏差値60ないのによく私に偉そうに語れたものですね、そりゃあ、自慢にもならないですね」
「あ、お前今俺をバカにした?ちょっと表出ろやコラ!いや、やっぱり出るな、お前そのまま俺の話を聞け!」
その後も1時間ほど座らせたまま彼の論説をことごとく論破、僕から彼への説教(ごく一部人格否定)は延々と続き、ついに彼は泣き出してどこかへ行ってしまいました。
(男が泣くなよな・・・・まったくあんなレベルのヤツを俺に当てるなよ)
次に出てきたのは40代くらいの頭のよさそうな人でした
「中村さんでしたっけ?随分といじめてくれたようですね」
顔は笑っていても、眼光鋭いというか、さっきのマニュアル君とはちょっと違う威厳を感じました。
気づくと、さっきまで20人ほど座っていた大学生たちは僕ともう2~3人になっていました。
「他の人たちは?」
「ああ、みんなサインして帰りましたよ、中村君も合宿参加用紙にサインして帰りませんか?楽しいですよ、合宿。世の中の分からなかったことがピター-------っと全てパズルにはまる感じ」
「2万円?いや、そんなお金ないんで、それに僕はもう帰りたいのに帰してくれないって、これって監禁じゃないですか?」
「中村君ね、ほら、出口は少し空いたままでしょ?それにほら目の前にジュースもある、それを監禁って言わないんですよ」
僕はこのおじさんにも論戦を挑みましたが、19歳の社会人経験のない知識ではとても太刀打ちできません。
名古屋支部?の幹部ともなればそれなりの知識とプレゼン力を持っていました。
午後6時となり、ついには部屋の中には僕と幹部だけ、他の大学生はサインしてしまったのか?逃げたのかわかりません。
「すみません、あなたの言っていることは正しいのかもしれませんが、今日は疲れました、帰りたいです、帰してくれないのなら暴れますよ」
「ははははは!仕方ないですね、君、テレビに出ているらしいね、君みたいな学生がウチに入ってくれると心強いんだけどなあ」
顔は笑顔でしたが、後ろから腕で首をロックされ意識が飛びそうになりました(ヤバい、意識が飛ぶ・・・)
力を緩めて、一瞬逃げて振り返ると、その顔は笑顔ではなく、人を刺すような目でした。
息を整えて「帰ります・・・」
と言って出口に向かうと、Nさんが部屋に飛び込んできました。
「こういち君となら一緒にできると思ったのに!!!!!あああああああ!!!!!!!」
Nさんは泣いていました。でも正直僕は恐怖しかありません、よくも僕を騙したなN
口をきくことなく、目も合わさず部屋を出て、ビルの外に出ると、もう外は真っ暗でした。
「6時間以上か・・・・疲れたな」
自宅に帰ってすぐに同級生何人かに電話しました
「Nさんがおかしな宗教に入っている、誘われても絶対にいかないように」
不思議と誰もそんな誘いは受けてないと言ってましたが、その後のウワサでやはり何人か「講義」に誘われたのと、中村区内にある豪邸が壺でいっぱいだったこと、脱会させようと友達が家を訪れると明らかに空気がおかしくなっていたこと、やがて自宅が更地になっていたこと、がその後わかりました。
今となってはNさんとその家族がどうなったか誰も知りません。
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以上が僕の体験談です、衝撃的な体験だったのでよく覚えています。
その後、もっと後に最初に書いた「合宿」の話を聞いてゾッとしましたが、繰り返しますが、これはおそらく事実ではないと思います。
どうしてNのように真面目で裕福で優秀な子がカルト宗教にハマるのか?
何年か後、部活の連中とNの話になったときひとつひっかかる話がありました。
中学時代、みんなで中区丸の内にあったボウリング場に行ったとき、たまたま誰も学生証をもっていなくて受付の人から大人料金を支払うよう言われました。みんな渋々払っているとNが
「みたらわかるでしょう!どう考えたって中学生はないですか!大人料金なんておかしいでしょ!!!!」
と受付の男性と大モメしていたのです。
そんなことを思い出しながら
「自分の考えは絶対に間違っていない」
と考えてしまう頭のいい人ほど一度信じてしまうと抜け出せないのかもしれませんね。
(適当に遊べと言ってくれた親に感謝?かなあ)
このお話の最後に・・・・
僕らは「壺だらけになって、最後家まで取られてかわいそうに」と思うかもしれませんが、Nさんとそのご家族にとってはもしかしたらそれが幸せかもしれないと思うのです。
だから一概には言えない、それが信仰であり、カルト宗教の怖いところかな、と。
でもね、やっぱり家族のだれかが不幸にと感じたり、他人にも迷惑かけちゃいかんですよ、ウソをついて僕を6時間軟禁した事実は残ったわけですからね。
だいたいね、20歳そこそこで人生の全てを知ろうとしちゃダメですよ、実社会でのささやかな学びと壮大な遊びこそ自分探しの大冒険なんだから。
Nさん、どこかで元気に生きてたらいいな。
おしまい
※次回、死にかけた話へ続く