僕は別に戦争「肯定派」ではありません。
ただ、
「イケナイコト」だという理由から
「やみくもに否定」することで
「否定することの不都合」があるのだということを
「仕組み」を通じて話してみました。
■「敗戦」記念日ではなく、終戦記念日
これは、
感情論ではない
「メカニズム」のお話です。
終戦記念日付近になると
当時の記事や映像であふれかえります。
そして
「忘れてはならない、あの悲惨な出来事を」
と繰り返されます。
何度も呼び戻されたら
成仏するものもできんようになるわ(*´Д`)
「偲ぶ」ぐらいでいいんじゃないかと思うんです。
そして、わたしたちが
「あの出来事を忘れてはならない」と叫ぶほどに
お隣の国が、いまだに
当時の話を持ち出して
「わすれてはいけない」と叫ぶのも
「仕組み」です。
いつになれば
許すのか、許されるのか。
★いじめられたことを、忘れないようにしなければ。。
ここにも書きましたが、
ほんとは忘れなければいけない出来事を
何度も被害映像を持ち出して
「忘れてはならない」と繰り返す。
忘れてはならないのは、別のことです。
「戦争を肯定するのか」
「原爆のことをなかったことにするのか」
そんなことを
言っているのではないのです。
何度も言いますが、
「仕組み」の話です。
「してはいけない」
「忘れてはいけない」
と、悲惨な映像を繰り返し
心の中に
罪悪感や不安を植え付け
恐怖を育ててヒステリックになり
上手に上手に危機感を
知らないうちにあおられて
上手に上手に乗せられて
税金が上がることも
「しかたがない」「必要なこと」と
「思わされている」ことに気づく必要があるのです。
「●●がいけない」「××に反対」と
そこに「フォーカスしてはいけないのです」
フォーカスする場所が間違っているのです。
戦争は、
忘れていいのです。
「●●がいけない」「××に反対」
というのが、
すでに「正しい戦争」であることに
気づかないのです。
学校でいじめを受けた生徒の親が
学校に怒鳴り込んで
先生と相手の子供を糾弾すること、
(自分の子供をそこまで信じ切れるのはすごいことだけど(*´Д`))
学校でいじめをした生徒を
先生が行動を正させようとすること、
社会が「いじめ」を「なくそう」とすること
それらも、
すべて「戦争」の「仕組み」なのです。
はやく、その「戦い」を
「自分の主張」を押し通すことを
「自分の正しさ」を押し通すこと
「相手の行動を変えさせようとすること」を
「終わらせ」られたらいいな、そう思うだけです。
★心の中の終戦
そして、それらの根っこは
「ない」と言う思いがあるのです。
・愛情がない
・豊かさがない
・大切にされていない
「はず」
その「勘違い」から
抜け出すこと。
つまり、最終的に
「ある」に気付くこと
それは
「ある」
「あった」
「気づかなかった」
「感謝」
「ありがたい」
という言葉が
すべてを包み込む
ということだと思うのです。
でも
この記事は
色んな物議を醸しだしそうなので
テキトーに消します。
平和主義なチキンなもので(*´Д`)
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