「まずば自分が満たされよう」
「まずは自分が幸せになろう」
と発信していると
「そんな利己的な」とか
「もっと他人に愛を」とか
言われることもあります。
自分を満たすのは
人を助けるためなのだとしたら
理解できます、とか。
へ??
なんでそんなに
「ひとに」にこだわるんだろう?
利己的がダメだということは
もっと他人にやさしくしなさい、
もっと人を助けなさい、
ということなのでしょうが、
それは
「自分がしたい」
「自分がそうせざるを得ない気持ちになる」
「自分が、それでいい人になれる」
「自分がほっとけない」
という、
「自分が」したい、
なんですよね。
それって
自分の気持優先なんですよね?
それって
「まずば自分が満たされたい」
「まずは自分が幸せになりたい」
なんですよね。
「自分のこと」しか考えてないですよね?
それって
「自分のことばかり考えることはいけないこと」
という
「誰かの教え」による「ジャッジ」に
恐怖で縛られているのです。
それを
早く自覚したほうがいいでねぇかな、と
思うんです。
「人を助ける」ことが
「自分を満たす手段」
だと、
気付いたほうがいいですよ。
だって
それが「幸せ」なんですから。
幸せだから
そうしたければそうすればいいし
他人に言うものでもない。
「愛情」と
「罪悪感」を
勘違いしたらいかん。
だから、あんまり
「ひとのためひとのため」という人は
僕には逆に偽善者、
罪悪感と恐怖に包まれた
ウソツキに見えるのです。
「あなたのためだから」
というアレにもつながります。
---
自分を満たしていたら
いつの間にか人助けになっていた。
人を助けていたら
いつの間にか自分が満たされていた。
情けは
ひとのためならず。
自分のために生きること
自分を満たすこと
自分を優先することに
罪悪感を持ってる場合じゃないのです。
そんなものは持たなくていいのです。
それは
罪じゃないのです。
そんな罪悪感を
持つ方が罪だと思うのです。
自分を満たすことが
最大の人助けなのかもしれないのに。
「あの人を助けたい」なんて
実はチョーーー上から目線なのだから。
-----
で、
それを
わかっててやればいいのです。
それを
やさしさ、というのです。
僕が歌を歌うのも
全部、僕のためです。
僕が、やりたいことやってるのです。
★今年もやります!! Mondou LIVE
【東京/名古屋/大阪/福岡】
去年は「歌だく!」 今年は「歌だけ!」
さらに歌多めのメガ盛り!
前者後者とは
■心屋に頂いたメッセージやコメントは、記事や著書で許可なく紹介させていただくことがあります
■心屋の記事はリンクフリーです