映画『マリア』(The Nativity Story)を見て | 心が元気になる話

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毎年クリスマスに飾る飼い葉桶シーンです。
今年は洗面所の観葉植物の間に置いてみました。



拡大するとこんな感じ。
マリアとヨセフと赤ちゃんのイエス様、そして東方の賢者たちです。

今日は、メルマガに書いたばかりの記事をおとどけしますね。

<心元気メール> No.643 2014年12月23日 発行人:リジョイスY.C.
◆映画『マリア』(The Nativity Story)を見て◆

私達家族は、毎年クリスマス・シーズンに幾つかクリスマスにちなんだ映画を借りてきます。
今年は、2006年に制作された『マリア』(The Nativity Story)という映画を見ました。

それは、マリアがヨセフと婚約するところから始まって、
妊娠とイエスの誕生、そして幼子を連れてヘロデ王から逃れるためエジプトに行くところまでの話でした。
キリスト降誕を題材にした映画はいろいろありますが、
マリアとヨセフという夫婦の愛を物語の軸として据えたのは、今回の作品が初めてだそうで、
婚約中に処女懐妊となったマリアの心の葛藤や夫ヨセフの悩める姿もよく描かれていました。

制作は、新鋭の女性監督キャサリン・ハードウィックによるもので、
主演は、2002年にアカデミー主演女優賞の史上最年少候補者となり話題を集めた、ケイシャ・キャッスル=ヒューズです。

マリア役を彼女が演じたことは、聖書の話をとても忠実に表しています。
というのも、マリアがイエスを出産したのは、14-15歳の時だと言われており、
ケイシャ・キャッスルがマリア役を演じたのも、15歳ごろだったからです。

聖書をよく知っている人にとっては、お馴染みのストーリーでしたが、
それでも、今まで映画化されていなかった面もうまく表現されていたと思います。
私にとっては、赤ちゃんのイエス様を見に来た、貧しい羊飼いの様子と言葉が印象的でした。

羊飼いたちは、当時とても見下げられていて、誰からも相手にされていなかったのですが、
そんな羊飼いたちのところに、天使が現れて、救い主の誕生を知らせたのです。

その様子を見ていて、本当に神様は、社会の底辺で暮らす人たちにまず天使を送られたことで、
神様の目から見たら、すべての人が尊く、
決してそのような人たちを神様は見捨ててはいないと示そうとされたのだと思います。
そのことについて、こんな記事があったのでご紹介しましょう。

<蔑されていた羊飼いたち>
マリア・フォンテーン著

イエス・キリストが生まれた夜について、聖書にはこう記されています。
**
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。
このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、
幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。
それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは
「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」
と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
(ルカによる福音書2:8-17)

子どもの頃、数あるイエス様の絵の中で私のお気に入りだったのは、
イエス様を良き羊飼いとして描き、子羊を肩にのせている絵でした。

もしあなたが私のように考えるなら、イエス様が生まれた夜に、丘で羊の番をしていた羊飼いたちは、
尊敬された社会の一員であり、正直で信頼の置ける実直な証人とみなされていたと思うかもしれません。
そうでなかったなら、天使から、神の子の到来を証言するという大切なメッセージを託されたりはしなかったと考えたからです。

でも、実際には、そうではなかったようです。
歴史家によると、1世紀のパレスチナにおいて、羊飼いは、社会の底辺とみなされていました。
パリサイ人が彼らを指すのに使った言葉は、「罪びと」と訳されたりしていますが、
これは、汚らわしく、儀礼的に不浄という意味の軽蔑語です。

羊飼いは、生涯、動物の世話をし、糞がいっぱいで病気もありそうな戸外で眠ることもしばしばでした。
神に捧げものをするにもふさわしくないと思われていたようです。

人間の限られた物の見方からすると、神は、神の子(イエス・キリスト)の歓迎の集いのために、
また、耳を傾ける人皆に救いの良き知らせを広めるために、
社会ののけ者たちの一団を送られたわけです。

今で言うと、ゴミ捨て場をあさる人たちの前に天使たちが現れて歌を歌うようなものかもしれません。
しかし、神は心を見られるのです。
職業や身なりは関係ありません。

聖書には、羊飼いたちは赤ん坊を見ようと急いで行ったとあるので、
風呂に入ったり、きれいな服に着替えたりする時間はなかったことでしょう。
どちらにせよ、きれいな服などなかったかもしれません。

とにかく、そのままの格好で走って丘を下り、救い主のところに行ったのでした。
彼らが興奮して自分たちに起こったことをマリヤとヨセフに話し、
愛をもって彼らに迎え入れてもらう様子が目に浮かびます。

神はなぜ羊飼いを選ばれたのでしょうか。
この素晴らしい栄誉を、どうして、人間から見たら全くふさわしくない者たちにお与えになったのでしょうか。
きっと神は、彼らなら純粋で単純な信仰をもって信じてくれると知っておられたのでしょう。
そして、熱い思いで、生まれたばかりの神の子のもとに走って行ってくれると当てにすることができたのでしょう。

その羊飼いたちは神から高く評価されただけでなく、
良き知らせを他の人たちに広めるという特別な任務を授かりました。
救い主の誕生を他の人たちに告げることで、彼らは最初のクリスチャン宣教師となったわけです。
(アクティベート・リーフ No.302からの転載)

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