今日は誰のために? | 心が元気になる話

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そんな元気のもとになるお話を発信したいと思っています。



冬場は霜で花が枯れてしまうので、今年は何種類かの葉牡丹を植えました。
寒い中でも元気に育って、庭を明るくしてくれています。



この茎が長く伸びる葉牡丹は、まるでバラの花みたいで素敵です。



この葉牡丹も、気に入っています。

それでは、最近メルマガに書いた記事をお届けしますね。



<心元気メール> No.649 2015年1月19日 発行人:リジョイスY.C.
◆◆今日は誰のために?◆◆

皆さんは、朝、目が覚めると最初に何をしますか?
私は目覚ましが鳴って、すぐに起きられるタイプではありません。
身体が硬くなっていて、すぐには機能しないようです。

そこで、まずはベッドに横になったまま、たいていは何か祈っています。
「今日も一日、私たちを導き、お守り下さい。」とか、そういう簡単な祈りです。
そして、「起き上がるための力を下さーい!!」と言わなくてはならないこともよくあります。

でも最近はそれに加えて、神様にこんな質問をするようになりました。
「今日は、誰のために祈りましょうか?」

なぜかと言うと、今年私は、自分のスピリチュアル・ゴールとして、
「毎日、誰か新しい人一人のために祈る」ということを決めたからなのです。

それは、少し前の記事に書いた『一日一人』についての言葉からヒントを得たものでした。
オリジナルの言葉は、
「毎日少なくとも、一人の人を喜ばせると決意してごらんなさい。
すると、10 年もすれば 3650人を喜ばせることになる。
それは、喜び基金に寄付して、小さな町全体を明るくするようなものだ。」
--- シドニー・スミス (1771-1845)
というものです。

私はそれを応用して、こう考えてみたのです。
「毎日、普段は祈らない誰か一人の人について、集中した祈りをしよう。
そうすれば、一年間で365人の人生に、何か素晴らしいことが起こるに違いない。」

祈りには、人の人生を変えるほどの力がある、と信じている私にとって、
誰かのために祈ることは、その人のために何かの行動を起こすことと同じです。

クリスチャンとして、私は今までも沢山の人達のために祈ってきました。
仲間の間で回される祈りのリクエストには、常に様々な人たちからのリクエストがあるし、
もちろん、自分の家族や親戚、身の回りの人たちのためには、リクエストがなくても祈るのが長年の習慣です。
でも、正直言って、時々自分の祈りがマンネリ化していることにも気付いていました。

ところが、この新しいゴールを実践し始めてみると、
私のスピリチュアル・ライフに新風が吹き始めたのです。

リクエストに応じて祈る祈りは、たいてい病気の癒しとか、困った状況のため、
必要が供給されるようにとか、自分の仕事に関するものなどでした。
となると、何となく祈り方が似通ってくるのです。
つまりそれは、助けてほしいとか、守ってほしいというタイプの祈りです。

ところが、リクエストが来たからではなく、積極的に考えて祈る場合、
何かが違うことに気づいたのです。

主が祈るように示されるのは、友人の場合もあるし、近所の人や出会ったばかりの人、
時には、個人的には知らないテレビに出ていた人とか、有名人の場合もあります。
私はその人たちのことで、ただ何でも思いつくことを祈ります。

「この人の一日が幸せでありますように」とか、「この人の夢が実現できますように」、
「この人の才能が活かされて、多くの人たちの祝福となりますように」とか、
「この人が人生で正しい決断を下し、神様の愛を知ることができますように」というような感じです。

そして、一日中、何回でも思い出すたびにその人のために短く祈ります。
別に特別な場所で祈るわけではありません。
ただ、歩いている時、電車の中で、お風呂やトイレの中などでも祈ります。
神様が気にされるのは、場所や形式ではなく、祈る人の心だからです。

そして、同じ内容の祈りを繰り返していても面白くないし、
一度祈るなら神様はすでに聞いて下さったと信じるので、
祈る度に内容はどんどん具体的になっていきます。

たとえば、
「その人が、家族と良いコミュニケーションがとれて、満足な家庭生活を持てますように」とか、
その人が独身なら、「いつか良い人が見つかって幸せな結婚ができますように」とか、
「忙しい中にあっても、リラックスして楽しめる時間も持てますように」とか、
「その人が、自分の人生に良い影響をくれるような人と出会えますように」みたいな感じです。

こんな祈りをしていると、何かだんだんその人のことを親身に感じてきて、
もっともっと祈りたい気分になることもあります。
そして、いつの間にか、自分自身も幸せな気持ちになっていくのです。
これは、本当に不思議な効果です。

それで思い出したのは、
「他の人のために祈る時、その祝福はあなたにも降ってくる。」
という名言です。

それにしても、リクエストが来てから祈る祈りと、この祈りとでは何が違うんだろうと考えていました。
今までは、時々、あまりにも多くの重たい内容の祈りのリクエストが連なっていると、
何か祈っている自分の方も、重たい気持ちになってしまったことがありました。

でも、今年始めたこの祈り方は、
私にインスピレーションとビジョンを与えてくれるものとなっているのです。

そして思ったのは、
『守勢の祈り』と『攻勢の祈り』との違いなのではないかということです。

普通、皆にリクエストが回されるほどの内容だと、
状況はすでにとても深刻になっていたり、急を要する場合が多いもので、
それらについて、心からのとりなしの祈りをするのはとても大切なことです。

でも、祈りがそれだけであるなら、
私たちはいつも守勢の状態にあるのではないでしょうか。
だって、問題が起こってから、助けてほしいと言っているわけですから。

誰でも知っているように、守勢の戦争に勝つことはできません。
悪いことが起こっていなくても、祈る必要が見えなくても、もっと積極的にいろいろなことについて祈る時、
私たちは、攻勢に出て、誰かの人生や、この世界をより良い場所にすることができます。

この攻勢に出る祈りは、『祝福の祈り』とも呼ばれています。
誰かの人生に良いことが起こるようにと祝福を求める祈りだからです。

そして、誰かのために祝福を求めて祈ると、その祝福は、祈った本人にも降り注がれます。
神様の霊的な法則とは、なんと恵み深く、知恵に溢れているのでしょう。

だから、もし私たち皆が、もっと互いのためにこのような祝福の祈りをするなら、
きっと世界は、もう少し愛と平和と豊かさにあふれる場所となるのではないでしょうか。

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