「たわわ」を漢字で書くと「撓わ」である。「撓む(たわむ)」ということだ。「たわむ」というのは、棒とか板なんかが重さで弓なりに曲がった状態になることで、「枝も撓わに実がなった」は大きく実った果実の重みで枝が撓んでいる状態だ。スイカのように地に沿って実ってしまう果実は、いくら立派に実っていても「たわわ」とは表現できないのではないだろうか。たわむべき枝が無いのだから…。「このスイカ、大きくてじつにたわわだねぇ」なんて言われても、どうにもイマジネーションを喚起できない。
さあ乳房に関してだけれど、これには枝が無いので、やはり何が「たわんでいる」のか謎である。乳房が重くて垂れて歪んでいるということか?あまり美しく感じなくなってくる。あるいは重さで背筋が曲がり猫背になっているという状態も想像できる。やはりあまり美しくは感じない。
思うに「たわわな乳房」というのは、まるまると果実の実った様にたとえるのに加えて、なんとなく「たわわぁ~ん」という擬音的表現を兼ねているんじゃないだろうか。「ぽわわぁ~ん」みたいな。そのために「たわむ」という元々の意味はどこかへ行ってしまっているのでは。口にする前にいま一度考えてみてほしい。たわわな乳房とは、何がたわんでいるのか?