川越style「川越城跡発掘調査現場見学会」1月18日開催 川越市初雁公園基本計画 | 「小江戸川越STYLE」

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川越城を含む初雁公園は、県指定史跡内であり、また、川越城の遺構が残っているため、平成31年3月に城址公園化に向けて、基本計画を策定しました。

公園のテーマを「歴史が人を結ぶ公園」とし、歴史的な価値が高い本丸御殿等の遺構を守り、活用することで歴史を学び、体感する場として整備する予定です。

着々を計画は進んでいます。

 

2020年1月18日(土)に開催されたのが、「川越城跡発掘調査現場見学会」。


『初雁公園内で実施している発掘調査の見学会です。
川越城の堀の一部と、出土した遺物を公開します。』
開催日   令和2年1月18日(土曜)
開始時間    
1回目:午前10時から正午
2回目:午後1時30分から午後3時30分
会場    
県指定史跡川越城跡(郭町2丁目27-1ほか)
申し込み    直接会場にお越しください。
1回目、2回目とも説明内容は同じです。
【調査名】川越城跡第38次調査(初雁公園整備事業に伴う発掘調査)

【調査場所】川越市郭町2丁目地内(初雁公園内)

【調査機関】令和元年9月24日(火)~調査中

【調査目的】初雁公園整備事業における市道1225号線の付替に伴う発掘調査

【調査方法】埼玉県指定史跡「川越城跡」内であり、史跡を保全し、遺構の状況を把握するため、必要な最低限度の堀削によって、調査を進める。

【検出遺構】堀跡4(幕末2、それ以前2)、溝跡3(幕末以前2、時期不明1)、住居跡3(弥生時代1、古墳時代2)他

【出土遺物】屋根瓦、炭化材、被熱壁土等(城内建物の廃材か?)、陶磁器片(花器、茶器、生活雑貨等を含む)

交通
西武新宿線:本川越駅より徒歩23分。
東武バス:川越駅東口発(本川越駅経由)上尾駅西口(川越運動公園・埼玉医大)行「市役所前」下車徒歩7分。
東武バス「小江戸名所めぐりバス」:川越駅東口発「博物館前」下車徒歩2分。
イーグルバス「小江戸巡回バス」:川越駅西口(本川越駅経由)「本丸御殿」下車徒歩2分。
駐車場はありません。ご来場には公共交通機関をご利用ください。
お問い合わせ
教育委員会 教育総務部 文化財保護課 調査担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097(直通)
ファクス:049-224-5086

HP:
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/kosodatekyoiku/kyoikuinkai/rekishi/oshirase/hakkutsukengaku.html

 

「初雁公園整備事業」について。

初雁公園は、県指定史跡内であり、また、川越城の遺構が残っているため、平成31年3月に城址公園化に向けて、基本計画を策定しました。

公園のテーマを「歴史が人を結ぶ公園」とし、歴史的な価値が高い本丸御殿等の遺構を守り、活用することで歴史を学び、体感する場として整備していきます。

また、市街地のオープンスペースとして、市民の憩いの場となるよう、市制施行100周年に向け、本丸御殿周辺の整備を行います。

 

「川越市初雁公園基本計画」

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/hoshinkeikaku/toshi-seikatsukiban/hatukarikoen20190329.html
『本市は、川越藩の繁栄を引き継ぎ、発展してまいりました。大正11年に県内で初めて市制を施行し、2022年に100周年を迎えようとしております。
この過程において、川越城址には多くの公共施設等が建設され、本丸に位置する初雁公園は、昭和26年に市の都市計画公園第1号公園として誕生し、野球場、プールなど多くの市民に親しまれてまいりました。
一方で、往時の姿を偲ぶのは、初雁公園内の本丸御殿及び土塁の一部や三芳野神社、富士見櫓跡、中ノ門堀跡など僅かに残すのみとなっています。
本市としては、この貴重な財産を守り、将来に受け継ぐため、「川越市初雁公園基本計画」の策定をいたしました。
基本計画の策定にあたっては、平成29年6月に学識経験者、公共団体等の代表者、公募委員で構成した川越市初雁公園審議会を設置し、計6回開催して平成31年2月4日に審議会から答申を受けました。その答申の内容に基づいて検討を行い、平成31年3月に基本計画を策定しました。』

(初雁公園基本計画 鳥瞰図)
計画の概要
埼玉県指定史跡である史跡川越城跡の約33haを「市民の誇り」、「歴史と観光の拠点」と位置づけ、その中心が初雁公園としたうえで、公園のテーマを「歴史が人を結ぶ公園」としました。
文化財的価値を守りながら、歴史を学び、体感する場とするとともに、城下町である中心市街地との回遊性を高め、人の流れをつくるにぎわいの場としても活かしていきます。

また、市街地にあって貴重な緑のオープンスペースであることから、市民の憩いの場とするとともに防災にも寄与する公園としていきます。
さらに、近年、公園は多く市民に利活用されるよう、質の向上や維持管理運営面が課題となっています。基本計画においては、利活用を見据えた計画とするとともに、多くの市民の参加や民間ノウハウの活用などで、公園を効率的に運営し、経営(マネジメント)していくしくみや体制についても示しています。

 

整備は3段階で進め、市制100周年を迎える平成34年までの初期段階では、川越城本丸御殿前の市道を迂回(うかい)させて広場を設けるなど、本丸御殿の周辺整備を進める方針だ。
基本計画案によると、整備区域は現在の初雁公園に民地を加えた約5ヘクタール。初期整備で公園内にある本丸御殿前の市道を最大約30メートル東側に迂回させて正面に約70メートルの塀を復元。新たな広場を設けて御殿の風格を高め、北側にあった北門と土塁約50メートルの復元を目指す。
2段階目の中期整備では、川越城絵図に描かれている北門に通じるY字型の道路を復元。さらに、移転する初雁球場と廃止する方針の市営プールの跡地に、芝生広場や大型駐車場を設け、新河岸川沿いに遊歩道を整備する計画だ。最終段階の長期整備では公園内に帯曲輪門の復元などを進めるとしている。

 

川越城のこれまで。
1457年、上杉氏の本拠地として、当主・上杉持朝が太田道真・道灌父子に築城を命じたものです。
道真・道灌は、河越城の他にも江戸城、岩槻城も築いています。
その後、太田道灌は江戸城の初代城主に、父道真は川越城に居城しました。道真は居城にしていた河越城で『河越千句』という連歌会をおこない、高い評価を得ていました。
道灌も歌に秀でていましたが、城造りの名人であり、さらにさらに武将としても天才的で上杉家の救世主。
約30年30戦の戦いを勝ち抜き、ほぼ独力で上杉家を救ったと言われます。
道灌の名声が高まるにつれ、主君の上杉定正は不安を覚えます。世は下克上。
優秀過ぎる部下・道灌に嫉妬し、妬み、怖れ、ついに1486年太田道灌は上杉定正によって暗殺されてしまうのです。。。なんという悲劇。
この時代すでに河越城という難攻不落の城を造っていた道灌が、もっと長生きしていたら、一体どんな城を造っていたでしょう。
しかし、太田家はその後も優秀な人材を輩出し、後北条家(北条早雲が始祖)に仕え、さらに徳川家康に取り立てられました。江戸時代には老中も出しました。
川越城本丸御殿の建造は1848年ですが、川越城唯一の遺構として貴重な価値をもっています。
近くには、川越城二ノ丸跡に立地する川越市立博物館、川越城中ノ門掘跡があります。

 

「本丸御殿」

「本丸御殿」(県指定文化財)
郭町2丁目13番地1地図
開館時間
午前9時から午後5時
(入館は午後4時30分まで)
入館料金
一般100円(80円)
大学生・高校生50円(40円)
※カッコ内は20人以上の団体料金
※中学校卒業前の方は無料
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳又は療育手帳をご持参の方

及び、その介護者(障害者1人に対し1人まで)無料
休館日
毎週月曜日(休日の場合は翌日)
年末年始(12月29日から1月3日)
館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く)

 

現在、川越城の遺構は余り残っていませんが、数少ない貴重な遺構を巡る観光コース、「川越城遺構めぐり」は、往時の川越城を感じられるものとして浸透。

「川越城遺構めぐり」コース(江戸時代)

・西大手門跡
・太田道灌像
・中ノ門堀跡

・市立博物館
・霧吹きの井戸
・本丸御殿
・三芳野神社
・土塁
・富士見櫓跡

 

・西大手門跡


川越城遺構めぐりスタート地点は、西大手門跡。
場所は川越市役所前。跡といっても現在は石碑が建つのみです。この西大手門は川越街道の終点でもありました(起点は、東京・板橋)。

・太田道灌像


西大手門の石碑のすぐ脇には、川越城を築城した太田道灌の像が建てられています。
川越城を見て見て周る前に、太田さんにご挨拶・・・。ちなみに太田道灌はこの地で川越城を建てた後、江戸城を築城しました。

・中ノ門堀跡

西大手門を抜け、西に3~4分歩くと中ノ門堀跡が見えてきます。
江戸時代、この場所には3本の堀と中ノ門がありました。敵襲があった際の守りとして、当時の川越藩主 松平信綱によって作られました。現在は3本の堀の内の1本「中ノ門堀」の一部が保存されています。

・市立博物館


二郭があった場所をさらに西に進むと、川越市立博物館が左手に見えてきます。
博物館内には、川越城と城下町のジオラマやを川越の歴史を知る資料を見ることが出来ます。

・霧吹きの井戸


市立博物館の敷地内には、川越城の七不思議「霧吹きの井戸」が残されています。敵襲があった際、井戸のふたを開けると霧が噴出し城を隠してくれたという伝説があります。そのことから、川越城は別名「霧隠城」とも言われています。

・本丸御殿
その本丸に建つ建物こそ、江戸時代(嘉永元年/1848)に建てられた本丸御殿です。全国的にも貴重な建物の本丸御殿は、現在玄関・大広間・家老詰所が現存しています。

・三芳野神社

本丸御殿のすぐ近くには、歴代の川越城主や庶民から信仰が厚かった三芳野神社が佇んでいます。
この三芳野神社は、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地とだと言われています。

・土塁


三芳野神社の建つ初雁公園には、当時の天神曲輪の土塁を一部見ることができます。

・富士見櫓跡

川越城遺構めぐりの執着地点、富士見櫓跡です。
現在は富士見櫓が建っていた高台が残されているだけで、その姿を見ることはできません。
天守閣のなかった川越城にとって天守に代わる存在だった富士見櫓は、名前の通り富士山を眺めることも出来たのでしょう。いつしか再建することを夢見て、今回の「川越城遺構めぐり」は終了となります。

 

さらに、川越の城下町では、1638年の川越大火後、川越城主になった松平伊豆守信綱は川越大改革、まさに今の一番街の「十ヵ町四門前」の町割を行います。

・十ヵ町
上五ヵ町 商人町(江戸町・本町・高沢町・喜多町・南町)
下五ヵ町 職人町(多賀町・鍛冶町・志義町・志多町・上松江町)
・四門前

養寿院、行伝寺、妙養寺、蓮馨寺

(四門前の一つ養寿院)

 

(行傳寺と門前通り、出世横丁)

 

(妙養寺)

 

(蓮馨寺)

信綱はさらに新河岸川の「舟運」を整備し、江戸ー川越を直接結んで川越の発展に大きく貢献しました。
大火から10年、町は再び復興を果たし、信綱は祭具を川越氷川神社に寄進して祭りを奨励します。その後催行されたのが、今の川越まつりに繋がる川越氷川神社の「神幸祭」です。
その後の川越城主、柳沢吉保の新田開発、秋元喬知の絹織物などの殖産政策、そして松平大和守家100年の治世。
今の川越には、江戸時代の歴史がどっさりと積み重なっています。今に繋がる川越の街の財産は江戸時代起源のものが多い。

 

川越市シルバー人材センターでも、かつての川越の古地図をもとに川越城と城下町巡りを開催しています。

(川越style「古地図で巡る川越城と城下町」川越市シルバー人材センター
https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12526351446.html
 

2020年1月18日(土)に開催された「川越城跡発掘調査現場見学会」。
集まった参加者を前に、担当職員から今回の見学会の趣旨と江戸時代後期、慶応3年頃の川越城図を示しながら発掘調査の説明がありました。

慶応3年(1867)頃の川越城図は、縄張(曲輪や堀、門等の配置が示された城の全体像)や城内の建物の様子を大変詳細に描いており、本絵図に描かれた川越城の姿が、現在、近世城郭として完成した川越城の基準となっています。

松平斉典の天保12年(1841)に川越藩最大の石高17万石となり、この石高は慶応2年(1866)まで続き、また、嘉永元年(1848)に巨大な御殿建築である本丸御殿を完成させた。このことからも慶応3年(1867)頃の川越城図を川越城の基準とすることは妥当であると考えられています。
 

「川越城跡発掘調査」、A~F区に分けられた区間、それぞれの堀や溝の遺構を見ていきます。
【検出遺構】堀跡4(幕末2、それ以前2)、溝跡3(幕末以前2、時期不明1)、住居跡3(弥生時代1、古墳時代2)他

 

・D区第4号堀

 

・C区第3号堀

 

・B区第2号堀

 

また、発掘調査での出土遺物の展示もあり、屋根瓦、炭化材、被熱壁土等(城内建物の廃材か?)、陶磁器片(花器、茶器、生活雑貨等を含む)などがありました。

 

「川越市初雁公園基本計画」。

初雁公園は、「歴史が人を結ぶ公園」として、歴史的な価値が高い本丸御殿等の遺構を守り、活用することで歴史を学び、体感する場として整備されていきます。

 

【調査名】川越城跡第38次調査(初雁公園整備事業に伴う発掘調査)

【調査場所】川越市郭町2丁目地内(初雁公園内)

【調査機関】令和元年9月24日(火)~調査中

【調査目的】初雁公園整備事業における市道1225号線の付替に伴う発掘調査

【調査方法】埼玉県指定史跡「川越城跡」内であり、史跡を保全し、遺構の状況を把握するため、必要な最低限度の堀削によって、調査を進める。

【検出遺構】堀跡4(幕末2、それ以前2)、溝跡3(幕末以前2、時期不明1)、住居跡3(弥生時代1、古墳時代2)他

【出土遺物】屋根瓦、炭化材、被熱壁土等(城内建物の廃材か?)、陶磁器片(花器、茶器、生活雑貨等を含む)