ロシア(ソ連)の日本侵略の歴史ー極悪非道なスターリンのソ連の日本人虐待・虐殺(その1) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

ロシア(ソ連)の日本侵略の歴史ー極悪非道なスターリンのソ連の日本人虐待・虐殺(その1)






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ロシア(ソ連)の日本侵略の歴史ー極悪非道なスターリンのソ連の日本人虐待・虐殺(その1)

 

















極悪非道なスターリンのソ連の日本人虐待・虐殺とソ連軍兵士の日本女性強姦(その1)
 ー日本人捕虜のシベリア奴隷労働被害(シベリア抑留) 












野蛮人国家 ソ連(ロシア)、中共 の恐ろしさ

日本がロシア、中共に征服されたら、このような惨事がくりかえされるのだ! 












(1)日本人捕虜のシベリア奴隷労働被害(シベリア抑留)
2013年2月 Minade Mamoru Nowar

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/CombineDorei1.html










関連サイト:領土問題についての意見
-相手国(韓・ロ・中)の国民感情をまったく研究せず、まったく対策も講じない
  無能・無策・無責任な日本の政府・外務省・政党と日本のメデイア
-相手国の国民感情無視ではどうにもならない!
 






くやしい。悲しい。むなしい。情けない。
09年8月23日の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の『シベリア・モンゴル犠牲者追悼の集い』で
戦場体験放映保存の会・元兵士の会監事の猪熊得郎氏は追悼の辞で次のように述べた。

「それでも、地獄の淵を這いつくばり、生きて帰れた者は幸せだ。
亡くなられた犠牲者の方々のことを考えると、
くやしい。悲しい。むなしい。情けない。
誰がこんなことに追い込んだのか。
激しい怒りを禁じ得ない。」
 






 (コピー掲載不可画像)「戦友よ許してくれ」3枚
 原本を参照ください。
 








2006年3月6日午前の参議院予算委員会の審議において
民主党の谷博之参議院議員は【シベリア抑留問題】に関連して、
シベリアでの奴隷労働の苦難に耐えられた井上馨氏が描かれた
【戦友よゆるしてくれ】という3枚の絵を小泉首相に示された。

ソ連は、遺体の衣服をすべて剥ぎ取って丸裸にした上で、
埋葬することも、火葬することもなく、谷底に遺棄したのである。

奴隷として酷使され、遺体を遺棄され、禿鷹の餌食とされ、
人間としての尊厳を、とことんまで踏みにじられた。

戦友たちの、あまりにも悲惨な【野辺送り】を耐えなければならなかった
井上氏たちの悲痛な呻きが伝わってくる。

ご遺族の方々やシベリア奴隷労働被害者(シベリア抑留者)の方々の心情は
察するにあまりある。心から哀悼の意を表したい。
 







 (コピー掲載不可画像) 4枚
 原本を参照ください。
 










日本政府には徴兵責任がある。
徴兵されたため、シベリア等で奴隷労働被害を蒙った召集兵士たちに、
日本政府は、国として公式謝罪をしなければならない。

その上で、ソ連を引き継いだ
ロシアに、
国としての公式謝罪を求めなくてはならない。
 








1.日ソ戦争(ソ連の対日参戦)戦後、拉致移送される途上と
  奴隷労働中に20万人以上が死亡した



無知で愚かであった旧大日本帝国軍部の最高指導者たちが、ポツダム宣言即時受諾に
強硬に反対したことが、1945年8月9日から9月2日までの25日間の日ソ戦争
(ソ連の対日参戦)を招いた。

ポツダム宣言第9項に違反する極悪非道なスターリンの極秘指令によって、
戦争終了後、70万人以上(筆者推定)の日本人捕虜(軍人&民間人)がシベリア等に
移送され、奴隷として重労働を強制された。

ソ連軍が多数の日本人民間人を【男狩り】と称して不法に逮捕し、軍服を着せ、
捕虜と称してシベリア等へ送り、奴隷として重労働を強制したことは、何百年経っても、
厳しく非難し続けなければならない。

移送途上で4万人以上(筆者推定)、奴隷労働中に16万人以上(筆者推定)が死亡した。
 







ソ連が崩壊した1991年の10年前の1981年、自民公明政権は、
シベリア抑留中(シベリア等における奴隷労働中)に死亡した犠牲者
10万人以上と、拉致移送される途上で死亡した4万人以上を歴史から抹殺した。

自民公明政権の許し難い意図的歴史事実隠蔽である。


以後、シベリア抑留者の死亡者数は約6万人という数字が、
日本の社会に完全に定着した。
 




自民公明政権の強力な指導に従って、当時の、
外務省、厚生省、文部省、総務省、内閣府北方対策本部など、
日本政府の5省庁は、以後、おびただしい数の行方不明者数、
消息不明者数、日ソ戦争(ソ連の対日参戦)戦死者数などについて、
まったく調査しょうとせず、
まったくふれず、
犠牲者に対する慰霊はおろか、哀悼の意すら表せず、

北方領土返還要求運動なるものを全国の都道府県に命じて行い、
税金のムダ使いに過ぎない返還要求全国大会、地方大会を毎年開いている。
 





敗戦前の旧大日本帝国陸軍指導の【大政翼賛会】運動の戦後版である。

ほとんどすべてのロシア国民は、北方4島は昔からのロシア領であるとして、
敗戦国・日本の領土要求に無関心である。

ロシア政府は、日本政府の、この愚かな返還要求は、別の惑星の問題
(ロシア外務次官)とバカにしきっている。

菅元首相の【許し難い】発言があった2011年の大会を除いて、日本の
大手新聞とNHKも、この愚かな返還要求大会について報道しない。

日本の歴史から抹殺された14万人以上の犠牲者たちの亡霊は、
自民党・公明党と5省庁の高級官僚たちを怨んで、成仏できず、
今なお、シベリアの荒野を泣きながら彷徨っていると思う。






関連サイト:シベリア抑留者数の徹底調査を

関連サイト:シベリア抑留の事実隠ぺい-固く閉ざされたパンドラの箱








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参考You Tube:
『9000マイルの約束』--エセ戦犯裁判でシベリアに送られたドイツ人捕虜の物語

参考You Tube:Sabaton Panzerkampf '' Jeniec Tak daleko jak nogi ponios? 






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2.スターリンが極秘指令

読売新聞(朝刊)1992年(平成4年)6月3日第1面及び第4面より転載


この記事は読売新聞社の許諾を得て転載しています。
複製、送信、出版、頒布、翻訳等、著作権を侵害する一切の行為を禁止します。



(コピー掲載不可画像)
 原本を参照ください。



「日本軍捕虜50万人移送せよ」(スターリン)







スターリンが極秘指令 全文入手
47収容地、詳細に
ソ連参戦2週間後
シベリア抑留の原点
【モスクワ2日=古本朗】
 読売新聞は2日までに、ソ連の独裁者スターリンが対日参戦直後、右腕の
ベリヤ内相や極東戦線の司令官らにあてて発した、日本軍捕虜将兵50万人の
収容・強制労働利用に関する極秘指令の全文コピ-を入手した。

 ソ連軍の対日参戦(1945年8月9日)のわずか2週間後の同月23日に
発せられた指令文は、バム鉄道(第二シベリア鉄道)建設を始めとする
作業地域・現場別に、投入する捕虜将兵の人数、移送・収容条件などを
詳細に指示。スターリン政権が満州(現・中国東北部)侵攻と相前後して
労働力としての捕虜獲得計画を周到に練り上げていたことを裏付けている。
 


 (指令の全文4面に)

 47年の歳月を経て初めて全容が明らかになった指令文書は、
6万人近い犠牲者を生んたシベリア抑留の悲劇の原点に位置する。

 機械的な指令項目が並ぶ文面は、
捕虜となった日本人将兵を自国の所有物、【消耗品】として扱おうとした
スターリン政権の【国家意思】を生々しく示している。

 また、厚生省援護局の資料によるとソ連本土に抑留された
日本軍将兵らの総数は約57万5千人。ロシア側のシベリア抑留史研究者
として知られるキリチェンコ東洋学研究所国際協力部長も、
総数63万9千人余と報告しており、この指令文書による限り、ソ連軍による
現場での捕虜連行は、スターリン指令の【50万人】をはるかに上回る規模で
行われたことになる。

 【極秘】と記された指令文書は、スターリンが議長を務めた【国家防衛委員会】
決定(45年8月23日付)の形を取っている。「クレムリン文書保存館」と
通称される大統領直属施設に保管、公表されたことはない。
 





 決定は当時の秘密警察「内務人民委員部(NKVD)のベリヤ長官と同委員部
捕虜護送局長クリベンコ氏に対して、「50万人以内の日本軍捕虜」の受け入れ、
各収容所への移送の総指揮を執るよう命令。さらに第一、第二両極東戦線、
ザバイカル戦線の各「軍事評議会」に

シベリア、極東の環境下での労働に適した肉体条件を備えた者の中から、
50万人以内の捕虜を選別する。

ソ連領への移送に先立って各千人の建設大隊を組織し、下級士官、下士官の
捕虜に、大隊、中隊の指揮を執らせるなどを命じている。
 






 一方、NKVD捕虜問題総局に対し、ハバロフスク地方、クラスノヤルスク
地方など12地域にわたり計47か所の強制労働現場を列挙、投入捕虜数を
指示している。

 秦郁彦・拓殖大教授(現代史)の話
「いつだれの命令によって抑留が決定したかについて日本側から申し出たという
説から、北海道の北半分を占領することをソ連が提案してアメリカから拒否された
(8月18日)代償として行ったという見方まで、様々な論議がある。
それだけに今回の文書はソ連側の意思決定のポイントを示すという意味で
極めて貴重な発見だ。」
 








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ブロジェクト別日本人捕虜投入計画(極秘指令より志村英盛作成)

 #   地域   区分     プロジェクト      人数(人)
1  バム鉄道  鉄道  バイカル・アムール鉄道建設  150,000
2  バム鉄道  鉄道  バイカル・シベリア鉄道建設   5,000
3  チタ州   鉄道  ザバイカル鉄道         3,000
4 沿海地方 鉄道 沿海鉄道 5,000
5 カザフ共和国 鉄道 ジャンプロフ州カラガンダ鉄道 9,000
小計 172,000
6 沿海地方 炭鉱 スーチャン、アルコム両炭鉱 25,000
7 ハバロフスク地方 炭鉱 ライチハ・キブジンスキー炭鉱 20,000
8 イルクーツク州 炭鉱 チェレンホフ炭鉱 15,000

9 チタ州 炭鉱 ブカチャンチンスク炭鉱、チェルノフスク炭鉱 10,000
10 カザフ共和国 炭鉱 カラガンダ炭鉱 10,000  




11 ウズベク共和国 炭鉱 アングレン炭鉱 3,500
12 クラスノヤルスク地方 炭鉱 ハカス炭鉱 3,000
小計 86,500
13 ウズベク共和国 工場 ベゴハ"ド金属工場タシケント諸工場 15,000
14 イルクーツク州 工場 水素処理工場等建設 10,000
15 アルタイ地方 工場 ルプツォフカ・トラクター工場バルナウル工場 6,000
16 クラスノヤルスク地方 工場 工場建設拡張 5,000
17 ハバロフスク地方 工場 サハリン石油工場&各石油蒸留施設 5,000
18 アルタイ地方 工場 ビイスク・ボイラー工場 4,000
19 クラスノヤルスク地方 工場 エニセイ金属工場 3,000
20 カザフ共和国 工場 南カザフ州アチサイ多金属工場 3,000  



21 イルクーツク州 工場 工場建設 2,000
22 ブリヤート・モンゴル 工場 ウランウデ機関車工場 2,000
23 クラスノヤルスク地方 工場 第四工場 2,000
24 ウズベク共和国 工場 カリーニン石油工場 1,500
25 アルタイ地方 工場 バルナウル軍需工場 1,000
小計 59,500
26 沿海地方 伐採 森林伐採現場 18,000
27 ハバロフスク地方 伐採 森林伐採現場 13,000
28 ブリヤート・モンゴル 伐採 森林伐採現場 10,000
29 イルクーツク州 伐採 森林伐採現場 7,000
30 クラスノヤルスク地方 伐採 森林伐採現場 7,000
 



31 チタ州 伐採 森林伐採現場 4,000
小計 59,000
32 カザフ共和国 鉱山 ウスチカメノゴルクス・ズイリャノフスク鉛鉱山 15,000
33 チタ州 鉱山 モリブデン・タングステン・錫関連企業 13,000
34 カザフ共和国 鉱山 カラカンダ冶金機械製作タングスタン・コンビナート 10,000
35 沿海地方 鉱山 トホテ・アリンスキー鉛コンビナート・シナンチャ錫工場 5,000
36 ブリヤート・モンゴル 鉱山 モリブデン・タングステン・コンビナート 4,000
37 ハバロフスク地方 鉱山 ヒンガン錫鉱山 3,000
38 アルタイ地方 鉱山 ゾラツーシュク非鉄金属鉱山 3,000
39 カザフ共和国 鉱山 ジェズカズガン非鉄金属鉱山 3,000
小計 56,000
40 イルクーツク州 兵舎 兵舎建設現場 11,000
 


41 沿海地方 兵舎 兵舎建設現場 10,000
42 チタ州 兵舎 兵舎建設現場 10,000
43 ハバロフスク地方 兵舎 兵舎建設現場 5,000
小計 36,000
44   ハバロフスク地方  建設  ニコラエフスク港アムール・コムソモリスク等工場建設 15,000
45   沿海地方     建設   ナホトカ、ウラジオストク港建設現場  12,000
46   ハバロフスク地方    建設     アムール自動道路    2,000
47   ハバロフスク地方    建設     海運及び河川運輸    2,000
小計 31,000
合計 500,000 








3.日ソ戦争 地図・ソ連の歴史教科書

ポツダム宣言第9項
日本の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰して
平和的、かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。

ソ連の対日宣戦布告文 ・・・抜粋・・・
無条件降伏を要求した今年7月26日のアメリカ合衆国、英国ならびに中華民国の宣言を
日本は拒否した。日本の降伏拒否を熟慮した結果、連合国はソ連政府に対して、
日本の侵略に対する戦争に参加するよう求めた。ソ連政府は連合国に対するソ連の義務に従い、
連合国の求めを受諾し、今年7月26日の連合国のポツダム宣言に参加した。
ソ連政府は、明日、8月9日より日本と戦闘状態に入る旨宣言する。





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香月泰男(KAZUKI YASUO)画伯 『北へ西へ』:
奴隷として貨車でシベリアへ拉致移送された日本人捕虜たち
著作権者の許諾をいただいて掲載しています。コピー・転載は禁止します。
 








拉致移送途中においても、環境変化、精神的ショック、疲労、発病で死亡したものも少なくなかった。
徒歩による拉致移送途中、逃亡しようとしたもの、疲労と発病のため隊列から落伍した者は
「連れて行くのが面倒だ」とするソ連兵に容赦なく射殺された。

ウラジミール・ポ・ガリツキー氏(ロシア軍事アカデミー・メンバー、法学博士、教授、海軍大佐)は、
毎日新聞社が1999年2月に発行した『毎日ムック シリーズ 20世紀の記憶 1945年 
日独全体主義の崩壊 日本の空が一番青かった頃』の第129頁で

「日本人捕虜の大多数は満州からソ連領土までを徒歩で移動した。
ソ連国内の指定地点への移動は鉄道の貨車で行われた。
その移動の途中で、32,722人が死亡した」と述べている。

筆者は、拉致移動途中に死亡した日本人捕虜は4万人以上であったと推定している。
しかしながら拉致移動途中の死亡者数については何らの資料も残されていない。
 













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捕虜は貨車でシベリアの荒野へ! 








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貨車で死亡した捕虜は馬車に野積みにされ、荒野に運ばれ、遺棄され、虎と狼とハゲ鷹の餌食に! 









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荒野の真ん中の捕虜収容所まで徒歩で移動! 










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旧厚生省の公式発表では満州・北朝鮮で民間人が25万人以上死亡した。

軍人と民間人合わせて、45万人以上が死亡したと推定される。

戦闘中の戦死者と合わせると、日ソ戦争(ソ連の対日参戦)で
死亡した犠牲者数は50万人以上と推定される。
 


2009年7月まで、自民党政府は国会において、繰り返し、
「日ソ戦争戦闘中の戦死者数は把握していない」との答弁を
臆面もなく繰り返している。
「今後、調査します」とは一言も言っていない。
自民党政府の不作為の罪と歴史事実隠ぺいの罪は重いと思う。








4.抑留ではない!日本人捕虜は、まぎれもなく
  奴隷として酷使され、死に追いやられた!


この悲惨な歴史事実について、2009年12月時点にいたるまで、
日本政府も、マスコミも、数多くの犠牲者の体験記も、すべて
シベリア抑留という表現を使っている。

しかし拉致移送された日本人捕虜(軍人及び民間人)の悲惨な
実態を知れば知るほど、彼らが受けた苦難は
【抑留】という言葉から連想される状況とは大きく異なる。
 






日本人捕虜(軍人及び民間人)は、まぎれもなく、
奴隷として一切の人権を奪われ、
生きるための食糧すら十分に与えられず、
奴隷として酷使された。

零下30度~50度の極寒の中でも野外での
休憩なしの奴隷労働を強制された。

病気になつても、怪我をしても、熱が38度以下であると
奴隷労働を強制された。
 









極寒の中での奴隷労働で凍傷になり、手足の切断を余儀なく
されたものも少なくない。

劣悪な作業環境で石炭・鉱石の採取作業を強制されたものの
多くは【シベリア珪肺】に犯された。

捕虜収容所の衛生環境は劣悪で、
発疹チフス・赤痢・痘瘡・疥癬などの伝染病が蔓延した。
全員シラミに悩まされた。

病気になっても、怪我をしても
医療を受けることや、医薬品を支給されることは稀であった。
医療を受けられないため、ヘルニア、肺炎、盲腸炎、結核などに
犯されたものは皆死亡した。
 


ソ連一般労働者よりはるかに高い【ノルマ】を課せられ、
1日、10時間以上の重労働を強制された。
【ノルマ】未達者は食糧を減らされた。
さらには食糧を支給されないことすらあった。




伝染病・医療の欠如・飢え・栄養失調・過酷な重労働・極寒で
日本人捕虜(軍人及び民間人)たちは続々と死亡して
【死体の堆積(ヤマ)】を築いた。

逃亡を企てた者は【問答無用】で射殺され、
見せしめのため遺体を晒され、
人間としての尊厳を冷酷に奪われた。

日本人捕虜(軍人及び民間人)たちは、
日々【絶望感】に苛まれ、
【民主運動(=スターリン礼賛と社会主義革命のための洗脳教育)】と
【つるし上げ(=ソ連当局者の指示に従わない者を集団で非難すること)】
という【精神的拷問】に苛まれた。
 







あらゆる意味において「これこそが奴隷労働だ」
との定義に100%あてはまる悲惨な歴史事実である。

この悲惨な歴史事実を、
現在の日本国民が偏見にとらわれることなく
正しく認識して、後世に確実に伝えるためにも、
現在及び将来のロシア国民に、
この悲惨な歴史事実を正しく認識させるためにも、
さらには悲惨な戦争の惨禍を防止するため、
広く国際社会に、この悲惨な歴史事実を認識してもらうためにも、
「シベリア抑留」と表現することは止めて、
「日本人捕虜のシベリアにおける奴隷労働」と
表現しなければならない。
 







 (続く) 





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