極真空手紹介

極真空手創始者 大山倍達 総裁

極真空手とは故・大山倍達によって生み出された空手である。

 

「極真」と言う名称は、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言ら発したもので「武の真髄を極める」と言う意味がこめられている。

 

戦後の空手界において突きや蹴りを相手の体に直接当てることを禁じた「寸止め」ルールが一般的であった事に異を唱え、武道本来がもつ実戦対応能力の重要性を提唱「直接打撃制 ( フルコンタクトルール ) 」を世界で初めて採用した空手です。

 

そして創始者大山倍達の提唱した「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という極真精神を礎とし、極真空手道を通じて人格の淘治と心身の鍛錬をはかり、社会貢献の遂行を目的としています。さらに、極真空手においては人権・民族・国家・政治・思想・宗教・性別・年齢などによる偏見を廃し極真空手を通じて世界交流を行い世界平和に貢献することを究極の目標としてます。


極真館紹介

極真空手道連盟 極真館

極真空手道連盟極真館は、極真カラテ創始者である故大山倍達総裁の遺志を受け継ぎ、武道空手の追求と青少年の健全育成を柱に2003年1月13日に発足しました。1994年の大山総裁逝去後、「極真」は複数の団体に分かれ、それぞれの理念の下に活動をおこなっていますが、我々極真館は、武道としての空手を追求していく中で、空手の基本・型・武器術を再度見直すとともに、現代の日本人が失いつつある礼節にも重きをおいた活動をおこなっています。

極真館の稽古体系は、基本稽古の習得、移動稽古、型の分解や古来より伝わる武器術などの導入(棒・サイ・トンファ・ヌンチャク)、巻き藁や砂袋で拳足を鍛える部位鍛錬、中国拳法(意拳)の要素を取り入れた稽古法など多岐に及びます。

 

極真カラテの試合は素手・素足による直接打撃制が採用されています。手技による顔面攻撃を禁止している関係上、選手同士が膠着した状態で技を出し合う傾向が強く、また相手を押す行為などから「相撲空手」と揶揄された時期もありました。極真館では武道という観点で捉えた場合、無防備に相手に近づくことをルール上で制約し、常に手技による顔面攻撃を想定した間合いで試合を行うことを前提としています。また、相手を尊重することを大切にし、試合後のガッツポーズを禁止しています。(ガッツポーズをした際は失格となります。)

 

極真館では従来の直接打撃制ルールに加え、2006年4月29日の全日本ウェイト制空手道選手権大会より手技による顔面攻撃を認めた「ウェイト制真剣勝負ルール」を採用しています。(ウェイト制大会に限る)選手は安全上、拳グローブと肘サポーターの着用を義務付けとし、単にルールの過激さを標榜するのではなく、実践での戦いを想定した要素も含んだ内容となっています。

 

公式HP:http://www.kyokushinkan.org/index.htm

 

極真精神

頭は低く 目は高く 口謹んで 心広く

孝を原点として 他を益す

道場訓

一、吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること
ひとつわれわれは しんしんをれんまし かっこふばつのしんぎをきわめること
(私達が空手を修行する目的は、自分自身の体と心を鍛えることにあり、真剣に稽古に打ち込むことで、どんなことにも動じない心と強い意思といった物を習得していかなければならない)
 
一、吾々は武の神髄を極め、機に発し感に敏なること
ひとつわれわれは ぶのしんずいをきわめ きにはっしかんにびんなること
(私達は武道として空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけなければならない)
 
一、吾々は質実剛健を以て、克己の精神を涵養すること
ひとつわれわれは しつじつごうけんをもって じこのせいしんをかんようすること
(私達は自分を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に打ち込むことによって、自分自身に打ち勝つ、強い心を養っていくことを心がけなければならない)
 
一、吾々は礼節を重んじ、長上を敬し粗暴の振舞ひを慎むこと
ひとつわれわれは れいせつをおもんじ ちょうじょうをけいしそぼうのふるまいをつつしむこと
(私達は礼儀を身につけ、 目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとってはならない)
 
一、吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
ひとつわれわれは しんぶつをとうとび けんじょうのびとくをわすれざること
(私達は人間の力の及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手の事を大切にし、自分を謙遜する態度を忘れてはならない)
 
一、吾々は知性と体力とを向上させ、事に望んで過たざること
ひとつわれわれは ちせいとたいりょくとをこうじょうさせ ことにのぞんであやまたざること
(私達は空手の修行によって、ただ肉体を鍛えさえすればいいというものではなく、知性と体力をともに向上させなければなりません。それによってどんな状況でも焦らず、冷静に対処することが出来るようになるのです)
 
一、吾々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること
ひとつわれわれは しょうがいのしゅぎょうをからてのみちにつうじ きょくしんのみちをまっとうすること
(武道として空手の修行は一生かけて追い求めるものです。 一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢それが極真空手の本義なのです)
 

修行心得

天地一拳
空手を志す者の道は一つである
基本回帰
何事も基本は大切である。基本の内に奥儀がある事を知るべきである
日々鍛錬
毎日の鍛錬が己を強くすると心得る
一拳必殺
繰り出す一撃に相手を倒す威力を持たせ
一蹴必倒
一蹴りでも確実に倒せるようになるまで繰り返し稽古に励むべきである
変幻自在
さすれば技を自由にこなすまでになるだろう
空手求道
空手を志す者は又、道を極めるまで修行すべきと心得る
生涯修業
よって命尽きるまで修行であると心得る
極真精神
以上をもって極真の精神であると心得る
天下布拳
空手道を広める事で、平和を願うものである