役員紹介

副館長・本部長
湖山 彰夫

(こやま あきお)

1958年8月
鳥取県生まれ。
21歳で極真会館総本部入門。
後に盧山道場に移籍し、内弟子寮「盧山泊(ろざんぱく)」初代寮長を務める。
盧山道場で武道空手の神髄を学んだ後、極真会館山陰支部長として活躍。
2002年12月
極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」本部長として就任する。

 

 

館長代理兼首席師範

岡崎 寛人 
(おかざき ひろと)

 

1961年4月
福島県生まれ。
中学1年生で極真空手を始める。
高校卒業後盧山道場に入門し内弟子となる。
福島県支部時代から盧山師範の薫陶を受け、盧山空手の神髄を学んだ後、福島県支部長として活躍。また古流空手道、居合道などを学び、型の第一人者として知られている。
2002年12月
極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」副本部長として就任する。

2012年4月

副本部長、支部長の役職を退任し、新たに首席師範に就任する。

 

 

相談役/国際委員会特別委員長
ジャック・サンダレスク
(Jacques Sandulescu)

大山倍達が北米巡業中に対戦した数々の相手の中で、唯一ジャック・サンダレスクだけが、実際にこの偉大な空手家の弟子となった。

 第2次世界大戦中、当時16歳だったジャック少年はロシア人に捕らえられ、ドンバスという炭鉱所で強制労働の日々を過ごすこととなった。ある日、事故が原因で生き埋めになったジャックは5時間後奇跡的に救出されるも、両足がひどく潰れてしまった。彼は収容された病院で医者が彼の両足を切断する計画であることを偶然知り、その日の夜シーツで足を包み、ドイツに向けて必死の逃亡を断行した。逃亡に成功したジャックは大戦後アメリカに渡り、その風貌から映画界に入り、マフィア役を務める事もあった。

 大山倍達と出遭ったのは、それから何年か後のことである。

 ある日、身長195cm、体重190㎏近い巨人ジャックは、大山が手刀でレンガを割るのを見て、「ワッハッハッハッ、君は空手六段か。もしワシが2枚割ったら何段くれるかね?」と言って、実際に2枚のレンガを粉々に割ってみせた。しかし道場での戦いで、ジャックは大山に叩きのめされ、彼は大山の忠実な弟子となった。その後、長きに渡りよき友人として極真を支えて来た。

 1970年代初頭からは、同じ大山の弟子である盧山初雄と親交を深め、その盧山が大山の追及した武道空手を正当に受け継ぐべく発足した今日の極真空手道連盟極真館に深い理解を示し、この度、極真館の国際相談役として就任する。

 

訃報
2010年11月19日、多臓器不全のため82歳で永眠されました。

永い間、最後の最後まで極真を陰で支えて下さったジャック師範のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

国際委員会委員長
ホセ・ミリャン
(Jose Antonio Millan Fuertes)

1963年4月に極真会館の前身である大山道場に入門。
 1966年、昇段の後スペインに帰国。スペイン国初の空手有段者となる。しかし、スペイン国内では当時のスポーツ省の規制により、空手道を稽古することが禁止されており、再び日本に戻る。
 以来約40年間日本で暮らす。盧山館長や廣重副館長とは長年共に稽古をした仲で、現在も親交が厚い。

 1972年、スペインの国王と女王陛下が来日する際、大山総裁が大演武会を企画し、ミリャンも演武に参加する。この演武会が大成功し、スペインでも極真空手が見直される。
 2001年までは、本業である神奈川大学教授を勤める傍ら、世界大会や全日本大会において主審や副審を務める。
 現在は本国スペインに戻り、極真館の国際委員長として広く世界に極真館空手道の普及を目指す。

 

訃報
2016年2月29日、白血病のため79歳で逝去されました。

1963年に大山道場に入門してから、極真空手と極真館の発展に尽力され、国際委員長として活躍されていました。心よりミリャン師範のご冥福をお祈り申し上げます。