2017/09/27 東京読売新聞

 終戦前後の混乱期に満州(現中国東北部)で集団自決に追い込まれた開拓民の悲劇を伝えようと、兵庫県尼崎市の写真家・宗景(むねかげ)正さん(70)が、犠牲者の眠る地をカメラに収め続けている。帰郷を果たせなかった人々の無念をしのび、10年前から撮りためた写真は3万枚以上。30日には報告集会を開き、撮影した写真とともに現地の経験を語り継ぐ。
 きっかけは、夜間中学で日本語を学び直す中国残留邦人への取材だった。多くの孤児を生んだ満州の歴史を調べるうち、100人以上が集団自決した開拓地が17か所あると知り、「国策に人生を翻弄(ほんろう)された人たちの記録を残したい」と思い立った。
 以来、400人以上が自決した旧東安省(黒竜江省)など4か所に足を運び、今年6月の訪問先には旧但東町(兵庫県豊岡市)から約480人が入植した旧浜江省(黒竜江省)を選んだ。終戦直前に侵攻した旧ソ連軍から逃げ切れずに多くが川に集団入水し、298人が亡くなったとされる。
 同行したのは、宗景さんの活動を知った兵庫県明石市の石田拓男さん(68)。一家7人で入植した父・義雄さん(2010年に92歳で死去)は、集団自決で母と当時の妻、弟、妹の4人を失ったが多くを語らずに亡くなっており、「親類の苦難をこの目で確かめたかった」という。
 かつて開拓村があった場所に行くと、集団入水した川は既になく、1日がかりで捜した現場はトウモロコシ畑だった。住民から「この辺を深く掘ると骨が出てくる」と教わり、宗景さんらは遺骨すら捜してもらえず亡くなった犠牲者を思い、手を合わせた。
 宗景さんがこれまでに撮影したのは、今回の約2000枚を含めて3万枚以上。今の街並みや軍事施設跡など、当時の面影を追ってきた。パネル展や講演の資料に使っていたが、いずれは写真集にするつもりだ。時間の経過とともに現場の特定は年々難しくなっており、「残された時間は少ない。出来る限り記録を続け、後世に残したい」と語る。
   
 写真=開拓団が集団自決した現場の写真を広げ、訪問時を振り返る宗景正さん(左)と石田拓男さん(兵庫県尼崎市で)=近藤誠撮影