最近北朝鮮をはじめ、シリアや世界で起こるテロなど世界が緊張状態にあります。

安保理の時は随分と戦争反対を叫んでいた人たちもどこへやら、「戦争になったら嫌だな~」くらいな程度しか聞かれません。とは言っても個人の一般市民には国を動かす力なんてないからどうしようもないのだろうけれども、最終的には時の流れ、運命の流れには抗えないのでしょうが、世界的に見たとしても目立った平和への呼びかけが少ないように感じます。

昨日テレビ番組で橋本徹氏が「1941年12月の一週目のようだ」と言っていましたが、本当にこれぐらい逼迫している状態なのかもしれません。日本軍は1941年12月7日(日本時間では8日)真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まりました。

今まではアメリカ本土に直接攻撃をされる危険性がなかったから呑気にしていたものの、直接攻撃されそうになったので「お前それは許さんよ、ただし俺はいつでもお前を攻撃するからな」というように私は感じますが。トランプ大統領は選挙の時、アメリカは世界の警察にはならない、と言っていた気もします。その割には色々と過干渉とも思えます。

 

いろいろな解釈がありますが、なぜ日本は太平洋戦争という勝てる見込みのない戦争をしたのか。資源、国力を考えても勝てる要素はかなり少ない。山本五十六も「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい 」と戦争に反対していた。時代の流れ、宿命には抗えなかったのか結果日本は戦争へ進んでいきました。戦争はしたくてしたというよりかは戦争にならざるを得なかった、と私は思います。

 

「ボクのお父さんは桃太郎というやつに殺されました」

 

戦争というものは分からないし、政治も詳しくないですが私はいつもこの言葉を考えます。世界の人間の多数が支持する側を正義とする。そんな世の中だと思っています。世界は不平等に溢れ、力あるものが都合よくなるようにできている。

 

北朝鮮が正しいとは言わない。アメリカが正しいとも言わない。

 

ただし、戦争が起これば間違いなく誰かは死ぬ。

人は生まれたとき誰しも平等に母親のお腹から生まれてくる。そして親、もしくはその他保護者によって育てられて成長し大人になっていく。誰かしらに世話にならないと人は成長しない。もちろん人によって人生の歩み方は違うし、中には自ら死を選ぶ人もいます。しかし、命の尊さは一般市民だろうが大統領だろうが皆変わりないと思います。戦争で犠牲になるのは市民、とよく言うけれども兵士だって同じ人間だし、死んだら悲しみが残る。

戦争が終わって70年余り、日本は戦争をしてこなかった。多くの悲しみを基に日本は平和を保ってきました。今また、戦争への流れが出来かかっているように感じます。

妻と出会って結婚して、二人の娘が産まれて、僕はこの命を守りたいし悲しませたくはない。不運にも戦争になったとして例えミサイルが飛んできたりしてもどんな絶望の中であったとしても守りたい。しかし、そこは寿命があるかどうかだとも思うし、運があるかないか。爆弾で亡くなる方もいれば病気で亡くなる人もいるわけで、急に車が飛び込んでくるかもしれないし、雷に当たって死ぬかもしれない。だから、変に気にすることもなく今日、明日、そしてこれからも過ごすのだろうけれども。でも思う。

「戦争になったら嫌だな~」と。

それぞれのお国の事情はあるだろうし、自分自身の価値観は自分の中の常識で他人からすると非常識だったりするわけだから、考え方はそれぞれ。

 

でも僕にできるのは大切な人たちの為に精一杯歌う事だけ。先日も「ランメルモールのルチア」というオペラを歌ったけれども、オペラの中のエドガルドという人の人生を楽譜の中で精一杯生きる。最後の最後まで。それがオペラを演奏する中で最も重要だと僕は思います。なぜ、オペラを聴くと観ると感動するのか。それは人が精一杯生きている様子が描かれているから。人生は美しいから。

簡単に殺していい命など存在しない。僕はそう思います。

そういえば今月4月といえば戦艦大和が沈んだのが1945年の4月7日。日本という意味を持つ名前の大和が日本を守るため戦って沈んだわけで。やっぱり戦った人たちは日本の平和の為を願ったのだろうなぁ。

人の人生を歌う、オペラ歌手という仕事をしているので、色々と考えてしまいました。

 

 

via Tenore 松岡 幸太
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