わたしが失ったもの【言葉が話せない理由②】の記事では、
言葉を失っても『今まで生きた記憶』は失っていないので、物や自分の感情を認識できることをお伝えしました。
言葉を使わないで物や感情を認識する方法は、『今現在得られる情報(音や映像など)と、過去の記憶とを照らし合わせて答えを生み出す』という認識の仕方です。そしてわたしは何かを認識するとき、時として過去の記憶がはっきりと映像化されることをお伝えしました。
では、わたし以外の他の失語症の方はどうなのでしょう。わたしのように過去の記憶を映像化することはあるのでしょうか?
下記の画像はある失語症の方の日記の下書きです。
(出典 : 『失語症の記録 奪われた言葉・取り戻した言葉』笹沼澄子他 編 1985年 大修館書店 p.196-p.197 )
この方は本当は、
「円陣をつくって」
「葉っぱが散っている」
「流れている」……と、
書きたかったのです。
この方の記事のタイトルに
『まだ、ことばや文字が思い出せない』……とあるので、思い出せないものは、
『自分にだけわかる記号?を書いておいて、あとで、……(中略)……国語辞典を引いて』漢字をさがして日記に清書されたようです。
もう一度画像を見てみましょう。
画像にある三つの文のなかで、葉っぱの絵を織り交ぜて文にしたものがあります。これってやっぱり……【葉っぱ】という言葉が思い出せないので、
葉っぱに関する思い出を無意識に映像化して
葉っぱの絵を描いたと思われるのですが、どうなんでしょう?
ご本人に確認することができませんので断定できませんが、たぶんわたし以外の失語症の方も言葉を思い出せないかわりに、過去の記憶を無意識に映像化しているように思われます。
過去の記憶を映像化して頭に思い浮かべることは、この記事をご覧頂いている皆さまの中には、一見どうでもいい話のように思われるかもしれません。けれど、もし映像化することができなければ、わたしたちは「絵」を描いたり「文字」を書くことはできません。これはわたしの個人的な見解ですが、詳しい事はまた別の機会に書いていく予定です。
今回の記事ではなぜわたしは言葉を話せなくなったのかについて、わたしなりに考えて出した結論を書いていきましょう。