わたしが言葉を話せなくなった時の症状は、
話しかけられる言葉は理解できるけど、自分からは話せない
というものでした。
例えば、テーブルにりんごがあるとします。
わたしはりんごを見ても、「りんご」という言葉を思い出せません。
言葉は思い出せませんが、もちろんそれが「りんご」であることはわかります。
誰かが「これ、りんごだよ」と、わたしに教えてくれます。
わたしはその言葉をすべて理解しています。
けれど、その後 自分も「りんご」と言おうとしたとき、その瞬間、わたしの心の世界から『りんご』という言葉は……
『消えてしまう!?』
のです。
実際は話しかけられる言葉は理解できるので、言葉に関する知識や記憶はあるといえます。でも自分から思い出そうとすると、
話しかけられる言葉は理解できるけど、自分からは話せない
というものでした。
例えば、テーブルにりんごがあるとします。
わたしはりんごを見ても、「りんご」という言葉を思い出せません。
言葉は思い出せませんが、もちろんそれが「りんご」であることはわかります。
誰かが「これ、りんごだよ」と、わたしに教えてくれます。
わたしはその言葉をすべて理解しています。
けれど、その後 自分も「りんご」と言おうとしたとき、その瞬間、わたしの心の世界から『りんご』という言葉は……
『消えてしまう!?』
のです。
実際は話しかけられる言葉は理解できるので、言葉に関する知識や記憶はあるといえます。でも自分から思い出そうとすると、
さっき理解した言葉、例えば『りんご』という言葉がどうしても頭に思い浮かべることができません。
それはまるで『りんご』という言葉の存在そのものが自分の心の世界から消えてしまったような感覚でした。
このようなことは、自分の名前にも起こりました。
誰かがわたしの名前を呼ぶと、わたしはその言葉が自分の名前であることを迷いもなく理解できました。
失語症で、このような症状がでると、誰かから言葉を教えてもらっても『復唱』することが、きわめて難しくなります。
例えば50音表を使って、「あ」を指差しながら
「《 あ 》と言ってごらん」と
うながしても、まず言えません。
相手の言葉を理解して、自分も「あ」と言おうとすると、そう思った瞬間、「あ」という言葉は不思議なことですが、心の世界から消えてしまう……そういう感覚になるのです。
誰かがわたしの名前を呼ぶと、わたしはその言葉が自分の名前であることを迷いもなく理解できました。
けれど、決して自分から名前を言うことはできません。
自分から名前を言おうとした瞬間、先ほどの『りんご』のときと同様に、さっき聞いた自分の名前が、わたしの頭の中から消えてしまうからです。
自分から名前を言おうとした瞬間、先ほどの『りんご』のときと同様に、さっき聞いた自分の名前が、わたしの頭の中から消えてしまうからです。
失語症で、このような症状がでると、誰かから言葉を教えてもらっても『復唱』することが、きわめて難しくなります。
例えば50音表を使って、「あ」を指差しながら
「《 あ 》と言ってごらん」と
うながしても、まず言えません。
相手の言葉を理解して、自分も「あ」と言おうとすると、そう思った瞬間、「あ」という言葉は不思議なことですが、心の世界から消えてしまう……そういう感覚になるのです。
この症状で勘違いしてほしくないことは、「あ」という言葉を復唱できないからといって、「あ」という言葉を「覚えられない」というわけではありません。
話かけられる言葉は理解できるということは、「あ」という言葉はすでにその方の脳にしっかりと知識として刻まれているからです。
つまり、
『覚えている』のです。
けれど、『覚えている』のに、たった一音節すらも復唱できない、思い出すことができないという症状は、普通の健康な人から見る常識では理解しがたいものです。
『あ』という、たった一音節を、わたしはなぜ復唱できなくなったのでしょうか?