当時のわたしは聞き取った言葉を、自分の頭の中でもう一度再現する(思い出す)ことはできませんでした。

けれど言われたことを記憶できないわけではありません。

確かに言われた言葉そのものは思い出すことはできませんでしたが、

言葉を聞いた瞬間 感じた気持ち……、印象ともいえるものはいつまでも心に残っていました。

このあたり少しわかりづらいかもしれませんが、健康な人も長文を聞いて理解するときは、このような

『印象ともいえる記憶』

頼りにしています。

例えば、テレビのニュースを見るとき、アナウンサーが伝えた言葉をそのまま記憶できる人は、まずいません。

けれどわたしたちは、全ての言葉を記憶できなくても、ニュースの内容を理解し、なお且つそれを他の人にも伝えることができます。

これは記憶に残らなかった言葉を、『最初に聞いたときに感じた気持ちや印象で埋めて、長文全体の意味をとらえ直している』からです。

けれど、この印象ともいえる記憶に頼って意味をとらえ直すとき、どれほど正確さを欠くかは、『長文の理解力①』の記事で紹介した例のゲームを思い出して頂ければ想像つくと思います。

そして多くの人は自分が理解した内容を『正しい』と思いこんでしまうものです。

わたしが言葉を失ったときの話しかけられる言葉の理解の仕方は、全てにわたって、印象ともいえる記憶を頼りにするものでした。

ですから、長文になればなるほど、正確に理解できなくなるのは避けられないはずです。

けれどこの後遺症は、当の本人も周囲の人も気づきにくいことだと思います。



さて、今回お伝えした『印象ともいえる記憶』についてですが、この能力はわたしが言葉を取り戻すときにフルに活用した能力です。この『印象ともいえる記憶』がなければ、わたしは言葉を取り戻せなかったでしょう。

『印象ともいえる記憶』は、わたしの言葉を取り戻す過程を説明するとき、要になっているものなので、この時点で理解が難しいとなると、わたしがどうやって言葉を取り戻したかを理解するのも難しくなります。

ですので、もし『印象ともいえる記憶』について、わかりづらいところがあれば、ぜひこちらへ質問して下さいませ。できるかぎりお答えしたいと思います。……ただ、ご質問されるときは、お手数ですが、わたしのブログの失語症に関する記事を一読してからにして頂くと助かります。



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(『長文の理解力』の記事は、2009年au oneブログで投稿した『カモミール咲きました』と『長文の理解力』の二つの記事を一つに合わせて改稿しました。)



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