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言葉を話すために声を出すことと
単なる『声』を出すことの違いは



一つめは
言葉を話すときは、『言葉という音』をまず頭の中に想像力でしっかり思い浮かべなければならないことです。これができてはじめて『言葉を思い出した』と実感できます。ある特定の音を正確に頭にイメージする能力は生まれながらに備わっている能力ではないとわたしは思っています。



二つめは
言葉を話すときの筋肉の使い方は、イメージ通りの音を確実に出せるようになるまでにかなり練習を積まなければならないことです。



では、



なぜ練習を積まなければならないのでしょうか?



……それは結局、生まれながらに備わっている能力だけでは脳は処理しきれないからだと思います。



わたしたちは「あ」を言いたいと思ったらすぐに「あ」の音を言えます。それも100%に近い精度で脳はわたしたちの『「あ」の音を言いたいという望み』を実現させます。



この『すぐにできる』……、脳が『即、対応できるというところまで脳が処理できる能力を身につけるには



様々な経験から得られたデータ(記憶)が必要です。そのデータには脳が上手く処理できなかったデータ(経験・記憶)必ず含まれていなければなりません。



いいかえれば、
生まれながらに備わっている能力だけでは例えば「あ」をいいたいなぁ……と、思っても脳は即対応できないということです。



会話において自分がイメージした音(思い出したい言葉)が、すぐに正確に出せないというのは致命的です。母国語である日本語で考えてるとわかりづらいですが、例えば英語でapple や earth というとき、その単語を思い出し正確に発音するのに、脳がその処理を終えるまで3秒もかかってしまったら会話は成立しにくいでしょう。



自分の気持ちを会話で表現するには『言葉を思い出すこと』『思い出した言葉という音を声に出していくこと』、この二つの処理を脳は100%に近い精度で実現していくことが求められます。これは生まれながらに備わっている能力だけでは到底できないことです。



一方、単なる『声』は声ならなんでもいいので、どんなふうに口を開けるか脳は考える必要はありません。赤ちゃんは生まれたとき泣き声をあげて肺呼吸を始めます。口を開け、声を出す』能力は生まれながらに備わっている能力です。



単なる『声』はその生まれながらに備わっている能力を使って、


適当に口を開け、適当に声を出して偶然に出る音です。練習を積まなくてもできる声の出し方です。



さて、今回は『言葉を話すために声を出すこと』と『単なる声を出すこと』との脳の処理の仕方の違いをわたしなりに説明してみました。わたしは二つしか違いをあげられませんが、まだまだあるかもしれません。もし他にも違うところがありましたらぜひ教えてください ( ̄▽ ̄)



次回はわたしが失語症になって初めて自分の声を聞いたとき、偶然気づいたことを書いていきたいと思います。





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