乙女のトキメキあなたがブログをはじめたきっかけを教えて!ニコニコ

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わたしは小学一年生の時、交通事故で失語症になりましたが、35歳ぐらいまでわたしは失語症になったことがあることを誰かに話したことはありませんでした。



だから学生の時にできた友達の中で、わたしが失語症を経験していることを知っている人はいません。もしかしたらわたしの従兄妹さへ、わたしが過去に言葉の障害が出たことがあることを知っている者はいないかもしれません。



失語症のことは秘密にしていたわけではありません。ただ、自分でも今思うと不思議なのですが、わたしは失語症のことを誰かに聞いてもらいたいと思ったことが一度もなかったのです。



小学生の三年生か四年生の頃、母にこう言われたことがあります。



「(脳の後遺症で言葉に障害が出たら)あなたのようにみんなが普通の学校に行けるわけではないのよ」と。



確かに言葉に障害が出たとき、わたしの主治医はリハビリ方法やアドバイスを一切してくれませんでした。けれどわたしは成長するにつれて、医療がどんどん進歩していく様子を見て、こう思うようになりました。



わたしの時は主治医の先生はなんのアドバイスもしてくれなかったけど、医療の技術は益々進歩しているし、きっと失語症も昔よりもっと治りやすいだろう……そう思い込んでいたのです。



携帯電話が一般的に普及しはじめたのは、たぶんわたしが24才から25才の頃だったと思います。わたしが大学生の頃は周囲で携帯電話を持っている人は誰もいませんでした。



わたしは30を過ぎた頃から携帯を持ち始めました。そして職場で一緒に働いていた人の中でブログを書いていた人がいて、その人を通して『ブログ』というものがこの世にあることを知りました。



実は、わたしは失語症を経験した小学一年生の時から知りたかったことがありました。わたしは失語症になったとき、『全く言葉が思い出せなくなったときにだけ経験した不思議な体験』がありました。だから、他の失語症の方も言葉を一つも思い出せなくなるとわたしのような不思議な経験をするのか、小学一年生の時からずっと知りたかったのです。



わたしは学生の時から、わたしと同じ失語症を経験した人と一度お話をしてみたいと思っていました。けれど一度もその機会に恵まれませんでした。



職場の人を通して『ブログ』という存在を知ったとき、もしかしたら『ブログ』のなかに、わたしのように失語症を経験した人が『言葉を一つも思い出すことができないからこそ経験することができるあの不思議な出来事』を記事にしているかもしれないと、期待したのです。



わたしはGoogleを何度も検索しました。実はGoogleを検索することじたい、これが初めてのことでした。そして検索した結果、わたしはその時初めて失語症が今でもその症状を改善することが難しい障害であることを知りました。 



まず、ショックだったのはわたしと同じような症状が出た場合の失語症のリハビリ方法を記載された記事が見つからなかったことです。その後、わたしは専門書を読みあさりましたが、明確なリハビリ方法を記載された本は見つけられませんでした。とてもショックでした。わたしは自分と同じような境遇の人となぜ巡り会えないのか、その本当の理由を30半ばでやっと知ったのです。



小学生の時に言われた母の言葉が胸に突き刺さりました。



「あなたのようにみんなが普通の学校に行けるわけではないのよ」



あの母の言葉は、とても残念だけど今でも通じる言葉なのでしょう。



わたしは失語症の経験を今まで話さなかったことをとても後悔してます。わたしは自分の経験をあえて話す価値すらないものだと思っていました。でも今は機会があれば失語症のことを話すようにしています。



わたしの経験上から、失語症を改善していく確率を上げていく一番の方法は、失語症になる前にこの障害がどういうものなのか事前に知っておくことだと考えています。失語症になってからこの障害がどういうものなのか知りたくても、自分で調べることはとても困難です。だからブログという誰もが見ることができる形でわたしの失語症の経験を記事にし、失語症とは関係ない記事も書くことで失語症に関心のない方もにも訪問していただき、失語症のことに興味を持っていただけるきっかけになればと思っています。



さて話は変わりまして、先日勤め先のお店でカゴ車の組み立て作業をしていたら、カゴ車の一部がフックから外れてわたしの頭にゴンっと当たってしまいました。



カゴ車とは、商品が入荷した時に運搬するための荷台で、使わない時はコンパクトに畳める仕様になっているのですが、重量が85㎏ありますガーン もちろんわたしの頭に当たったのは85㎏あるカゴ車そのものではないですけど、一部でも頭に当たると衝撃がそれなりにあり、一緒に作業していた方と「これ、ちょっと上司に報告したほうが」ということになりまして、その日のうちに病院で検査を受けました。



検査の結果を待っている間、わたしは最悪の結果も想定していました。万が一脳が損傷し後遺症が出たとき、もう一度普通の生活を取り戻すためにどれほどの強い意志と覚悟が必要なのか、心の準備はできていました。ただ本当に脳を損傷してしまっていたら、そのことを家族にも伝えなければならないことがとても辛かった。



わたしは小学生のあの時の経験から、障害を負ったわたしより、わたしを見守ってくれた家族の方がわたしの将来を案じてとても心を痛め辛い思いをさせてしまったことを知っているから。



CT検査結果、脳の中で出血はなく大事に至りませんでした。CTにはかつての交通事故で陥没骨折した時の処置で人口骨でホッチキスのように骨を繋いだ後がはっきり残っていて、先生から当時のことを少し尋ねられました。



「一生言葉を話せなくなる」と診断されたこと、そしてわたしは「執念で(リハビリを)やり遂げた」ことをお話しすると、先生と側にいた看護士さんは、まるでわたしを眩しいものでも見るかのように明るい表情でわたしを見ていらしゃいました。



先生は脳神経外科の方です。きっと多くの失語症の方を診てきていらっしゃると思います。失語症経験者の人が、最終的にわたしのように自分の経験を明るく話せるようになる人は今はまだ少数派なんだと思う。



小学生の時に経験した失語症の経験は、とても厳しいものであったけど、得るものも大きく、そして医師に「一生言葉を話せなくなる」と診断されたとは到底思えないほど回復させたことは、わたしの人生の中で誇りに思っていることの一つです。ですが、今まさに障害と戦っている人にとっては障害はどう考えても苦しいものとしか思えないと思います。障害と向き合っていく人生の最終的な結論が、わたしと同じようにかけがえのない経験と受け止められる日が来ることを切に願っています。



CTの検査で脳に異常がないことがわかったので、店長の許可を得て、お店に戻って仕事を続けました。仕事中、今日のことを家族に話すべきかどうかずっと迷っていました。ですが、万が一容体が悪くなった時のことに備え、話すべきことだと結論を出しました。



あぁ、でも話しづらかったわ。

余計な心配をかけそうで。




最近ハイビスカスが咲き始めましたラブ 
明日から9月だけど、できるだけ咲いてほしいなぁ。




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