今回の記事は前半は前回の続きで、後半は非常事態宣言で勤めていたお店が自主的に休業したことについてです。

朝、目覚めたら左側の肩から手にかけて痺れいて、その三日後に病院に行きました。検査の結果、脳出血していることがわかり入院することになりました。

脳出血について無知なわたしは、入院することに渋々同意しましたが、車椅子で連れてもらった病室を見てとても戸惑いました。そこはSCUと呼ばれる脳卒中になった人が入る『集中治療室』で、どう見ても重症な方々ばかりがベッドで安静に過ごしていらっしゃいました。わたしは車椅子から降りることを禁止されましたが、決して歩けないわけではありません。腕や手が痺れているだけです。わたしは場違いなところに来てしまったと思いました。

いつでも点滴ができるように点滴用の針を刺され、心拍の様子を映しだすモニターのケーブルも右腕にセットされました。トイレに行きたい時はモニターのケーブルを看護士さんに外してもらわなければならないので、それがとてもストレスに感じました。実はわたしはトイレに行く回数が普通の人より多いのです。幸い数時間ごとに看護士さんが血圧や体温などを測りに来てくれるので、その時にトイレに行きたいことを伝えてケーブルを外してもらいました。寝る前に看護士さんから「夜中の2時に、また測りに来ます」と言われました。

この部屋はナースセンターのすぐ目の前にあり、ナースコールが部屋にまでよく聞こえてきました。わたしはこれまでに2回入院したことがありますが、昼夜を問わずこんなに頻繁にナースコールを聞いたのは初めてでした。

どうしてこんなにナースコールが鳴るんだろう……と、わたしは不思議に思いました。でも数日後なぜこんなにナースコールがなるのかその理由を知り、脳卒中の怖さを改めて考えさせられたのでした。

入院初日の夜、たぶん夜中の1時頃、隣のベッドで寝ていたお爺さんが「誰かいないのか?」と何度も看護士を呼んでいました。看護士はお爺さんの声には気づかないようでしたので、わたしは何か手伝えることがあればと思いベッドから立ち上がりました。……というか、自由に歩けるのはこの病室ではわたしだけでした。

「お爺さん、カーテン開けていい?」
わたしは尋ねました。
「いいよ」
と、お爺さん。

カーテンを開けると、暗闇の中でお爺さんはナースコールを背にしてベッドに座っていました。わたしはナースコールを押せばいいのにと思いましたが、お爺さんにはできない事情があるのかもしれないと思い言いました。

「お爺さん、わたしがナースコール押すから、ちょっと待ってて」

ナースコール押してからわたしは自分のベッドの側に立って看護士が来るのを待ちました。しばらくして男性の看護士がやって来ました。彼はわたしの顔を見たとたん「こんな夜中になにナースコールしてんだよ」とでも言いたげな表情を浮かべました。

彼は部屋の入口に立ち止まって言いました。
「どうしましたか?」
「お爺さんが(看護士さんを)呼んでましたので……」

看護士は部屋の灯りをつけてお爺さんの側によると「アッ」と小さな叫び声を上げました。わたしもどうしたんだろうと、お爺さんの方を見ると、

最初に見た時は暗闇だったので気づかなかったのですが、お爺さんは血まみれの状態で、床にも血溜まりができていました。でも本人は出血していることに気づいていないようでした。

思わずお爺さんのところに近づこうとするわたしを看護士は手で制しました。わたしは看護士さんたちの邪魔にならないように自分のベッドに戻りました。

お爺さんはどうやら腕に刺さった点滴の針を無意識に抜いてしまったようでした。また絶対安静で座ることも禁止されていたようですが、ベッドの上に座っていたから看護士さんたちにずいぶん怒られていました。お爺さんは少々認知症もあったのかもしれません。怒られてもあまり理解していないようでした。

このお爺さんの一件で、その後は看護士さんが一晩中お部屋に常駐していました。でも看護士さんは患者さんを静かに見守っていたわけではありません。看護士さんはなんとお部屋にノートパソコンを持ってきて、お仕事をしはじめたのでした。夜の静寂の中、スピーディーに勢いよく叩き込むキーボードの音と頻繁になるナースコールでわたしは一睡もできませんでした。

翌日の朝、わたしに強く入院を勧めた主治医は「ききさん、昨日は眠れましたか?」と聞いてきました。

「まだ(入院生活に)慣れていないので。そのうち慣れてきます」

わたしの返答に先生は即座に首を左右に振って言いました。

「ここは(眠るの)無理だよね」

先生も(ここは)普通の人でも眠れないところだってご存知だったんですね……と、わたしは曖昧な表情を浮かべました。

「今日、CTを撮って(脳の)出血が止まっているか確認できたら、他の部屋に移ってもらいますから」

『前日に撮ったCT』と『この日に撮ったCTの画像』を比べて、出血は止まっていることがわかりました。わたしは大部屋を希望しましたが、大部屋が満室だったので、大部屋の料金で個室に移ることになりました。

個室は初めてです。トイレ付きのお部屋でした。



モニターのケーブルは外され歩くことも許可されました。わたしは家族にブラウスを持って来てもらって、ボタンの留め外しの練習を始めました。

脳出血が起こる前は、左手のみでボタンを見なくても簡単に外していました。でも今は目をつぶるとボタンと生地の違いがわかりづらくなっていました。物に触るだけでとても不快な感覚が脳に伝わりました。また筋肉をコントロールする能力も落ちているような感じがしました。

わたしは小学一年生の時に交通事故に遭い失語症を経験しましたが、その時も筋肉をコントロールする能力に障害が出ていました。わたしは今でている症状と事故に遭ったときに経験した症状と何が違うのか自分なりに分析してみようと思いました。



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話しは変わりまして、

新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出たので、勤めていたお店は自主的に休業を決めました。

昨日の夕方の4時頃、急に休業が決まり、休業の間、特別無休にするか年休にするか個人個人で決めなければなりませんでした。いつまで休業するのかも分からず、わたしは去年脳出血で入院したこともあって、年休は体調の悪い時に使おうと思い特別無休を選びました。

休業が決まったあと、お取り寄せを承ったお客様への連絡などの業務や、休業中に商品にホコリがつかないようにビニール袋などでカバーをしたりして慌ただしく時間が流れました。


昨日非常事態宣言が出ましたが、その前日にどの地域に非常事態宣言が出されるのか予告があったので、休業が決まったときも大きな混乱も起きませんでした。お客様にお電話で明日から休業することをお話ししても、反発もなく快諾して頂きありがたかったです。

帰りぎわ、いつもでしたら「お疲れさまです」と挨拶するのですが、「また会いましょうね」と互いに声をかけ合って、なんだか寂しくなりました。

今できることは、人と不必要な接触をできるだけ避けること。休業期間が1カ月続くのか、それ以上なのか分かりませんが、大人になってこんなふうに家で過ごせるなんて稀なことです。何か勉強に打ち込んで資格をとる準備をしてみるのもいいし、体力維持のためにトレーニングして美ボディ目指して次に仕事の仲間に会ったら驚かせてみるのも楽しそう。この日々を有意義なものになるようにスケージュールを作って自己管理した方がいいかもと思っています。





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