国道58号線旧道 与那トンネルと与那大橋① | トリブログ

トリブログ

とにもかくにも道が好き。
廃道と隧道、地形図と運転を愛する石井あつこが廃道のことを綴るブログです。
たまに温泉や着物、日常の話もするかも。

 
 与那の高ひらや 汗はてどぅぬぶる
  無蔵にうみなしば車とぅばる
  無蔵と二人なりば 一足なから
 
与那の高い坂は大変だけど、好きなあなたと一緒なら車も通れる平らな道みたいなものでへっちゃらよ、な感じでしょうか。
あまり難所越えするぞーな悲壮感はない・・・そんな与那節の碑が国道58号の与那集落の入り口にある。
 
ここで歌われている高坂は与那と伊地の間の海に迫る小山のことで、昔から往来の難所だったという。
大正時代に中坂と呼ばれる新道が開削されたのだが、荷馬車がやっとさ通れる程度のものだった。
昭和8~10年にかけて、このエリアの海岸沿いに自動車道が開通し、与那節は過去の歌となったのだ。
 
さて、この道を南の伊地側から辿って行こうと思う。
那覇市内から車で約2時間。
1995年に竣功した新与那トンネルの手前に、お手本のような新旧の分岐がある。わたしはもちろん左へ進む。
 
旧道は通り抜けはできないが、東屋と駐車場があった。
レンタカーのキューブを駐車場に停め、むむーっと背伸びをする。キューブの座席はなんだかフラットで不思議な感じ。高さを変えたりいろいろ試したけれど、私には合わないようだ。腰が痛い。
 
駐車場には道路変遷図がご丁寧にも設置されていた。
赤線が明治~大正初期の「高坂」でオレンジ色の線が「中坂」、
海岸沿いの旧々道、与那トンネルを通る旧道、現道が描かれている。わかりやすい。
 
とことこと進む。
与那トンネルが見えてきた。左側、海岸沿いにも道が見える。これが昭和9年に開通したものだろう。
与那トンネルは1973年竣功、1995年に新与那トンネルの開通に伴い廃止となった。供用23年間はなんだか短い。
にしても、なんか甘いような香りがする。麦汁とか麦芽糖みたいな香り。
もしかしてお酒でも保管しているのかと、帰宅してから調べたらその通りで、ヘリオス酒造の貯蔵庫になっていた。
その名も泡盛「与那の蔵」。気になるけど、泡盛はまだちょっと苦手。二十歳のころ苦手だった焼酎を今は美味しいと思うから、泡盛もいつか美味しく飲めるようになるだろうか。
さてさて、海岸沿いの道へGO!と思ったけど、この藪やだな。
ということで
海岸にいったん降りて、藪が切れたら登ろうと思う。
普段の車旅ならジムニーに着替えも靴もどっさり積んでいるのだけど、今回はレンタカーでもちろん帰路は飛行機だ。余分な服も靴もないので不本意ながら省エネ探索モードである。
振り返って撮影。
せっかくの沖縄なのだが、あいにくの曇り。
よし、そろそろ登ろう。
 

 

うおー!かっこいい切通し!!!

 
 
コンクリートがバレンタインの製菓用割れチョコみたいだ。
 
波が高いときは怖いだろうな。
この道が1973年まで使われていたのか・・・。
 
短い廃道だから、カーブを曲がると、与那の集落への入り口がもう見える。
 
そして私の目の前には、この廃道のメインディッシュが間近に迫っていた。
 
 
キターーーーーー!
 
橋!!!
 
 
橋!!!
(興奮で語彙力をどこかに落とした)