【過去の記事を再掲】

大晦日から三が日まで、主人の実家に帰省します。


帰省中、私は主人の実家では、ほとんど家事をしません。


洗い物ぐらいは、たまーにします。


洗濯は、主に娘と私の分だけ。


家にいるより、確実に仕事量は減ります。


義父母も義姉も、本当にいい人です。


私なんてクソガキだなと思ってしまう。

そのぐらい、いい人です。



でも、やっぱり疲れる

落ち着かない


なんでこれほど帰省が気が重いんだろう?

と考えてみました。


それは。。。



私への主人の気づかいがないから。


主人は自分の「家」だから

ゴロンと横になったり、爆睡したり、

冷蔵庫を開けたり、好きなように過ごせる。


私はそんなわけにはいかないで過ごしている、

そういう私に気づかいがないから嫌なのね。



そして、主人は家族を大事にする人。


何かの行き違いとか、勘違いで

主人の家族に対して、私が無礼なことをしたと

受け取られると、私はひどい言われ方をする。


主人の家族はいい人だから、そんな無礼なこと、私はするつもりなんてないのに…


「なに、勘違いしとんねん!」と

主人に言いたくなるような場面が発生し、

ひどい言い方をされる。


それが、とても嫌なんです。



でもね。。。


気がついてしまいました。。。


「私に気づかいがないのが嫌」は

「私をもっと気づかってよ」という想いなんですね。


「自分の家族ばっかり大事にしてる」

という不満は

「私をもっと大事にしてよ」っていう想い

なんですね。


ハッと気がついてしまいました。


なんて、しょーもないこと。


ただの

気づかってちゃん、

大事にされたいちゃん、

かまってちゃん、

愛してちゃん

やないか!


なんて、しょーもない!


この調子だと

主人が気づかいができるようになったとしても、

私を大事にするようになったとしても、

なにも変わらないんだと思います。


もしかすると、主人ではなく、

相手が優しい人に変わったとしても、

それは変わらないんだと思います。


私の中の私が、私を

気づかって、大事にして

私が

気づかってちゃん、

大事にされたいちゃん、

かまってちゃん、愛されたいちゃんを卒業して、

はじめて、私が満ちるのでしょう。


相手の中に答えはなく、私の中に答えがある。


正月に清々しい気づきをもらいました。