(劇評・12/29更新)「RPGを通して描く理想の先生」なかむらゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2021年12月19日(日)14:00開演の劇団羅針盤『教室に先生と勇者』についての劇評です。




もしもRPG(ロールプレイングゲーム)の世界に行けたら、自分はどの役になるだろう。ゲームのプレイヤーなら勇者だ。だけど、自分がプレイヤーじゃなかったとしたら……。劇団羅針盤『教室に先生と勇者』はタイトルから分かる通り教室に先生と勇者がいた。勇者の名前は加藤。担任の先生は毎日声を出して生徒の名前を呼んで出席を取る。加藤は遅刻したり、そもそもいなかったり、大怪我をしていたりする謎の生徒だ。ただし、大怪我をしている加藤がそこにいてもクラスメイトは何も言わない。先生はそれが不思議でならない。だが加藤がRPGの世界で勇者であるように、クラスメイトもそれぞれRPG世界での役割があった。勇者加藤は魔王に21回戦いを挑んでいてその間にクラスメイトはみんな魔王にやられてしまったのだ。だから教室には先生と勇者しかいない。

RPGの世界には土の魔人・氷の魔人・炎の魔人・風の魔人がいて、魔王の元に向かう勇者の行く手を阻む。王様がいる場所はセーブポイントだ。教室がある世界では勇者・加藤、担任の先生、ある日突然現れた番長、そして社会担当の風祭先生が出てくる。役名があって人が演じる役が10人。対して演じる役者は平田知広、能沢秀矢、間宮一輝(coffeeジョキャニーニャ)、朱門(劇団KAZARI@DRAIVE)の4名だ。複数の役を演じるために落語的な手法を使ったり、二つの世界を舞台上に同時に存在させて一瞬で場面転換したり、多くのキャラクターを演じるための工夫がいろいろされていた。間を置かずテンポ良く、演じている役も頻繁に変わる。場面転換のうまさに加え、キャラクターの分かりやすさもあって混乱せずに見ることが出来る。これはRPGという共通認識があるから成り立っているのかもしれない。

劇団羅針盤といえば殺陣を期待する。今回も殺陣が満載だった。平田、能沢両名に加え、客演の朱門が入ったことで、殺陣について詳しくない私でもいつもより見応えを感じた。芝居の面でも朱門、そして間宮という劇団員とは異なる雰囲気を持った二人が入ったことで、平田と能沢の芝居の魅力がこれまでより発揮されるという相乗効果があった。特に平田の芝居が今までの印象に比べてよりうまくはまっていた。全体的に台詞が明瞭に聞こえるようになって、分かりやすくなっていたのもよかった。ただ、舞台上に立つ人数が4人と言うのは、少しバランスが悪いような気がした。RPGの世界は魔人4人と本来は魔王がいて一つのチームだ。勇者のかつてのパーティもメンバーは5人だった。落語的に誰もいない空間に向かってしゃべったりして、芝居としては成り立っていたが、単純に偶数より奇数のほうが安定感はあると思う。

一見、勇者と元勇者が自分たちの仲間のために魔王を倒す物語だった。でも描きたかったのは理想の先生だったのかもしれない。担任の応真先生は校長の長い話を揶揄し、先生なんて嘘つくもんだろと、学校に対して期待をしないスタンスをときどき漏らしていた。応真先生自身が学校という場所を信用していない。だが、先生本人はいなくなった生徒の居場所を出席を取ることで守っていたし、彼らが戻ってくるのを待っていた。生徒と先生が対立している図式はこの作品にはないのに、応真先生のRPGでの役割は勇者の敵である魔王である。それは先生の内にある学校への懐疑的な思いを作り手が形にしたものかもしれない。番長が応真先生に最後にかけた魔法はどういうものだったのか分からなかったが、その魔法をきっかけに魔王ではなく生徒を思う理想の先生として最後を全うした。平田演じる応真先生が作り手の学校への不信感と信頼したい気持ちを受け止めていたように思えた。ただ、最後のかっこいいところを代表の平田知大が持っていってしまう構成はこれまでと変わりなかった。今回客演を迎えることによって確実に面白い作品が出来上がっていた。かっこいいだけじゃなく、芝居も見せる劇団へ変化するときかもしれない。


(以下は更新前の文章です)



もしもRPG(ロールプレイングゲーム)の世界に行けたら、自分はどの役になるだろう。ゲームのプレイヤーなら勇者だ。だけど、自分がプレイヤーじゃなかったとしたら……。劇団羅針盤『教室に先生と勇者』はタイトルから分かる通り教室に先生と勇者がいた。勇者の名前は加藤。担任の先生は毎日声を出して生徒の名前を呼んで出席を取る。加藤は遅刻したり、そもそもいなかったり、大怪我をしていたりする謎の生徒だ。ただ大怪我をしている加藤がそこにいてもクラスメイトは何も言わない。先生はそれが不思議でならない。だが加藤がRPGの世界で勇者であるように、クラスメイトもそれぞれRPG世界での役割があった。勇者加藤は魔王に21回戦いを挑んでいてその間にクラスメイトはみんな魔王にやられてしまったのだ。だから教室には先生と勇者しかいない。

RPGの世界には土の魔人・氷の魔人・炎の魔人・風の魔人がいて、魔王の元に向かう勇者の行く手を阻む。王様がいる場所はセーブポイントだ。教室がある世界では勇者・加藤、担任の先生、ある日突然現れた番長、そして社会担当の風祭先生が出てくる。役名があって人が演じる役が10人。対して演じる役者は平田知広、能沢秀矢、間宮一輝(coffeeジョキャニーニャ)、朱門(劇団KAZARI@DRAIVE)の4名だ。複数の役を演じるために落語的な手法を使ったり、二つの世界への場面を一瞬で転換させたり、多くのキャラクターを演じるための工夫がいろいろされていた。間を置かずテンポ良く、演じている役も頻繁に変わる。場面転換のうまさに加え、キャラクターの分かりやすさもあって混乱せずに見ることが出来る。大道具や小道具はほとんどなく、大きな冷凍庫などは観客一人一人の想像でしかなかったが、それでもなぜかバカみたいに大きな冷凍庫の扉は見えたし、大きな氷もそこにあった。これはRPGという共通認識があるから成り立っているのかもしれない。

劇団羅針盤といえば殺陣を期待する。今回も殺陣が満載だった。平田、能沢両名に加え、客演の朱門が入ったことで、殺陣について詳しくない私でもいつもより見応えを感じた。芝居の面でも朱門、そして間宮という劇団員とは異なる雰囲気を持った二人が入ったことで、平田と能沢の芝居の魅力がこれまでより発揮されるという相乗効果があった。特に平田の芝居が今までの印象に比べてよりうまくはまっていた。全体的に言葉の明瞭さが上がって分かりやすくなっていたのもよかった。ただ、舞台上に立つ人数が4人と言うのは、少しバランスが悪いような気がした。RPGの世界は魔人4人と本来は魔王がいて一つのチームだ。勇者のかつてのパーティもメンバーは5人だった。落語的に誰もいない空間に向かってしゃべったりして、芝居としては成り立っていたが、単純に偶数より奇数のほうが安定感はあると思う。

一見、勇者と元勇者が自分たちの仲間のために魔王を倒す物語だった。でも描きたかったのは理想の先生だったのかもしれない。担任の応真先生は校長の長い話を揶揄し、先生なんて嘘つくもんだろと、学校に対して期待をしないスタンスをときどき漏らしていた。応真先生自身が学校という場所を信用していない。だが、先生本人はいなくなった生徒の居場所を出席を取ることで守って待っていた。生徒と先生が対立している図式はこの作品にはないのに、応真先生のRPGでの役割は勇者の敵である魔王である。それは先生の内にある学校への懐疑的な思いを作り手が形にしたものかもしれない。番長が応真先生に最後にかけた魔法はどういうものだったのか分からなかったが、その魔法をきっかけに魔王ではなく生徒を思う理想の先生として最後を全うした。平田演じる応真先生が作り手の学校への不信感と信頼したい気持ちを受け止めていたように思えた。