皆さん、こんにちは。
Pure Heart熊本のKIMIです。
『死に別れより生き別れ』
と言うことわざがあります。
意味は
『死んで別れるのも辛いけれども、生き別れは更に辛い。相手が死んでいればいつかは諦められるが、生きていると思うと諦めがつかない』
と言うことです。
多くのチェイサーは、サイレント期間に生き別れの苦しみを味わうことになります。
何故なら⬆️にもありますように、ランナーが生きている以上
『期待を持ってしまうから』
です。
そしてこの期待こそがチェイサーの前進を阻む一番の要因となるのです。
私の母は50代と言う若さで父と死に別れをしています。
私から見ても両親はとても仲が良く、特に母は父を頼りきっていた為、父の死は母にとって耐え難いほどの喪失感と深い悲しみを与えることになりました。
そして私も母と同じ50代で、サイレントと言う生き別れを経験することになります。
私は生き別れの苦しみを味わう中で、母の死に別れの苦しみとは全く異なることに気付きます。
同じ喪失でも
『苦しみの質が違う』
のです。
私からすれば、母は父を亡くしたけれども、愛する人との結婚生活を30年以上送ることが出来て、私のサポートもあり、父の遺産や遺族年金で死ぬまで経済的に保証されている…と言う非常に恵まれた環境にいる訳です。
対する私は、母が得ているものを一つも持たず、ただ
『Yが生きている』
と言うことだけが救いになる訳です。
ですが、上述しましたようにこの救いは期待と言う名の執着と紙一重なので、その苦しみから脱却するには
『自分との向き合いが必須』
となって来るのです。
母からすれば私のような生き別れに対して
『相手が生きているだけで幸せ』
だと感じるかもしれません。
例え相手が自分以外の人と一緒に暮らしているとしても、幸せを願えること自体が幸せ…と言うことなのでしょう。
ですが、どれだけの人がそこまで想いを昇華させることが出来るでしょうか。
正直今の私はまだそこまでは至っていません。。
Yが私以外の人と幸せになっていると仮定して、心から祝福することが出来ないのです。
でももしもYがこの世からいなくなったら、物理的に一緒になることは100%絶たれてしまいます。
それは本当に本当に辛いことだけれども、生き別れならではの0.01%の可能性にでも賭けたいと言う苦しみよりはマシだと思ったりもするのです。
お申し込み期間⇒5/1(水)~5/8(水)まで
Pure Heart熊本
KIMI