皆さん、こんにちは。
Pure Heart熊本のKIMIです。
先日、記事編纂メンバーのFさんとLINEのやり取りをする中で、こんなメッセージを頂きました。
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サイレントに入る前は、様々なストレスをランナーの彼1人に頼って依存してしまっていたと思うのですが、サイレントを経ることによって、あるストレスは自分1人で向き合えるようになり、それとはまた別のストレスは仲間が一緒に向き合ってくれたりして、ランナーへの依存を分散させるという訓練も行なっているのかなと思いました。
どこかで
『依存することが悪いのではない。偏った対象に依存するのではなく、より多くの対象に依存を分散させることが自立なのだ』
みたいな言葉をみたことがあるのを思い出しました。
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このメッセージにもありますように、執着と依存が生じる理由として
『特定の対象に良くも悪くも全てを丸投げしているから』
と言う背景があります。
例えばYと付き合っている頃の私は、家族や仕事の悩みは勿論、色んな人間関係や日常生活で生じるトラブルなど全てYに丸投げしてアドバイスを貰っていました。
また悩みだけでは無く、何処かに出掛けたり食事をしたり旅行したたり…などの
『楽しみや喜び等の幸せの共有の殆どがYオンリー』
で、依存を分散させるどころかむしろYに全てを集約させることが愛することだと思っていたのです。
(当時のYはそれを求めている節もありました)
ですがFさんも言われるように、サイレントに入ることにより、これまでランナーだけに向けられていた
『様々なストレス&負荷&楽しみ&喜びの行き場が無くなってしまう』
ことになるのです。
サイレント初期のチェイサーは、この行き場を失った様々なものたちを、一体どのように扱い処理をすれば良いのか途方に暮れてしまうことになります。
何故ならば、前回の記事にも書きましたように
『ランナーは替えがきかない』
からです。
勿論ランナーは替えのきかない存在ですが、やがてチェイサーは
『ランナー以外でも賄えることと、ランナーからしか得られないことの区分けが出来る』
ようになって来るのです。
次回へと続きます。
※明日の記事はおやすみとなります(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”
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Pure Heart熊本
KIMI