『嫌われる勇気』から『幸せになる勇気』
改めて向き合った、アドラー心理学。

私にとって『新鮮』『斬新』
そして『劇薬』と感じました。

『幸せになる勇気』の再読と再考(ノートにまとめる)実はまだ終わっていません。
実際、再読という意味では、もう、3〜4回読みました。
2度目の読了、やはり涙が出ました。
3度目の読了、涙が心に火を灯したように感じました。

昨日、いよいよクライマックスのノートまとめ。
という段階で、本もノートも閉じました。


時間は、真夜中というよりも明け方の5時を過ぎていて
静寂に包まれた家のリビングで
空は夜明け前の最も暗い色に染まっていました。


まさに、私の心そのものように。

アドラー心理学は、誤解されやすく、理解が難しい思想で、
すぐに理解して『生きる事が楽になった』と感じる人はアドラーを誤解し、簡単に不審に陥る事が多い。

真に理解した人は
『アドラーの思想の内実の厳しさに身震いする』と。




一つ一つ、しっかりと咀嚼して理解する事が大切だと感じました。

そして、自分の心と向き合い、自分を見つめ直し
考えて考えて考えて

その結果、私は『哲学』をとても愛している。
という事が、一つ明らかになりました。

哲学、『愛を知る』学問。
別名『愛知学』

生きる事、どう生きていくか、という事。
どう幸せに生きていくか、

それを考えている時は、時間を忘れて夢中になっている自分がいます。

私は『人が幸せになるコツ』をレッスンしている立場の人間ではありますが、
だからと言って
『幸せになるコツを全て知っている』と思った事は一度もありませんでした。

だからこそ『学びたい』『知りたい』

もしも『私は全てを知っている』と思ったら、そこから『学ぼう』と求めなくなります。

ああ、良かった。
率直な感想でした。

『自分は、まだ知らない事がたくさんある』
そう思って生きてきた事に、初めて素直に『良かった』と思えたのでした。


ソクラテスの有名な『無知の知』
『自らの “ 無知 ” を知っていること一点に関しては、誰よりも知者である』
という事。


アドラー心理学をしっかりと咀嚼して自分の『知識』から『知恵』に変える事は、
言うまでもなく『実践』の一言に限ります。


空は黎明に染まり、次女の目覚ましが鳴り出した頃、
私は、『これからどうするか?』
新しい私は、『何をするのか?』
そして『何を手放すか?』

を紙に書き出していました。


ノートまとめは、『知識』として続ける決意です。
そして、何度も本を読み返そうと思っています。

岸見一郎さんのアドラー心理学の本を新しくネットで購入しました。


そして、実践と共に『今までの自分』を変える勇気。

もちろん『今までの全ての中』から、
捨てるものは『自己中心的に執着した自分』です。
しかも『今』感じること、『今、ここ』です。



とにかく
前に進もうと思います。


続きはまた改めて。