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mahaloな相談<1月のチラシ>

1月くうきのチラシ「mahaloな相談」の<お答え>全文をアップしました!
チラシの続きが気になる方は、こちらからどうぞ!

<メールの返信に困っているというお悩み>
返しそびれているメールの返信について悩んでいます。
急ぎじゃない内容だし後で返信しようと先延ばしにしていたら、1ヶ月も経ってしまいました。
返信はするつもりなのですが、その書き出しをどうしたものかと悩み、未だ返信ができておりません。
親しい相手なので、よそよそしい感じは出したくないですが、1ヶ月も経っているので、少し改まった感じで始めた方がよいのかなとも悩んでいます。
どうか、ご助言お願いいたします。
30代 女性


<お答え>
年末のこの立てこんだ忘年会続きの晩に、なんとも難しい相談が舞い込んできてしまいました。これは困りました。わたしは手紙というものが大変苦手なのであります。中身にさえ入ってしまえば、ナントカカントカ書き進むことができるのですが、その前の形式といいますか、型といいますか手紙につきものの「拝啓…ナンチャラの候 ナンチャラカンチャラ…」という時候の挨拶に始まり、本文が来て、結語や日付や署名で終わるというあの形式が憶えられないのです。

ですから手紙を書くとなると、そのたびごとに「手紙の書き方」的なビジネス書や最近ではネットの文例集なんかを探し求めたりしなきゃならないわけです。「いやいや、これはメールの話で手紙じゃないだろ?!」とツッコミを入れたくなるお気持ちもわかります。ですが、わたしにとってはメールといえば、平安時代の文が進化したものだと勝手に思い込んでいるのですから仕方ありません。

まぁ、文といえばどうしても恋文です。恋しいあの人に切ない思いを届けんとする手紙です。メールがここまで大衆化したのも恋文機能がEメールにあったからでしょう。一分一秒を争う研究者やビジネスマンはそりゃ世界中に瞬時に届くメールは研究やビジネスに必要不可欠なものです。ですが、それならその人たちの間でだけ使われていたはずです。そうです、そんなことはどうでもいいのです。

ところで、ご相談を読んで最初に思ったのは「あなた、なに嘘つこうと思ってんの?」というものでした。嘘つこうと思ってるから、書き出せないんじゃないかなということです。「急ぎじゃない内容だし後で返信しようと先延ばし」こういういかにも合理性のある理由付けを怪しく思ってしまうのがわたしの悪い癖です。なぜなら、人は矛盾の塊だと確信、いや、盲信?狂信…しているからです。

人間どうしても嘘をつこうとすると一瞬躊躇するものです。いや、もしかすると躊躇するのは男だけで女性は躊躇しないのかもしれません。今思いました。このようにいつもわたしは行き当たりばったりなのです。しかし、気になるのはこのフレーズです。

「親しい相手なので、よそよそしい感じは出したくない」

真に親しい相手であるなら、どう書き出したっていつもどおりの親しさで、よそよそしい感じになどなりようがありません。こういうのを矛盾といいますし、場合によっては語るに落ちるとも言います。ついつい、言うつもりのない本当のことを言っちゃうわけです。少なくともあなたはわたしに嘘をつこうとなさってる。ひねくれ者のわたしは、ついついこういう意地悪な考えを持ってしまうのです。

ですが、誤解していただきたくないのは、わたしはあなたを責める気などさらさらないということです。人は嘘をつきます。おそらく、嘘をつく唯一の生き物でしょう。人間以外には言葉を操れる生き物がいないのですから、多分そうでしょう。だから、あなたはとても人間的なのです。わたしは人間的な方を好みます。マシーンのように何もかもをロジック通りにこなす方々は、どうも苦手です。ですから、どうか誤解なさらずにこの先をお読みください。

さて、そもそも、嘘とは何なんでしょう?「事実に反することを事実のように語る」ことなのではないかと思います。ところが、この事実が実は怪しいものなのです。事実は本当に事実なのでしょうか。それぞれの人間が事実と思ったことが事実なんじゃないでしょうか。人はその場に居合わせなかったことも平気で事実として語ります。昨日、どこそこで線路に誰かが飛び込んだとか、芸能人の誰かが不倫して離婚したとか、あたかも事実のように語ります。

そりゃあマスコミの報道だからいろいろあるだろうとおっしゃるでしょうが、自ら体験したことでも何が事実か怪しいもんだとわたしは常々考えているのです。芥川龍之介の「藪の中」じゃありませんが、世界のあるところで起きた一つの現象が複数の人の見方の違いでその人ごとの解釈を生むのです。それが事実の本当の姿です。事実は人の数だけあります。裁判で争う原告と被告は真っ向から事実を争います。立場によって見え方が正反対だったりするからです。

考えてみれば、現象を感知して解釈するのは各人の脳です。脳は神経系の一器官で神経系は、生き物が外界を感知して生き残るための対策を練るために身の回りにあるものを解釈するために発達したものだそうです。脳は各人異なります。異なる脳はまったく同じように外界を解釈することなど出来ません。おかれた環境も立場もそれぞれの脳で違うからです。置かれている環境や立場が違えば、同じ現象も違った風に解釈されるでしょう。その解釈の結果、それぞれの脳に浮かんでいるのが事実というもの内実です。で、何が言いたいのかといいますと事実と言っても案外いい加減だということです。

ですから、事実とは違うことを語るのが嘘だとして、いくら嘘をついていないと言っても、真実を語ることには決してならないのです。結構いい加減にしかものは言えないのです。つまり、わたしが嘘ついたっていいじゃないかと主張したいのです。しかも、嘘をつくのには必ず理由があります。保身のため、相手を傷つけないため、みんなを幸せにするため、まぁ、いろいろです。共通するのは生き延びるためということだと思います。保身のための嘘は自分一人(あるいは家族、親族、一族郎党とかの身内)、相手を傷つけないための嘘は相手と自分、みんなを幸せにするための嘘は共同体全体の延命につながるのです。

というわけで、結論に参りましょう。あなたが返信先の相手と望む関係を想定して書き出せばいいのだと思います。もっと仲良くなりたければフランクにちょっと馴れ馴れしいかなと思われるぐらいに、ちょっと距離を置こうかなという感じでしたらそのように。その際、時間が経過してしまった理由なんかは書かないほうがいいです。きっと、語るに落ちるで本音がきっちり伝わってしまいます。あなたの真意を読まれたくないのであれば、形式的に、事務的に書くのがいいと思います。

まぁ、要するにわたしとしては、ぜひともこれを機会に「やりたいようにやってもいいんじゃね?」的な行動にチャレンジしていただきたいと思うのです。よろしくお願いします。

Mahalo

悩み・疑問・気になることなど、募集しています。
お送り先:ku_ki_project@hotmail.com








mahaloな相談<12月のチラシ>(11月のチラシは相談おやすみでした。)

12月くうきのチラシ「mahaloな相談」の<お答え>全文をアップしました!
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<問題は解決できるがモヤモヤしてしまうというお悩み>
私は、いつからかわかりませんが、人に相談を話すことができなくなりました。
いつも相談されることが多く、悩みのパターンをたくさん知っていて、自分の悩みの答えが先に予測できてしまうので、自己完結なのです。
これで問題は解決できますが、ストレスがたまります。
これが私の悩みです。
私はどうすれば良いのでしょうか?
大変モヤモヤしています。

時には人に相談してみたくてメールしました。
どうぞよろしくお願いします。
30代 主婦


<お答え>
というメールを打たれた時点で、もうすでにお悩みは、ほぼ解消されているのであろうと思います。悩みと問題は違います。問題は解決しますが、悩みに解決はありません。つまり、実は悩みに答えはないのです。悩みは何かの拍子にフッと消え去るのです。そして、重大な悩みほど簡単には消えないものです。そのことは誰あろう本人が一番良くわかっています。なんともうまくいかないことを、絶対に簡単になどいかないことをひしひしと孤独に実感しているのです。

例えば、仕事の上司にパワハラを受けて悩んでいるというような場合、上司の非難の言葉や皮肉そのもの、また、それらを発する際の表情や態度などなどから膨大なマイナスエネルギーを浴びます。さらに、パワハラに対して行動しようにもなかなか実行に移せないという本人の置かれている立場や状況といった複雑怪奇な設定によって、がんじがらめにされているというようなものが悩みですから、他人がいくら精緻に話しを聴いてみても、悩んでいる当人と同じ実感が持てるはずもありません。受け取れる情報量が違いすぎるのです。しかも、それらの情報を処理する脳が違います。遺伝による器質的なスペックも育った環境によって蓄えられた経験というデータベースも全く異なるのです。ですから、大抵の場合、アドバイスでもしようものなら、実際、トンチンカンでズレズレのものにしかならず、「あなたに私の何がわかるのよ!」とキレられてしまうのがオチなのです。

もし、わたしがアドバイスなんかされたら、それはもちろんキレます。ですが…最近は、わたしも歳をとってしまって、なかなかキレる元気もなくなってきたので「アドバイスという名のお説教じみた他人の考えなど聞きたくもないなぁ~」とうんざりして黙って聞き流してしまいます。そうこうしているうちに、わたしなんかは、悩みがあっても人に相談することなく黙って我慢しています。そして、あなたのおっしゃるように、わたしの中にもじわじわとストレスが溜まっていきます。そのうちに妙に興奮して眠れない夜が続いたり、昼間異様に睡魔が襲って来たりして身体が変調をきたし始めます。ついには疲れがたまりイライラして、なんのこともないちょっとしたことで、身近にいる人に声を荒げたり、暴言を吐いたりしてしまうのです。まぁ、俗にいう八つ当たりというものです。

つまり、わたしは、自分が勝手に苛々して体調が悪いだけなのにもかかわらず、誰かれ構わず(実は、この人なら大丈夫という対象を選んでいます。)に、イチャモンや言いがかりをつけて大声を出したり、罵倒したりするのです。八つ当たりなのですから、八つ当たりされた人には何の責もありません。理由なんてももちろん無いので対応のしようなんかありません。わたしの癇癪が収まるのをただただ待つしかないのです。ある種の発作のようなものだと考えて頂いた方がいいと思います。幸いにもわたしの周りにおられる方々は立派な方ばかりで、キレたわたしをいきなり銃で撃ったり、ナイフで刺したり、拳で殴りつけたりする人が居らっしゃらないので、なんとか今のところ、わたしは怪我もなく無事に過ごすことができています。

このように考えると健やかな生命の維持に環境が与える影響はとても大きいものです。周りが銃やナイフ(場合によっては爆弾まで...)を持った腕っぷしの強い危険な人たちばかりだったら確実に寿命は縮むでしょう。特に自然が排除され環境の大部分が人工的にコントロールされている都市においては、唯一の自然そのものである人間こそが、環境における不確定要素として大きな比重を占めています。つまり、都市においては人間こそが、最も、自分に対して何をするかわからない危険な存在だということにもなるのです。深刻な悩みの多くが人間関係についてのものであるという理由は、こういうところにあるのかもしれません。そして、人間関係というのは、ほぼ気持ちや心情など心に関する問題でしょう。


ところで、最近、本を読んで知ったのですが、心というのは脳のなかでつくられるもので、さらにその細部を突き詰めていくと脳のなかの神経細胞などで起きている原子や分子の振る舞い以外の何物でもないのです。いま目の前に見えているものもすべて脳内の原子や分子が動いてつくられています。御存知の通り神経細胞の中では電気が流れています。何億、何百億といいう神経細胞が、パッパッパッと電気を発生させて気持ちや心情を生み出しているのは、どうもほぼ間違いがないようです。

自分が言ったことやしたこと、言われたことやされたことを憶えていなければ腹も立ちませんし、悲しくもならないでしょう。気持ちや心情を生み出す重要な要素である記憶も、実は脳内で原子や分子が様々な振る舞いをすることで生み出されているようなのです。そして、ある種の記憶が残っているということは、脳の何処かに物理化学的な変化が起こり、その変化の痕跡が残っているということです。それらは、間違いなく物質的な何かです。つまり、極々微小な物質あるいはエネルギーでしょう。しかも、当面生きて行くうえで不要(場合によっては有害かも?)な意識に登ることなどない微細な変化もきっと起こっているでしょう。そんなゴミのようなものが少しづつ少しづつ脳内に溜まってくれば、よくわからないけれどもなんだかモヤモヤする~ともなるんじゃなかろうかと...まぁ、これは何ら科学的根拠の無いわたしの推測ですが。

さらに、非常に大雑把に見ると生命の維持というのは、環境とうまくやりとりをして物質やエネルギーをまわしていくことなんじゃないかと思います。脳のなかの細部になんか変なものが残ったまんまじゃ恐らく健やかな生命の維持というのは阻害されるのではないでしょうか?そういう理由でわたしは八つ当たりも是とします。時には勢いをつけてゴミを洗い流して外に排出した方が良いのじゃないかと考えるからです。決して、わたしが八つ当たりする癖があるからそれを正当化しようとして、こんな屁理屈をこねてるだけではないのです。

例えば、ニワトリが10羽いたら、突付く順位があるそうです。一番目がなんだかイライラして二番目を突付き、それでストレスを感じた二番目は三番目を突付くみたいな順番があるのです。確かに世界は残酷です。ですが、そういうもんだとしたら突付かれないようにビクビクしているよりも、突付かれたら突付かれたで自分も突けばいいやくらいに考えた方がいいかなとその話を読んで思いました。実は、こんなわたしですが八つ当たりをした自分を自分で責めてくよくよしたりして、またストレスが溜まるというような悪循環に陥っていたので、そのニワトリの順位の話を聞いて気持ちが軽くなり救われたのです。ちなみにストレスを感じている時には、ストレスホルモンと呼ばれる高分子化合物が、血流に乗って身体中を駆け巡っています。それで身体にもさまざまな変化が起こります。つまり、「病いは気から」は、本当にそうなのです。

よくよく突き詰めて考えてみると、ある生命が生きるためには、他の多くの生命を損なわずにはいられません。特に人類は、あらゆる動物や植物、時代や状況においては同類である人間までも、たくさんの生命を奪ってきました。ですが、他の生き物たちだってそうです。牡鹿は繁殖のためには相手を殺しかねません。自分だけはそんな邪悪さなど持っていないと否認し現実を無視して三度の食事を拒絶するというような、普通の生活が破綻するような真似をするよりは、人にデフォルトで装備されているている他の生命を損なう邪悪さを直視した上で、いかにして可能な限り他の生命を尊重できるか、あるいは逆に他者の邪悪さから身を守るかの知恵をしぼる方が、なんだか精神衛生上好ましいような気がわたしはします。もちろん無節操なのは良くないと思いますが、考え過ぎ、思い込み過ぎるのもいかがなものでしょう。極端から極端へのだいたい真ん中あたりでふらふらするのがいい塩梅なのではないかと個人的にはそんな風に考えます。

とまぁ、ほとんどご相談のお答えにはなっていませんが、モヤモヤしたら、時々周りの人に八つ当たりをしたらいい。というのがわたしのお答えです。ただ、モヤモヤを解消する方法は八つ当たりだけではなくて、皆さんご存知のあれとかあれとかあれとかもありますので、何を選ばれるかはお持ち合わせの体力や才能や美貌や運動神経などと相談してお決め下さい。少しだけ付け加えますと最近の研究では脳の機能の6割方が遺伝で残り4割が環境によって決まるのだそうです。人間は自分で思うほど自力でなんとか出来るわけじゃないんだと科学的にも証明されつつあるようです。肩の力を抜いてやって行きましょう。

Mahalo

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mahaloな相談<10月のチラシ>

「mahaloな相談」10月分のお答え全文をアップしました!
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<自分しか船を漕いでいないんじゃないだろうか...というお悩み>
私は自分を船漕ぎだと感じています。10代からそういった仕事を始めて、最初は先輩が作った船に同船し、先輩が漕いでいる船の手伝いをしていました。そして、20歳ぐらいからは、自分で船を造って、船を漕いで進んでいくことが増えていきました。船はその時々の気分でいろいろな形をつくりました。20代半ばの頃は、その事自体が楽しかったし、どんどん色々な船を造る事ができる自分にも満足していました。後半になってくるにつれて、その船に乗る人が増えてきました。大きな船を造ることにも楽しみはあったのですが、最近、自分しか船を漕いでいないんじゃないだろうか。と感じてしまいます。私としては、一緒の船に乗っている限りは、一緒に進む方向に船を漕いでいきたいのですが、もしかしたら、船に乗る事自体を楽しんでいて、進む事には興味がないのかな?船を漕ぐオールを持っていないのかな?など、考えてしまいます。
いったいどうしたら船に同船している人とともに進んでいく事ができるでしょうか?自分なりにこの問いの答を考えてみたのですが、違う人の考えが知りたくてご連絡させていただきました。(年齢不詳男性)
※いつも相談コーナー楽しくみています。イメージをふわーっと広げていかれている文章を見るのを楽しみにしています。
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<お答え>
素敵なお仕事です。とても詩的なご相談です。そして、船でわたしが思い出すのは海賊船です。昔から海賊になぜだか憧れていました。ドクロの旗をなびかせて自由を求めて大海原を駆け巡るというイメージがあるからでしょうか。最近ではソマリアあたりで暴れているらしく、日本の自衛隊も海賊退治に駆りだされているようです。しかし、ご相談の内容からするとあなたのお造りになる船は海賊船ではないようですので、いったん海賊船からは離れましょう。

わたしが船から連想するのは、運命共同体です。大海原に漕ぎだしてしまえば、何が起こるかわかりません。予想もしない困難や危難に見舞われることもあります。それが運命というものです。そんな時、乗組員全員は一致団結して協力しなければ全員が海の藻屑になってしまいます。しかし、人はそれぞれですから、そう簡単に一致団結できるものではありません。あれがやりたい、これはやりたくないという乗組員が出てきます。場合によっては何もやりたくないあるいは何もできないという乗組員もいるかもしれません。

船に乗り込む時の考えも思いも狙いもそれぞれに違うでしょう。また、それぞれが持っている能力というか得意、不得意もあるでしょう。こりゃ、一致団結なんて出来る方が不可能なんじゃないかと考えてしまいそうです。しかし、一致団結できる時は一致団結できるものなのです。そして、そんな時には個々の力の総和を超えた力が発揮されるものです。人間って不思議です。

どこかで聞きかじったのですが、共同体の中で一番足を引っ張る者を切り捨てるかどうかは、とても肝心なことのようです。切り捨てるという選択をする共同体は滅びる可能性が高くなります。一番足を引っ張る者を切り捨てれば、二番目に足を引っ張っていた者が一番足を引っ張る者になり、これもまた切り捨てたくなってきます。これを繰り返していると共同体として存続していくために必要な構成員がいなくなってしまいます。

足を引っ張る構成員は、その共同体においては弱者です。どういうふうに弱いのかはその時々の状況に寄るでしょう。単純に腕力の強さではありません。腕力がなくても、例えば遠くが見える目の良さだったり、皆の空腹を充たす料理をつくる腕前だったりする航行に欠かせない構成員もいると思います。船の作りや航海している海によるのかもしれません。場合によっては乗組員相互の人間関係によって弱者と認定されるかもしれません。ただ、共同体の足を引っ張る以上どうしても弱者と認定せざるを得ません。そして、弱者はいたわり、元気づけて、共同体の一員としての自信と誇りを待たせてあげるべきだというのがわたしの考えです。そうでなければ自由を求めて大海原を駆け巡る船とはいえません。

共同体には規律や秩序が必要だと唱える人もいらっしゃるでしょう。しかし、構成員全員が自らの自由を獲得するために心の底から守ろうとする規律や秩序でなければ、真に守られる規律や秩序には成り得ないでしょう。もし、自分が弱者になったら切り捨てられるという掟があったら、誰もそんな船には乗り込みません。誰が弱者になるかは、その時になってみないとわからなかったりするからです。その意味でも弱者は切り捨ててはなりません。

ですから、一度、乗組員として受け入れたのならば、どんなに足を引っ張られても、その構成員全員で漕ぎ通すしかないと思います。そうなると、乗組員の選定は非常に重要なことになってきます。「船に乗る事自体を楽しんでいて進む事には興味がない」者や「船を漕ぐオールを持っていない」者は乗船させるべきではありません。船を造ること自体や漕ぐこと以外に限られたあなたのエネルギーを注ぐべきではないと考えるからです。

ところで、共同体の存在理由とは何でしょうか?わたしは人はひとりでは生きていけないと考えていますから、人は自らが生き延びるために進んで共同体をつくるのではないかと思います。ですから、共同体である船の存在理由は、乗組員がともかく生き延びて、できれば目的地にたどり着くことでしょう。場合によっては他の乗組員が生き延びるために儚くも犠牲になる乗組員も出てしまうかも知れません。しかし、それは運命の悪戯であって死すべき人間の業ではないと思います。死すべき人間は皆で生き延びることだけを追求すればいいのだと思います。そして、もちろん、あなたは死すべき人間ですよね。

まぁ、この辺りから毎度のごとく自分でもなに言ってるのかわからなくなってきました。という訳で、わたしのイメージはどうしても海賊船から離れられません。そして、海賊船は帆船です。風の力を利用して大海原を颯爽と疾駆します。ですから、船を漕ぐというのが、わたしの中では今ひとつしっくりきません。船を漕ぐは、どうしてもローマの奴隷船をイメージしてしまいます。できれば、あなたには風を利用して、自由を求めて大海原を疾走して欲しいのです。帆船は風上に向かって進むこともできます。もちろん、風下へなら最大船速を出すことができます。

しかしながら、操船方法が違ってきますから乗組員に必要な資質も変わります。乗組員にオールは必要ありません。そのかわり、風を読める能力や帆を操作できる能力が要求とされることになります。航続距離も飛躍的に伸びますから困難や危難に遭遇する可能性もきっと大きくなることでしょう。そして、そうなれば、あなたが漕ぐ必要はなくなります。あなたは自由を求める海賊船の船長です。風を読んだり、帆の操作を指揮したり、舵をとったりすることになるでしょう。でも、これは、あなたがご自分で持たれているイメージとはちょっと違うかもしれません。

もちろん、こつこつ船を手作りをして仲間と一緒にオールで漕ぐというあなたもとても素敵です。ですが、いつか…風に乗って大海原を疾走するあなたの海賊船も、是非わたしは見てみたいと思うのです。試行錯誤してください。オールで漕ぐ船と風を受けて疾走する帆船では根本的に構造が異なりますから…研究や挑戦が必要になるでしょう。ご検討をお祈りします。そうです。わたしは祈ることしかできません。ですが、祈ることはできます。それに、たぶん世界はまんざら捨てたもんではないように思います。


Mahalo


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