奥武島へ2 | blog:kudoh

奥武島へ2

奥武沙難(オーガマー)からニービ(たぶん通称、ニービ拝所の前にあるからだと思います)まで歩いてみました。
海の色が素晴らしいです。
目の前の対岸は志堅原(しけんばる)です。

西之御嶽(イリヌウタキ)の案内板もニービ拝所も気になりましたが、暗くなる前に島を一周しておきたいと思い、奥武海道を進むと、


あっと云う間に橋が見えてきました。
あれ奥武橋です!
もう一周したんですね。
想像以上に奥武島は小さいです!

奥武橋を越えて、最初の所、奥武ビーチ。

ちょっと満ちてます?

あまり変わりませんね。

変わった事と云えば、

この仔が、

眠ってらっしゃる。

そんな所でそんなポーズで、

警戒心0です。


先程の東屋へ行くと、猫たんが増えてる!

今から集会するのかな?


東屋の近くにも天ぷら屋さんがありました。

てるちゃん天ぷらさん。

天ぷら食べたーい。、、でもお腹いっぱい。


さて、今度は奥武海道ではなく、テキトーに島の中に行ってみようと思います。

先程スルーしてしまった西之御嶽とニービ拝所、ぐるっと一周したら見つかると思っていた郵便局も後で探してみようと思います。

早速、集落にもねこたん。


マンホールの蓋はお魚。

流石、海人の島です。


鳥居が見えますね。

奥武島観音堂(おうかんのんどう、ウクヮンヌル)です。

ここにも、

おねこさまが。

遭難した唐のお船が奥武島に漂着したので、奥武島の人達が手厚く介抱したら、お礼に金の観音像が琉球王朝を介して贈られて、その観音像を安置したのがこちらの奥武観音堂だそうです。 
戦争で観音堂も、黄金の観音像もなくなってしまったので、観音堂は建て直して、今は陶器の観音像が安置されているんですって。

観音堂の鳥居の横に奥武島拝所案内図がありました。

小さな島に拝所が23箇所も!

21は灯台じゃありませんか、灯台も拝所なんですね。
奥武観音堂周辺に拝所が集中しています。


お隣には、政治家、医者としての功績を讃えた大城幸之一先生銅像がありました。

お水に恵まれない奥武島の為に、観世音泉(クヮンヌンガー)と上原泉を掘削したり、玉城小学校の給水タンクを設計したりなさったそうです。

胸像の奥に

奥武橋架橋記念碑と、松島橋架橋記念碑がありました。

松島橋は1951年に完成しましたが、台風でなくなっちゃって1953年に奥武橋が出来たんですって。

松島橋以前の橋も台風とか戦争とかでなくなったり、埋めて陸繋がりにしてみたけど暴風で流れていっちゃったりと、いろいろあってからの松島橋と奥武橋なんですね。


大城先生のすぐ裏手には殿(トゥン)。

殿は東之御嶽、中之御嶽(ナカヌウタキ)、西之御嶽、竜宮神への遥拝所。

香炉(神石?)の上に左から、竜宮神、東之御嶽、中之御嶽、西之御嶽と表示があります。

奥武島は小さいから遥拝しなくてもすぐ拝所に行かれるのでは?

特に中之御嶽は、

すぐ近くでした。

と!思いましたが!悪天候の時とかに遥拝所からウガンするんですって!なるほど。

中之御嶽は別名をフニシンと云うそうです。


殿の先には玉城按司兼松金(たまぐすくあじかにまちがに)のお墓があります。

玉城按司兼松金は、奥武国立ての玉城大屋子と新垣大屋子のお祖父様です。


続く。