黒島の御嶽と観光と3
保慶御嶽(フキワン)に向かう途中、黒島研究所さんにお邪魔しました。
入場券はシールになっていて、シールはウミガメさんの卵の大きさ。
3年前と柄は変わっていました。
入口の前では、サメちゃんが気持ち良さそうに泳いでいて、不思議な光景。
ヤラブの木で造られた伝馬船。
インドクジャクさんとニワトリさん。
インドクジャクさんもニワトリさんもキジの仲間なんですって。
ヤシガニさん。
カニではなくヤドカリ。
可愛いちびっこ。
大きくても可愛い。
特に疲れてもないけど、癒されます。可愛い。。。
イラブチャーさんは相変わらず凄い色をしてらっしゃる。
黒島研究所さんを後にして、保慶御嶽(フキワン)に向かう道にも!
飛んで行ってしまった。
保慶御嶽(浮海御嶽)は御嶽の原型がなくなっていて、イビもなくなっているそうなので、見つけられませんでしたが、保慶海岸で振り向き牛さんを見る事にしました。
ノッチがどう見ても牛さんで凄いです。
自然にこの形になったそうですよ。
がっつり移動して東筋村の仲盛御嶽(ナハムリワン)に来ました。
仲盛御嶽は八嶽(ヤーヤマ)のひとつで、黒島首里大屋子が旅立つ時に、航海安全をお妾さんに祈願させる為に創建した旅御嶽だそうですが、琉球国由来記には由来不相知とあります。
南フタの神様が、オモトから南フタに行く途中に休憩した場所に造った御嶽と云うお話もあるみたいです。
神名ミチヤ、御イベ名モモケヲタヘ。
拝殿の前の光がスポットライトみたい。
ちょっとズームしてみました。
鳥居は壊れてしまったので撤去したんですって。
伊古桟橋に行きます。
長〜い。全長354メートル。
そして干潮。
干潮時にも満潮時にも使えるように、354メートルもあるって何処かで聞いたような気がしますが、いつ何処で聞いたか忘れました。
、、、なので違うかも٩( ᐛ )و
桟橋を歩いてみます。
左手に港が見える。
ここからは見えませんが、あっちの方に阿名泊御嶽(アナドマリワン、マナドマリワン)と阿名泊展望台があります。
左側に阿名泊に続く遊歩道があるので、行ってみます。
3年前に集落の方の道から、何度か阿名泊に行ってみようとしたのですが、拒絶を感じたので行きませんでした。
工藤、全く霊感的なものないし気の所為だったかな?とか、拒絶してたのは北神山御嶽(ニシハメマワン、ニシカメマワン)とか、途中の道とかで実は阿名泊は平気かも?とか考えていました。
単に阿名泊に行きたいし、諦めつかないので、試しにこっち側から行ってみるのです!
遊歩道を進むと、途中から海沿いを離れて、黒島東牧場の入口に突き当たります。(途中からは遊歩道と云うより轍でした)
牧場沿いに左に行くと阿名泊、右に行くと北神山御嶽。
阿名泊への道は草いっぱいで、ハブの事が頭を過ります、、、。
先に北神山御嶽に行ってみよう!
牧場沿いを楽しくお散歩。
で、北神山御嶽に着きました。
あれ?3年前みたいな嫌な感じは全くしません。
それどころか、北神山御嶽は美しく心地良く、穏やかなのに、元気を貰えるような楽しい空間。
滞在してると、どんどん嬉しい気持ちになる。何これ?
3年前はなんだったのでしょう?
教えて、スピリチュアルとかオカルトに詳しい方!
北神山御嶽も東筋村にある八嶽のひとつです。
西神山御嶽と書く事もあるそうですが、正しくは北神山御嶽。
[北]は八重山方言で[ニシィ]や[ニシ]と言いますので、琉球王府時代のお役人さんが間違えしまって、琉球国由来記や御嶽の拝殿の篇額には西神山御嶽とあるのではないかとの事です。
北神山御嶽の由来はですね、昔、船道屋にカマラ加那、カラジボウ、キラチマーチ(カキラチマーチ?)の兄弟が居て、兄カマラ加那と弟カラジボウはお船の操縦が上手で、公用船の船員になって功名を立てました。
で、子孫の船道樽は航海王って呼ばれるくらい航海が上手で、親鷲って云う八重山最高の公用船の常船員に選ばれて、八重山-首里間を37回も航海して無事帰還した天才だったそうです。
樽の妹さんは神高い人で、お兄さんが航海中には、山の中でお兄さんの航海が無事な様にお祈りしていて、願いがいつも叶ってお兄さんが無事帰還するので、村人達の間で、妹さんがお祈りしている場所は神様がいる霊場だよねーってなって、拝殿を創建して村中の旅御嶽にしたのが北神山御嶽なんですって。
トゥニムトゥ(宗家)は兄カマラ加那の系統の船道家。
ヤマシンカ(氏子)は船道家と、弟カラジボウの系統の神山家、妹キラチマーチの系統の東舟道家と、それぞれの分家の子孫の方々で構成されていらっしゃるそうです。
神名は真盛大嶽、御イベ名は五知イラビ或いは玉知イラヒ。
気になったので、集落の近くまで進んでみました。
なんかの石積み。
ここも以前はあまり長居したくない感じだったのに、なんともないー、不思議ー。
やっぱり気の所為だったのかしら?
それとも、その時は拒絶されていたのかしら?
ハブに遭遇しないように、慎重にやって来ました、阿名泊!
鳥居壊れちゃったみたいですね。
阿名泊展望台に向かうと、
石垣島に正対してる、なんだか不思議な感じ。
於茂登(オモト)から神様がいらしたってお話しがわかる気がします。
水底電話ケーブル。
思っていたより心許ない(;´д`)
本来はこんな感じに埋まっているのが、出てきちゃったのかしら?
阿名泊御嶽(アナドマリワン、マナドマリワン)は東筋村にある、航海安全を祈ったり、航海の無事を感謝する御嶽。
八嶽ではないので琉球国由来記にも記載がなく、由来らしき由来は知る事が出来ませんでしたが、もしかしたら阿名泊御嶽の由来かなってお話しがありました。
昔、竹富島の仲筋(ナージ)村に島仲(シマナカ)と粟礼志(アハレシ)と云う兄妹が居て、島仲が7歳、粟礼志が5歳の時に海岸で遊んでいると、三日月のような船形が浮かんできて、2人に近づいてきました。
島仲は神様がくれた船形だと思って、山に行って木を切って、船形を真似て造船しました。スーパー7歳児。
島仲にご飯を持って来た粟礼志に神様が「粟礼志のお兄ちゃんが造ったお舟は丈夫だから楽に航海できるよ、このお舟に五包七包(ごほうななほう)ってお名前をあげるね」って言いました。
島仲が五包七包を海に浮かべると、大波がきて五包七包は流れて行ってしまいました。
五包七包は漂流して、黒島に漂着しました。
五包七包を見つけた黒島の人達は、五包七包を真似てお舟を造りました。
五包七包に似たお舟で竹富島に来た黒島の人は、その事を島仲に伝えました。
ですので八重山の造船の始めは竹富島で、航海の始めは黒島になります。
なので竹富島と黒島に造船所を設置して造船業を開始したそうです。
黒島での最初の造船所は南フタ村のまき泊でしたが、後に宮里村の船浦に移転して、造船業を盛んにして、船浦御嶽(フノラワン、フノーラワン)を創建しました。
って船浦御嶽の由来なんですが、五包七包が漂着したのが阿名泊かもしれなくて、漂着した場所に阿名泊御嶽を創建した、、とかしないとか。。。
お見送りしてくれるウェルカメさん。
ゼリーみたいな黒島ブルー。
黒島ブルー終わっちゃった。
黒島から離れて行くんですね。
さようなら、黒島。
おしまい。