父 逝く | REAL SALT LURE FISHING

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釣行記、魚料理、フィッシングギア、フィッシングアパレルと釣りに関する記事になっております。主なエリアは鹿島灘以南サーフ、外房南房の磯。
釣りにおきましては、ヘッドランドでのヒラメ、サーフヒラメ、アジング、エギング、磯ヒラ波止からの青物等やってます。

元旦父親が83歳で亡くなりました。


今日告別式を終え父親への思いを書き残したいと思います。


1/1 

8:30頃電話がある


約束していた実家への訪問を父親自身の電話で断られ1週間先にしてくれと言われました。


体調不良との事で声はか細かったのですが心配ないと言ってました。


しかしその1時間半後、姉の作ったお粥を食べ終え自宅でテレビを見ながら苦しむ事なく亡くなりました。最後の晩餐が姉の作ったもので本当によかったです。


2年半前に開腹手術していたとはいえ元気でしたのであっという間に逝ってしまって信じられません。


手術の余波で術後体重は増えませんでしたが、体重を増やそうと食事にも積極的でウォーキングもしていたそうです。


耳も遠くなく目もしっかり見え足腰もしっかり、ボケてもいない。


生き方としては賭け事はやらない、酒に飲まれない、お金にルーズでは無く自分に贅沢をしない、子供の為、そして家族の生活を向上させる為に一生懸命働いてくれました。


誰にも迷惑をかける事なく元気でピンピン死にました。


親戚の多さ生前の付き合いの多さから兄弟で話し合い家族葬では無い従来の葬儀にしました。


田舎の葬儀なのでたくさんの方に協力してもらいたくさんの方に見送ってもらいました。


地元から離れておりますが自分の同級生にも来てもらいました。


故人になるとこの光景を本人が自分の目で見れないとゆう事が残念です。


釣りをしない父親でしたが僕が子供の頃はいつも食卓にマグロのブツがありました。



そしてザッコ(川魚のモツゴ)も大好きでした。12月27日子持ちホンモロコ(より高級なザッコ)を吉川の吉岡養魚場で買ち自宅で煮ておりまして、本当は食べてもらおうと1/1午後に届ける予定でした。


子持ちモロコは父も食べたことなかったのでこの感動を共感してもらいたかった。




何回か挑戦していた手打ちそばも大晦日に打って今年はうまくいったので手打ちそば好きの父に食べてもらう予定でした。



ザッコ、フナ煮、マグロブツ、もち米(お赤飯)木綿豆腐、食べ物の嗜好は兄弟の中で1番父に極めて寄っていたと思います。


健康の観点から口に入れないものにもこだわってましたね、加工肉なんか全く食べないですね。よくある高級ハムの頂きものとかはよくうちに流れてきました。


あとは昔「味の素」って化学調味料とかいって田舎の人は体に悪いとゆう迷信から食べなかったですね。





農家で忙しく何よりも仕事第一でしたので一年の中で休みは全く取らず、その為一緒に旅行した事は一度もありません。


でも思い出はたくさんあります、考えると涙が止まりませんね。


2022年7月 岩井の秋森蕎麦屋さんにて


父と行った生まれて初めて行った2人での外食



2022年11/27 一緒にとった最後の食事


スーパーで少しいい寿司を買って行き父が味噌汁作ってくれました。農協の白味噌で作る父親の味噌汁は最高にうまかったな。



高校を出て、理容学校、美容学校で学ばせてもらい、自動車教習所、結婚式、父には協力してもらえて今何不自由なく生活できている事への感謝、生きているうちに伝えられなかった事が本当に後悔です。


去年釣り美容師の先輩くんくんさんのお父様の訃報ブログを見て何度も読み返し自分も書いてみたくなりました。



母亡き後は14年間、現実逃避せず荒れる事なく1人で家を守り食事洗濯身の回りの事を自分でしっかりとやって庭も家の中も綺麗さを保っておりました。

 


その14年間毎月欠かす事なく実家へヘアカットに行きたくさん会えたのはよかったかなと思います。その都度、妻が父親が好きな煮物などをいつも作ってくれたことに感謝です。



でも丸3年、コロナに対して徹底していた父は妻と子供に会えなかった事、子供の成長も見てほしかったし、かなり痩せた父でも一生懸命に生きている姿を妻と子供にも見せたかった。



両親が居なくなり本当に寂しくなりました。



浜田省吾 
THEME OF FATHER’S SON-遥かなる我家

聞こえてくる あのあばら家
暮らした日々の 家族の笑い声