美術と社会性④〜作家になにをもとめるか。おにぎりとエネルギー。 | HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

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敏感、繊細、感受性の高いHSP(highly sensitive person)が、生まれ持った感性と強みを仕事に活かして生きていくことをサポート。
日本で最初にHSPとポリヴェーガル理論を結びつけ、生きづらさは自律神経系のケアで解消できることを説いている。


 皆川公美子です。

美術の社会性①~その原初には感じるというモードがある。

美術の社会性②~美術を語るという文化についての考察

美術の社会性③~美術は商業的に成功すべきか。「お金」というものに対するブロック文化



 

美術と社会性④」~今の作家に何を求めるか    

 

作家が自分の内面と向き合った結果である、アート。

 

それは美術であっても、音楽であっても、工芸であっても、その作家の表現であるかぎり、同じ要素を含みます。

 

そしてなぜ美術の制作するのか、ということには、作家によっていろいろな意図があることでしょう。

 

それが「精神性の実験」であれ、

「社会に驚きをもたらそうという野心」であれ、

「商業的金銭的な成功を射止める手段」であれ、

それが作家の生きることにたいする実験ならば、

ウェルカム

 

作家の感受性を 観客の感性で受け取る作品か、

作家の左脳的実験活動を 左脳的言語活動で受け取る作品か、

そういうことにも興味を持って見ています。

 

生きることは、すべてが実験だと感じます。

人生のなかでおきる体験は

自分以外の何者か、人間の完成にむかう実験ではなくて、

ありのままの自分に戻っていく実験を

人間はしているのだと思っています。

 

それは仏教でいうところの「空(くう)」。

 

自分の中心にある空洞に、自分はいったい何を入れたいのか、という

哲学的な問題に、作家はいつでも挑んでいてほしいと願います。

 

挑みながら生きているその姿やその作品を見て、

人は勇気をもらい、

生きる道を照らされて、

喜び楽しみながら歩いていく、

というのが美術のひとつの役割でもあると感じています。


美術と感性というのは、だれがみても切ってもきれない関係でしょう。

何もないところから、何か、を生み出すのがクリエイティビティだとしたら

その過程がどのようなものであるにせよ、

世の中に、今までなかったものが送り出される。

その意味を考えます。

 

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現代美術や現代音楽は、なにかの規則性、アルゴリズムによって
自動的に作品が生み出されるという実験もよく聞きます。
規則性だけコンピューターに設定しておいて、
コンピューターがつくってくる「音列」を作品としたり、
コンピューターがつくってくる「模様」を美術としたり、
はたまた象が書いた絵はアートなのか、どうなのか。


わたしにとってこれは難しい問題ではありません。

アートは意識の産物であるというのが、そもそものわたしのアートの定義です。

ですので、制作過程において、
人間の意識が入っているものはアート、
(アルゴリズムの設定などはこれに入りません、
アルゴリズムも制作であることにはかわりませんが、
それをアートにいれると、ゲームもワードもすべてアートに入ってしまい、
アートの境目が定義できなくなるからです)

意識によってできたのではない制作物はアートではない、と定義します。
(どういうものを作りたいという意図がある場合は、そこに偶然性が含まれてもアートだと思っています)



話はすこし違う方向へいきます、
おにぎりとかお料理について。

お料理には愛を込めるとおいしくなる。
料理は愛情。

「おにぎりに愛情をこめるとおいしくなるんだよ」

このことを道徳的な問題として扱うというのは、今までもあったことだと思います。

そうではなくて、
意識というのを物理的にはたらくひとつのエネルギーとして扱う方向が
最近出てきています。

先日、その記事を見たのですが、今見つけられない
見つけたらまた追記します。


先日、ある実験をやっているのを見ました。
ステージ上の上にいる方に客席と後ろを向いてもらいます。

そして司会者の無言の合図によって
1度目は観客全員は「あんたなんか大嫌い!」という憎しみの意図をステージ上に送るのです。

そしてすこし間をおいて、2度目は
「大好きだよ」「そのままでいいいよ」という肯定のエネルギーを意図するのです。


そうして、実験の意図を明かされずにただステージ上で後ろをむいていた
その人に、司会者が感想を聞きました。
そうしたらその人は、「1度目はなんだかひんやり冷たい感じ、二度目は
とてもふわっとスペースがある感じ、あったかい感じ」と体感温度を答えました。
これを100人やったわけではなかったので、
偶然であるという主張をしりぞけることはできないと思うのですが、
それでもおおいに説得力のある実験だったと思います。
意図というのは人に、ものに届くのです。
おにぎりに愛情をこめる、とそれは人にエネルギーとして届いている。
見栄えの違い、見た目の違いとはまた違った次元で
人に届いているのだろうなと、思います。

 

 



話はずいぶんそれたかもしれないのですが、

アートというのは人間の意図をかたちにしたもの。

そこから作家は目をそらさないでほしい、というのがわたしの願いです。