現代アートのチャレンジングなキュレーション〜東京都現代美術館 | HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

敏感、繊細、感受性の高いHSP(highly sensitive person)が、生まれ持った感性と強みを仕事に活かして生きていくことをサポート。
日本で最初にHSPとポリヴェーガル理論を結びつけ、生きづらさは自律神経系のケアで解消できることを説いている。

クミシュラン 皆川公美子です。

初の美クミシュラン・アート遠足は2014年12月。

大好きな場所、東京都現代美術館でした。


{6C1AF3D1-27F1-4251-97E6-F04F8CE52CB1:01}


現代アートって どう見るの?

ていうの、ありますよね。

抽象画であったり、

抽象的なカタチであったりは、

どうやってみたらいいの?という声を聞くこともあります。




抽象画というのは、ある特定の対象物を表していない分、

その作家のエネルギーの転写がかなりダイレクトに転写されている、と

私は思っています。

その作家の身体に刻まれている、パワーだったり、

感情だったり、

そいうものが作品としてダイレクトに出ているのが現代アートの抽象画。




だから、たとえばラファエロの宗教画とか
わたしにとっては遠いです。


宗教の影響を受けて書かれている絵は
その背景をたくさん知らないと意味がわからなかったりします。
ラファエロとて、この絵をもって
自分を表現したというよりは
聖母の愛を表現するべく書いたことでしょう。
そこで「聖母の愛」が人々にとってどういう意味をもつのか、
それは絵を見るときに重要な要素となりましょう。


静物画。


そこには技法の歴史もありますね。



先日美術史家の方が、
個人の主観を省き、自分の好き・嫌いで鑑賞することを止めてみましょう。何が美しいのかを学ぶことが出来るのが美術史であり、それが美術史の楽しさであります。」と書いているのをみて仰天しました。

絵を主観で見ないなんてなんの意味があるのだろう。
何が美しいか学ぶってなんだろう。

「美しさ」はひとりひとりの心のなかにあります。
その人の価値観と人生の上にあると言ってもいいかもしれない。
それを誰かに決めてもらうっていうのは
いったいどういうことなのだろう。。。


もちろんそれが楽しいならばそれでよいと思います。
そしてそれは美術が好きなのではなくて、多分歴史が好きなのです。


美術はアーティストとの対話だし、
自分の創ったものを歴史の中で位置付けてほしいと
思っているアーティストはいないのではないだろうか。。。。
唯一無二の世界だから。。。


話しが脱線しました。

アーティストの持っている意識エネルギーや感情やそういうものは
現代アート(それをひとからげにするのもどうかと思うけど)のほうが
こちらに伝わってきやすい。


だから、私は現代の抽象画が一番、わかりやすい、と思っているのです。



ここから当時の展覧会のことを少し書きますね。

当時のメイン企画展は「新たなる系譜学でした」。

難しいタイトルですが、要するに身体表現とアートのコラボが
どうなってきてるかってお話。

野村萬斎さんの総合監修でした。

刺激的な展示がいろいろと




(撮影OKの場所が限られていたので、写真のあるものから少しご紹介します

{1FBB0D3A-730F-4047-B17E-F8F39EB1AB9A:01}
このようなふわふわした滑らかな肌触りの迷路のような通路が
かなり長い距離続いています。
私たちは靴を脱いで、ひとりひとり入っていきます。

延々と続く・・・・中を歩くとそこは腸のなかのような、雲のなかのような・・・

このインスタレーションは
触覚、視覚など五感を通してお客さんに体験をプレゼントしています。

この作品はブラジル人アーティスト エルネスト・ネトさんの作品です。
彼の作品はいつもある種、内蔵のような感じです。
世界中のアート祭りで、人気のアーティストさんです。



事故がないように会場は明るいのですが、
もう少し薄暗くして
このトンネルの存在が自分の中でもっとクローズアップされたら
かなりいろいろなことを鮮明に感じるだろうなと思いました。

内蔵の中をあるいているような。。。。

それにしてもこれだけの距離、
ひとつも継ぎ目がないのです!
その技術もすごいんだけど。


歩いているうちに瀬戸内の直島で出会った「完全に暗闇のお寺」
のことを思い出しまいした。
あの体験(インスタレーション)もすごかったなあ。➡「ホンモノの暗闇とは何か・南寺」





{7385D974-0384-4CB9-8C9C-70E9B656BE5E:01}
こちらは南氏鉄平さんの作品。(1978~ 京都市立芸術大学院 卒)
日常にあるプラスティックなどのの製品を、そのカタチや意味を曖昧なものとして
再構成した作品を手掛けるアーティストです。


{52A43BC3-155E-44A6-AC02-B3DADE2958F4:01}
同じく南氏さんの作品。
奥にある石柱は、石柱だと思っているでしょう。
でも何気なく隣を歩くとぐらぐらワラワラ動くんだよ!
みんな飛びのく(笑)

それを見ているのもおもしろい
(↑お化け屋敷じゃあないです)



{07CF06F1-3879-4AC6-91CA-C31B53E2D168:01}
感情と人のうごきがリンクしている画像。
前にたつと、その人のつぶやきが上から降って来て
すごくリアル



それ以外にも、関節すべてを動かしながら踊る初老の女性の舞踏、
シャロン・ロックハート
(途中から人間に見えなくなってくるの)  とか

チョイ・カファイさん(シンガポールの演出家)のインスタレーションも
おもしろかった。
筋肉の動きは電極ですべてデジタル情報化できるのだから、
それを移植すれば、あるダンサーの踊りを、まんま違うダンサーが
踊ることができる、という実験。


歴史的に金字塔にもなっている、
大野一雄さんや土方巽さんの舞踏のビデオもありました。





ダムタイプという京都市立芸大の学生たちが結成した(30年も前ですよ)
舞踏と音とテクノロジーの
インスタレーションがまたすごかった


SONY PCLの技術展示でもあると思うのですが、
音の指向性を180度もたせた棒状のスピーカー6台がランダムに回ったりしていて、
低音は2台のウーファーで
巨大な部屋に巨大な音像立体をつくっている。

すごい体験でした。
人のささやき、とおくのざわめき、機械音、鳥の鳴き声、ドーンというスペーシーな音、
等普通一緒に聞こえない音が空間のなかで構成されていて、
私たちは完全にその中にいます。
多分あの部屋が暗闇で、そこに一人で3日いれられたら、人は気が狂ってしまう
のではないでしょうか。


人間は、視覚とともに、いろいろな音で「今、普段の場所にいる」ということを認識して、
そこから心の安定を得ています。
家のリビング、駅の構内、会社のなか、、、、
いつも聞こえる音の遠近感が世界を立体構成している。

それがすべて知らない音だったら????
そして遠近感がめちゃくちゃだったら???

聞いたこともない、ドーーーーーンという音が広がったら、
不安になりますよね。
その聞いたことのない音がひとつでなく、世界のほとんどだったら・・・


また音の距離感というのが、無視されていて、それも奇妙です。
囁き声は耳のそばで小さい音で聞こえるものですが、
急に横の壁から大きく聞こえたり(という錯覚)するのは、
やはり自分の地軸がゆらぎます。


自分のアイデンティティというのはかなりあやふやなものだと分かります。
自分というものの存在を測る座標がないと、
悲しいかな、人は自分の存在を確かめることが難しい。

音のインスタレーションひとつで、
そういう事実をつきつけられる、
現代美術ってすごいなあと思います。



常設展でも、見ごたえのありすぎる現代アートが、

普段見られないものがたくさんでていて、

すごく見ごたえがありました。


一日いても飽きない