くみちゃんのルーツ。パート1 | 真理のパフォマー 女優セラピストヒーラー くみちゃんのレッツらゴー。
こんばんは!
たくさんのご訪問、ありがとうございますラブラブ

私のルーツ、父と母のことを書きます。
そこを書かないと、今の私の生き方は語れないから。

それに、2人はとても面白い、映画のような人生なのです。
書けないこともたくさんありますが爆弾


チューリップ黄チューリップオレンジチューリップピンクチューリップ紫チューリップ赤




私が初めてヒーリングをしたのは、思い返せば26歳の時。
わーー!
もう22年も前のことです!

相手は母です。

当時、ヒーリングという言葉も知らなかったけど、あれは究極のヒーリングだと思う。


その頃、父は私と同い年の、自分より40歳も下の若い女性と浮気中でした。


父は浮気をしてない時が無いくらい、常に女の人がいました。
大正15年生まれの父は京都の出身で、実家がとてもお金持ちでした。
蔵がいくつもあるようなお屋敷に住んでいました。
そして、若い頃から先斗町で舞妓さんをあげて遊んでいました。



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父、二十歳の頃。
とてもモテていたようです!

そして遊びすぎて、蔵を潰し、会社も知人から騙されてオシャカにし、母親にも見放され、絶望の末自死未遂をして京都をあとにします。

父の父、つまり私の祖父も、女遊びの人でした。
若くして結核で亡くなるのですが、亡くなったのはお付き合いしていた芸者さんのおうちでした。
ほどなくしてその女性も結核で亡くなるのですが、身寄りのないその女性のお葬式を父が出したと聞いています。

父の母、つまり私の祖母は、16歳で父を産み、4人の子供をもうけましたが、32歳で未亡人となり、とても美しい人だったので、家に通い面倒を見てくれる男性は何人もいて、後を絶たなかったようです。
多感な年頃の子供たちは、そんなお母さんの姿を見て育ったのでした。
父はいつも、
「ヨシさん(祖母の名前)は、母ではなく、オンナだった」
と言っていました。
4年前に85歳で亡くなる直前まで、恨めしそうにそう言っていました。
「僕はヨシさんに母らしいことはひとつもしてもらっていない。」
と。
人はいくつになっても、小さい頃の淋しさのままで、お母さんを慕っているのだなあ、と思ったものです。
お母さんの影響力は、絶対的なチカラを持って、その人の人生を支配する。


京都を出て千葉に仕事で来ていた父は、何かのお座敷で母を見初め、それから毎日通い詰めたそうです。
母は当時、母親の闘病資金を稼ぐために、芸者の仕事をしていました。
母は大変な売れっ子で、寝る暇もご飯を食べる暇も無かったそう。(盛ってると思う、かなり目)
唄も踊りも三味線も達者だったし、18歳という若さだったので、引っ張りだこだったのでしょう。
ご贔屓の料亭の親方からもとても可愛がられ、美味しいものをいつもこっそりもらって食べていた、と言ってました。
でも無口な父は、何かおもしろ話しをするわけでもなく、母を口説くわけでもなく、予約を入れた2時間、ただ黙っっっってお酒を飲んでいたのですって☆
母は、
「またシーさんが来た!イヤだな~、ムッツリしててキモチワルッ!毎日何しに来るんだろう!」
と思っていたそうです☆
お父さん( ̄◇ ̄;)

でもその話しを聞かされた時、私は父の、母への恋い焦がれる想いを知ったようで、とても嬉しかった。
だって私は、幸せそうな愛し合っている両親の姿を見ていないからです。
私は物心ついた頃から、
「結婚は人生の墓場だ」
と母に教えられて育ちました(涙)
かわいそうなチビくみちゃん。



父が29歳、母が19歳の時に結婚。

でも結婚して1週間後には、愛人宅に行って帰って来ない日が続いたと聞きます。
が、すぐに子供を身籠ったことと、母の母が
「あんなに良い人はいないよ。帰ってきたら、ああ、ここが一番だ、と思ってもらえるように迎えなさい。」
と言い聞かせていたことをもっともだと思い、母は健気に、そして一心不乱に子供を育てることに全力を尽くしたのでした。

たまに帰って来る父を文句も言わずに迎え、ただひたすらに家庭を守りました。

そんな父ですが、浮気には、美学というか、ポリシーがありました。
素人には決して手を出さない。
プロの水商売の人としか遊ばなかったのです。
「浮気は男の甲斐性。家庭を壊すつもりはさらさら無いし、遊び。
それの何が悪いのか?」
と言っていました。
お金で母を困らせたことは無く、母も男の人はそういうものだ、と思って自分を無理矢理納得させていたのでした。

恋愛を知らない19歳の女の子が、そんなに好きでもない人と結婚し、すぐに子供が生まれ、夫は浮気し放題。
当時の母を思うと泣けてきます。
私に
「結婚は人生の墓場だ」
と言っていたのも、仕方ないよねしょぼん



あ、母が何故芸者になったのかをすっ飛ばしてしまった!
母の生い立ちも、めちゃくちゃ面白いのですよーっ

パート2へ、続く!!

レッツらゴー。