一番の治療は、希望に向かって生きること | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

一番の治療は、希望に向かって生きること

その日僕は、木と土の香りの中に、心も身体もゆっくりつかっていた。ヒマラヤとは違い、生命の力を強く感じさせてくれる。

ほのかに香るミストに癒されながら、ゆっくり上を向いて歩いていた。

先日、関東近郊の金時山(標高1213m)に行ってきました。久しぶりの山登り。
足腰への負担が懐かしく、その一歩一歩の瞬間をかみしめながら登っていた。

休まずゆっくり登るはずが、徐々にペースが早くなっていく。やっぱり山登りは気持ちいい。


まだ凍傷の治療は続いており、指の状況は決して良いとは言えない。
それでも長い凍傷治療とリハビリの効果もあって、指の付け根の関節の可動範囲が広がり、本来は起こしていてもおかしくない感染症も兆候もない。

今まで治療にあたっては、谷底のような苦しい日もありました。
しかし、その谷底の暗闇の中でも沢山の光を見つけ、また沢山の見えない励ましの声に支えられてきました。
心から感謝申し上げます。本当に皆さん、ありがとうございます。

今、治療としては幹細胞と血小板を使用した再生治療や、生薬による治療を行っています。
でも一番の治療方法は、『希望に向かって生きる』ということでした。

昨年の秋季エベレストで凍傷になってから9ヶ月近く経ち、その間多くの外科医の先生から「無理だ、切るしかない。」と言われ続けました。
中には、治療を続けることを馬鹿にするような先生もいて、悔しかったこともありました。

また、ネット上では凍傷に関して事実ではないデマや嘘を書かれ…。
「指なし手袋でアタックした」「C2(6400m)で凍傷になったままアタックした」など、訳のわからない言葉が並ぶ…。

それに対して僕がどう思うかというと、人の挑戦を馬鹿にする人の言葉はどうでもいい。それだけです。

きちんと説明をすると、そもそも指なし手袋で最終アタックをする人がいるはずもありません。
きっと書いている人達は、マイナス35度、そして低酸素の環境が想像も付かないのだと思います。

またC2で凍傷になったまま続行したと書かれたこともありますが、確かにNHKの番組ではC2で右手人差し指が腫れていて「凍傷のような痛み」と言いました。

右手の人差し指の腫れと痛みで、一瞬は凍傷を疑いましたが、6400m地点のC2は温暖で、日中はテント内が30度にもなります。
そこで凍傷になった人がいるとは、聞いた事もありません。

結局は凍傷ではなく、ただの膿みによる腫れと痛みでした。
前にもブログに書いた事がありますが、僕の右手人差し指は幼い頃に切断してしまい、その後無事に再接着しましたが指自体が弱く、C2で抵抗力が弱まり膿が溜まってしまいました。

その後C3(7200m)で膿を出し、問題なくそのままC4に向かいました。
その無線のやり取りは、ベースキャンプでも記録されています。

そもそも凍傷になって無酸素で8848mに挑む人は誰もいないでしょうし、できるはずがありません。

現場のことが分からない人や、足を引っ張りたい人は、そのように書きたいのでしょうが、実際に西稜に行っているヒマラヤの先輩や、お世話になっている高所医学の先生、そして現場を含めて知っている人は知っているので、人の挑戦を馬鹿にする人はどうでもよいのです。

ではなぜ凍傷になったかというと、それは7500m地点からの最終アタックで十分な水分補給ができなかったからです。
高所では気圧が低いため、1日に3-4リットル以上の水分補給をしなければいけません。

酸素が薄くなるとヘモグロビンの量が増え、血液がドロドロになります。
酸素を心臓と脳に優先的にいかせるため、指の末端までは酸素が届きづらくなります。

本来はこまめに水分補給しながらアタックしなければいけませんが、秋季エベレスト特有のジェットストリームによる強風の中、エベレスト北壁には逃げ場がなく、風で飛ばされないよう耐えるのに必死で十分な水分補給ができませんでした。

それでもジェットストリーム周期の中で、その日は少し弱まる予報でしたが、もっと早めに下山した方が良かったのかもしれません。

今となっては過去であり、大切な事は今これからどうするかということです。

その今の中で、一つ気になっている事があります。
それは、この凍傷治療にあたって沢山の「現実的」という言葉にあってきました。つまり「現実」というのは、「諦める」ということです。

確かに現実の世界は厳しいです。
でも僕は、現実に向かって生きているのではありません。希望に向かって生きています。

「現実」という言葉で、もしかすると沢山の可能性の種がもぎ取られているかもしれません。

希望を持ち諦めずにいると、必ずそれを支えてくれる人達が現れます。

今受けている幹細胞や血小板を使用した治療、大学教授が特別に処方してくれた漢方による治療を行い、右手小指の骨が一部見えている所がありましたがそこが肉で覆われ、また感染症を起こしていてもおかしくない状況ですが、漢方の効き目により現在はその兆候もなく、血液検査の結果も良好です。

全て保険適用外の高額治療ですが、ある先生は「また登って欲しいから」と何も言わずに治療費を割引いてくれていました。

さらには、遠くウクライナから治療の話がきました。
ウクライナは凍傷患者が多く、日本ではできない治療方法があるそうで、今月中旬から治療に行ってきます。

完全に治るという保証はありません。
そして今も厳しい状況なのは変わりません。

ただ、希望をなくした瞬間に、僕の指達(家族)も僕自身の成長も止まります。
だから僕にとっての一番の治療は、希望に向かって生きることです。

これから徐々に山登りも始めながら、「希望の光」に向かっていきたいと思います。

P.S.
最近、アメリカでは切断したマウスの指が爪の幹細胞から再生できるという研究結果も発表されました。近い将来、それが実用可能となる日もくるでしょう。楽しみです。


写真1
快晴ではありませんでしたが、逆に山の自然を感じ取ることができて気持ちがいい。


写真2
金時山の山頂では、カップヌードルが売られていました。山で食べるカップヌードルは、最高に美味しいです。



写真3
金時山の山頂には、こんな物が!この山は、金太郎とご縁があります。
ちなみに着ているTシャツは、ミレーから出た今年の栗城モデル・ヤクTシャツです。可愛いでしょ?



写真4
金時山の神様にご挨拶して、下山。