今日もラジオだった。
あと1回。



あと1回、というと。
『紺屋の明後日』も稽古場稽古はあと1回。


あと1回、何ができるかな、
何ができるかなって考えてるうちにきっと終わってしまうだろうけど。

稽古をしていて思うことは、
やはりわたしは演劇が好きだし演劇に気づかされているなぁということ。


今回の『紺屋の明後日』は、
21年前に少年犯罪を犯した男と、その男の存在を感じながら生活を営む周りの人々の暮らしを描く物語。
わたしが演じる絵美は21年前にその男に姉を殺された女。被害者遺族の女。



ずっと、どう向き合ったらいいのかわからなくて。
前にこのブログでも言った通り、ちゃんと自分の思うことはあります。そこに嘘はないし迷いもなかったはずなのですが。

今向き合っている絵美という女性は、
わたしとはもっともっと近い距離で、
わたしとは真逆の考え方に莫大なエネルギーで生きている女性。


だからこそ、その考えや感覚や、そういういろんなものを一度そうだと思って抱きしめてみています。
絵美としての考えを辿ってからまた自分の考えを振り返れたらその時には、もっともっと確信を持って改めて向き合えるかなとかも思っています。
近くにいるって、思ったよりきつい。
まだ稽古だし、幕が上がるとまた違った思いに気づくときもあると思うからまだ深くはいいませんが。


今回の演劇は、題材が題材なだけにいろんな考えが湧き上がる作品だと思います。だからこそいろいろな登場人物がいろんな考えや信念や正義を持って物語にやってきます。
そのなかの1つ1つと自分を照らし合わせてみてほしい。


常識とされてきたことを1回忘れて自分の思うままに考えてみて、
それが新しい考えになるかもしれないし常識とされてきた考えと同じになるかもしれないけど、
その時思い描いたその考えは押し付けられた常識でないってことは100パーセントだと言えると思うから、
そうやってたどり着いた『常識』をみんながちゃんと持ち合わせて生きることが、この地球にとってとってもヘルシーなんだと思うから。



わたしは今、絵美と向き合うことで、
昔自分が書いた言葉や考えに引き裂かれる瞬間もあって。
前を向くために意地っ張りなっていたところもあるような気がして。
でもそれに対して否定はなくて。
だって私たちはこれから先も生きていくのだから。

だから
"見なかったふりをして他人事にする"でも"必要以上に自分事にする"でもなく、それでもうまくやっていく生き方を、向き合い方を
池袋のあうるすぽっとというこじんまりしたハコの中で、一緒に考えてはくれませんか?


魅せるエンタメでも観られるショーでもなく、『参加しやすい討論会』です。
ニュースや新聞が好きな人にはむず痒いかも。
ニュースを見ても新聞を読んでもいまいちしっくりこないあなたと一緒に考えたい演劇です。



9月20日に東池袋の駅直結の劇場 あうるすぽっとにて、愛を持ってお待ちしています。







ぶどうおいしかった。