{AE71CEC1-046C-44B3-9CE8-C41A2CE96605}

{98F79791-1641-44D7-B033-22C8CB904AB3}

昨夜は、満月🌕でしたね
浄化の月光が、降り注ぐ中 
長男が久しぶりに札幌に戻ってきました。

この仕事
営業と育成と総合美容
私の成長につながるなぁ
会社の在り方も面白いなぁと
ぐんぐん、持ち前の探究心と好奇心で
はまって行った
その半年後、電撃入籍を今の旦那さんとした。
あまり後先、考えず  嫌なら辞めようと
軽い気持ちで  ここにと言われるところに
印鑑を押した。

その半年後・東京と札幌と二箇所で
披露宴(俗に言う・派手婚だった
ウエディングドレスも原宿の桂由美さんの
所でつくったり〜それなりに楽しかったな笑笑、歌まで歌って、。その話は、
また、いつかどこかで〜〜)

バリにゴールデンウィークを
利用して2週間新婚旅行も兼ねて
三度目の旅行に行った時に
夕日が見える丘で、祈った
この子が、私の魂の友であります様にと
私は、なぜか、受精したんだと
その時・実感してた。(ビンゴ!)
その年の12月25日   聖なる夜
予定日より3週間も早く
2580g   未熟児センターに送られる
数字を80g  多くギリギリセーフで
彼は、産まれた。
陣痛促進剤で
(この時の事を後々、私の産まれ直しのワークでお互い体験し直すことになる。
また、の機会に〜〜)

私は、と言うと妊娠中
渋谷、原宿、銀座のサロンで 
時には、藤沢のサロンまで行って
ゲストに会ったり、メンバーに会ったり
お肌や使い方のフォローをしたり
お腹に本当に赤ちゃんいるの?と言われるほど動き回っていた。

前日、24日は、横浜・桜木町にある
サロンで仕事をして
契約書をファイルに入れて
銀座で旦那さんと待ち合わせして
六本木の友人のところへ行き
カラオケを歌って帰ってきた。
その明け方、あれあれれれ
トイレで、チョロチョロと羊水が
漏れていることに気づく。

急いで、病院に連絡して
緊急入院
落ち着きながらも、全ての仕事のファイルと何枚かの契約書を片手に
洗面器に石鹸を入れて汗をかいてる
旦那に「お風呂やさんに行くんじゃないから、大丈夫」と言いながら車に乗った。

祖母《母がた)が、助産院をやっていた
8000人とりあげた助産師だったので
門前の小僧は、落ち着いていた。
そんなことより 明日からの
アポイント  月末までの事、
その後の全国会議   どーすんだろ?
そっちが気になって

事態の重さが分かっているようで
分かってなかった。
なので、いつもの様に

『一緒に頑張ろうね』とお腹の子に言い
お産は、大変だから
お互い協力して、短く行きましょう
などと言いながら

翌朝、人生初の点滴のスタンドをガラガラ
押しながら公衆電話から
テレフォンカードで
上司や仲間に連絡をした。

看護師さんに見つかっては、
何度も注意され

そして〜夕方いきなり襲ってくる
陣痛でその日の妊婦
全員をごぼう抜きして
20時48分
1番に出産した(これもその後、1年10ヶ月後に次男を同じ宿直の助産師さん達の元で産んで、、この日の様子を聞かされて知った。)
翌朝、新生児室には
赤ちゃんが6人ぐらいズラッと寝かされてる奥で
ガラスケースの中に一回り小さな彼は
寝かされていた。

ありがとう
ごめんなさい
ママとお仕事毎日頑張ってくれたから
羊膜にヒビがいって破水しちゃって
許してね
『お腹の中の1日と外の1週間は同じぐらいです、1日も長く、お腹に予定日までいた方がいいのですよ。』と
医師の言葉に反省し
ガラスの向こうで
手を合わせて祈った。

ごめんなさい、許してね
ありがとう
早く、そこから出てきてね
我が子をまだ、だけていない私は、
そう願った、、。

お母さんになって🔰初心者マークの
私は、まだまだ
自分の事が、精一杯の
28歳になったばかりのお嬢さんだった。

子供の頃から、学校の先生に成りたかった。
私は、あの受験戦争の戦いの教育が
なんか、違うんじゃないの?と
小学校の六年生で思い
自分にできる何かを
ずっと探していた。
その頃は、目の前の営業成績を上げること
グルーブを構築する事
団体戦で数字を出すことに
目覚めた頃だった。

1人で大概のことは、出来る
やってきた。
アメリカでも7年乗り越えた。
でも、大きな数字は、到底 
1人では、出来ない。
人に頼るのが、苦手な私の殻を
破りかけてる頃に
身体の中から、命が誕生してきた。


一歳になる頃
次の子を身ごもり
この仕事を進退を考えさせられた
その時
あの憧れの美容部長が
会議で『スペシャルケアのアカデミーの
一期生を募集します』と言った。

この続きは明日。
4日からずっと続くできています。
気長に読んでくださって
ありがとうございます。